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最近、学生時代の知人たちに対して言いたいこと「分別がつかないのか」

こんばんは。

わたしは、昨日までゴミの話を4日連続でしていたので「ぶんべつ」と呼んでしまいそうですが、今日は、「ふんべつ」の話です。

わたしは学生時代、同じサークルの人たちから、けっこうな暴言を吐かれたり、した約束を破られたりとぞんざいに扱われてきました。学生時代からそういうことをしないでほしいということは言っていましたが、いうことを聞いてくれなかったのです。それどころか、お前が悪いと言わんばかりにどんどん対応が酷くなる一方でした。いや、「でした」ではなく、卒業後もどんどん酷くなっています。

悪の元凶みたいな人が同期に2人、それにいじめられたくないが故にわたしに嫌な思いをさせたり、そういう現場を見ても無視する人が多数いました。

そんな彼らにわたしが言いたいことがあります。それが、タイトルの通り「分別がつかないのか」です。

もちろん、わたしは、彼らは分別がついていないからこのように思うわけです。

嫌だよと言われたとき、嫌がることをしてしまったことについて謝りましょう。そして、嫌がることはしないようにしましょう。ただそれだけの話です。

悪の元凶みたいな同期から嫌われないように、いじめられないように、わたしに嫌な思いをさせ続けたのだとわたしは思っています。しかし、それでも、人を傷つけたことに変わりありません。

「ならぬことはならぬものです。」とは、会津藩の掟です。わたしは、ハイコンテクストな言葉ゆえにあまり使いたくない表現ですが、使いたくなってしまいます。嫌がらせをさせられ続けた身だと、考えたくなくなってしまうのです。

「そういう人とは離れればいいのに」と言われたことも何度かありますが、わたしは、もう少し粘りたい、そう思います。それでも相手が拒絶、ここまで来ると裏切りですが、そうしたら、わたしはそこでやっと納得します。「この人は、その後の人生で成長する機会をほぼすべて失ったのだな」と。

裏切りは、裏切り以外どうしようもないときに行われることが常でそれなりの事情があることがほとんどですが、裏切り行為は代償が大きいのです。それも、気づかないところで代償を支払い続けることになります。わたしは、それが狙いです。わたしは、穏やかにその人から離れることができます。

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