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鳥の目虫の目魚の目

今回は鳥の目にあたる客観視と、虫の目にあたる主観視について主に書こうと思います。

僕は高校までサッカーを15年間くらいしてました。

高校までは、人を見るときに、自分よりサッカーが上手い、下手とか、受験期なら偏差値が高い、低いとか、何かしら目に見えるスペックで人を判断していた気がする。

これだけ言うと悪いやつだけど、完全にそれだけというよりかは主にって感じかな。(それでも良くない)

だから、何かしら尊敬できる点がない人に対して少し軽んじてたところがあったと思う。

性善説的だけど、人って何かしら良いところがあるらしい。

それが見つけられないのは自分がその人の良いところの判断軸を持っていなかったから。

それに、それって自分はその点において劣ってるかもしれないってことだと思う。(その判断軸で自分を見れないから。人は自分の鏡みたいなもん。)

大学に入って、よく「人の良いところを見るようにしてる」って言ってるA君と仲良くなった。

他の仲が良い友達も相手の気持ちとかに敏感であったかい奴が割と多い気がする。

このA君に関しては、いつも周りを自分含めて客観視して、周りの人をよく観察している。客観視をディソシエイトというらしいんだけど、今まで出会った友達で1番うまいと思う。まあ、アソシエイトまじで下手くそなんだけど。
アソシエイト…ディソシエイトの逆。主観視。

何が言いたいかっていうと、人のことをよく観て、相手の気持ちを察せられることができる人ってすごい。

自分は反対にアソシエイトはできるんだけど、客観視とかこういうの苦手だから余計に思う。

アソシエイトの使い方をいうと、例えば噂話で人のことを判断するとかも良くないなって思う。実際その人と話して、観察して、自分がどんな風に感じるかが大事。

で!自分が客観的に観れるようになりたい理由はいくつかあるんだけど、客観視ができる人=相手の立場に立って気持ちを考えられる人
と思うんだけど、客観視ができる人はやっぱり人に対して思いやりを持てる人が多い印象を受けるから自分もそんな優しさを持てる人になりたいのが1番の理由だ。

この大学周辺が特殊な環境で、友達との距離感が近いからだと思うけど、ここでは人と人との関わりに関しては学ぶことが多い。

思いやりの持てる人になります。

ひろすけ

あ、魚の目に関しては次回以降で。

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