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母と桜を見た思い出が欲しかった

 母と桜を見に行くことは、私にとって責任重大だった。

 ただお花見をしようとしていただけなのに、こんなにも惨めな思いをしなければならないのかと泣きたくなった。

 そんな春のある日を思い出した。

 3月某日、介護仲間とデイサービスについての話をした。高校通学中に事故に遭い、片麻痺と高次脳機能障害が残った母は、私が就職したことをきっかけにデイサービスに通い始めた。母はデイサービスのことを”仕事”だと思っていて、通い始めた頃「お母さん、ずっとお家にいたからね、仕事に行ってみたかったの。」と話していたことをふと思い出した。

 ずっとお家にいたから、といえば、中学生の頃、自力では家とその周りの狭い範囲しか移動できない母に、テレビ越しではなく本物の桜が咲いているのを見せたいと思い、母とお花見に出かけたことがあったな、とそれもついでに思い出した。

 今もちょうど桜が咲き始めた頃だ。ソメイヨシノはまだ蕾だけど、河津桜はちょうど見頃だと思う。

 母を連れて、ちょっと見に行ってみようかな。

 母は自分のルーティンにない急な予定は苦手だが、お出かけすることは好きなようで、声をかけると喜んで支度を始めた。

 母は私の車に乗ると、すぐに車内に流れるCDに反応した。このときは、まらしぃさんという若者に人気のピアニストがアレンジしたクラシックをかけていた。

母「これ、ラジオ?」

私「違うよ。」

母「へー!いいの(CD)持ってるね!ノリマサに聞かせたい!わー!すてき!!」

 ノリマサとは、母の好きな「藤澤ノリマサさん」というアーティストだ。以前、母が私との約束を破った際、私は怒って母の持っていた藤澤さんのCDを全部捨てたよ!と母に言ったが、実はまだ隠し持っている(なんだか藤澤さんには申し訳ないと思う)。母は喫煙するのだが、火の始末ができず家中を焦げ跡だらけにして危ない。私は禁煙外来に連れて行ったが成果は無かった。「禁煙できなければCDを没収。禁煙できたら返す。」と伝えていたが全く効果は無く、私の車のシートを焦がされそうになったこともあり、私は怒ってCDを没収し、その後返すタイミングを失ったので、母は私にCDを全て捨てられたと思っている。未だに禁煙は成功していないので返すつもりはない。

 母はピアノのCDが気に入ったようで、ずっと口ずさんでいる。うるさい。母の機嫌が良ければ良いほど私は不愉快になる。なんだか腹が立って来たので、なんとなく桜を見に行ってみようと思い立って来てしまったが、やっぱりやめたほうがよかったかなとも思い始めた。天気もお花見日和というわけではなく、薄曇りだ。それにもかかわらず、母は「暑い!」と勝手に窓を開ける。病院に行った昨日は、晴れていたにもかかわらず「寒い!」と窓を閉めていたのに。

 桜が咲いている公園の近くに着いた。公園から少し離れた駐車場に車を止めた。本当は公園の目の前に駐車場があることを知っていたが、私は運転が苦手なので駐車場までの狭い道を車で通りたくなかった。母も少しくらい歩いた方がいいリハビリになるだろう。

 母は杖をついて歩いているが、ふらふらと危なっかしいので杖をついていない方の腕を掴んで並んで歩く。思いつきで家を出てきてしまったので、シルバーカーは家に置いてきてしまった。

母「おかしいな。ちょっと前まで杖をつかなくても歩けていたのに。」

母が事故に遭ったのは30年以上前で、それからはずっと杖をついて歩いている。

母「あれ?3年くらい前じゃなかった?」

返すのが面倒なのでひとまず無視することにした。

母「ねえねえ。誰かのお家に行くの?」

私「いや、だからお花見だって。」

母「ああ!そっか!」

母「ねえねえ、誰かのお家に行くの?」

私「・・・」

 前から自転車に乗った中学生が来たので、母の腕を引っ張り、道の端に寄せた。中学生は「すみません。ありがとうございます。」と頭を下げて通り過ぎていった。立派な中学生だ。狭い道を2人で塞いでいて邪魔なのは私たちなのに、ごめんなさいね。と心の中で謝っておいた。

そうこうしているうちに公園が見えてきた。思った通り、河津桜が満開に咲いている。

母「わー!!!すごーい!!!きれい!!あれは何?桃の花??」

私「うるさい。少し静かな声で話しなさい。」

 母はとにかく声のボリュームが大きいので、一緒にいると恥ずかしい。先に花見を楽しんでいた親子にも大きな声で「こんにちは!」と話しかけて、ややびっくりされていた。急に変なおばさんが話しかけてきたら怖いですよね、すみません。とまた心の中で謝っておく。母といるとつい周りの人に謝りたくなることばかりだ。

母「こんなところ、どこで知ったの?」

私「お母さんと前にも来たことあるよ。」

母「あれ、そうだっけ?」

母「あ!ここね、お母さん前に来たことある!」

私「だからさっきそう言ったでしょ。」

母「そうだっけ?」

 そう。この公園には前にも母と来ている。私が中学生の頃だ。

 当時、部活のランニングコースで初めてこの公園の存在を知った。毎日ランニングをしていると、日に日に桜の蕾が膨らんでいった。そうだ、満開になったらお母さんも連れてきてあげよう。家からは少し遠いかもしれないけれど、お母さんもこのくらい歩けるはずだろう。

 そう思った私は、母を連れて春の陽気の中を歩き始めた。

 最初は順調に、母もニコニコしながら歩いていたと思う。ところが、だんだん雲行きが怪しくなってきた。

私「お母さん、大丈夫?歩ける?」

母「うん…大丈夫…」

母「ハァハァ…」

母「…」

 機嫌が良いとうるさいはずの母が静かになってしまった。さっきまでの笑顔も陰ってきた。やはり日頃こんなに遠くまで歩いたことがないので、疲れてきてしまったようだ。

母「疲れたー。」

母「ちょっと、もう、歩けないよ-。」

母「足が痛―い。」

私「もう少しで着くから、頑張って!」

 私はなんとか母をなだめて公園まで歩かせようとした。それでも母は時々立ち止まってしまう。田舎の一本道は一方を藪に、もう一方を田んぼに囲まれ、休憩できるような所はない。春の穏やかな日差しの下のはずなのに、母だけは夏の灼熱の太陽に照らされているように滝の汗を流していた。表情もかなり苦しそうだ。

母「嫌だよー、つらいよー。」

母「もう帰りたい。」

 子どものように駄々をこねる母に、だんだんいらいらしてきた。ついに、母は公園まで歩ききることなく、道の真ん中にしゃがみ込んでしまった。何もない道の真ん中にいる親子はただただ惨めだった。母は泣きそうだった。私も泣きたくなった。

 結局、父に電話をして車で迎えに来てもらうことにした。父は出かけていて、迎えに行くまでに時間がかかると言われた。

 でもタクシーを呼ぶという選択肢は思いつかなかった。当時の私は、タクシーを呼んだことがなかった。それに、高くて滅多に乗れない乗り物だと認識していた。市内に電車は無く、バスも近くを通っていなかった。最初から父に頼んで連れてきてもらえばよかったのかもしれないが、中学生の私が「お母さんとお花見に行きたい」なんて、なんだか子どもっぽくて素直に頼めなかった。田舎において車の運転ができない私は、母と桜を見に行くことさえできないほど無力だった。

 そもそも、母と桜を見に行くことは、私にとってただ遊びに行く以上の責任を負わなければならないことだった。桜を見に行くことに限らず、母と出かけることは私にとって、いつも責任重大だった。まず、母は片麻痺によって歩行が不安定だ。普通は自分の不注意で転んだら自分のせいだが、母に付き添っていながら母を転ばせてしまったら私のせいになってしまう。さらに、高次脳機能障害のために大人として普通の振る舞いはほとんどできない。「みんながいるところでは大きい声出さないで。」「トイレは順番でしょう。割り込まないで。」「買い物カートで人に突っ込まないの!危ないでしょ!」といった具合に母の言動を逐一見張っている必要がある。障害のある母と一緒にいると、どうしても保護者は五体満足の私になってしまうので、自分が楽しむことよりも母の保護者としての責任を果たすことが求められる。子どもの頃から、母と出かけるときの私はピリピリしていた。

 母と出かけて公園までたどり着けずに道の真ん中に座り込んでしまったことについて、迎えに来た父はなんと言うのだろうか。「こんな長い距離、お母さんが歩けるわけないのにどうして連れてきたの!」と怒られるだろうか。こんなはずじゃなかったのに。私はただお母さんに桜を見せてあげたかっただけなのに。お母さんとお花見をしてみたかっただけなのに。ただお母さんを疲れさせてしまっただけだった。お母さんにつらい思いをさせたかったわけじゃないのに。でも、お母さんは本当に桜が見たいと思っていたんだろうか。お母さんは私とお花見をしたいと思っていただろうか。もしお母さんがそう思っていたなら、もう少し頑張ることはできなかったんだろうか。「もう帰りたいよー」と情けない声を上げるお母さんと無力な自分に腹を立てながら、父の迎えを待った。

 実は、そこから先の記憶はほとんど無い。迎えに来た父は私と母になんと声をかけたのだろうか。自分だけが怒られるのが嫌だった私は「お母さんってば全然歩けないんだよ!」などと父に一方的にまくし立てたかも知れないが、それに対して父がなんと言ったのかも覚えていない。この流れならば3人でお花見をしたはずだが、よく思い出せない。母と歩いていただけで疲れてしまったから、もうその後のことは忘れてしまったということだろうか。とにかく、あの春の日はあまりいい思い出にはなっていない。

 さて、話は現在に戻る。母は集中力が無く、飽きっぽい。そろそろ「ちょっと、いつ帰るの?帰りたい。」と言い出しそうなので、帰ることにして、私たちは来た道をまた戻り始めた。

母「あら!四つ葉のクローバー!(ピンクの大きい花を見て)」

私「違います。」

母「あれは水仙かしら?」

私「違うね、水仙はあっち。」

母「へー!水仙は白かと思った。黄色もあるんだね。」

私「白もあるよ。ほら。」

母「じゃあピンクは?」

私「あんまり見ないかな。」

母「紫は?」

私「紫もそんなに見ないね。」

 母に対してはいつも怒ってしまうので、久々に普通の会話をした気がする。

母「こんなに近くにお花見できるところがあるんだね!」 

私「だから、前にも1回来てるでしょ。」

母「そうだっけ?」

 「こんなに近くに」ね・・・。そりゃ、今回は私が運転する車に乗ってるだけなんだから、母にとっては近く感じるだろう。前に来たときは全然近くなかった。私一人ならそうでもないのに、お母さんを連れて歩いていたらこんなにも遠かったのかとびっくりした。

 帰りの車でも、やっぱり母はピアノのCDに合わせて口ずさんでいてうるさかった。

母「♪~~」

私「うるさい。」

母「♪~~」

私「うるさい!」

母「♪~~」

私「うるさい!耳障りだって言ってんだよ!」

母「へいへい。」

 道の真ん中で途方に暮れていた無力な子どもが大人になって母とお花見に来られたこと自体は良い話なんだろう(単純に車を運転できるようになったというだけのような気もするが…)。母も以前の春の日よりは楽しい思いをできただろう。でもやっぱりご機嫌な母を見ているとうるさくて無性に腹が立ってしまう。

 母と出かけるのは大変だし、普段散々な目に遭ってるし、禁煙するという約束も守れてないのに、こうやっていい思いをしてご機嫌なのが許せないから、見ていていらいらするのかもしれない。それをわかっていて、こうやって花見に連れ出してあげるのは、一体、なんでなんだろう。

 果たして愛ゆえであると言えるのだろうか。

 愛があるからゆえに私はお母さんをケアしているのか?

 違うと思う。

 むしろ、愛がないからだ。

 与えられる愛がない。逆に愛を欲しているのだ。

 だから今日も「子どもの頃にお母さんとお花見に行った」という愛のある思い出を補完するためにこうして出かけてきた。

 でもきっと、この先どれだけ頑張っても、お母さんが親らしく私を愛してくれる日は来ない。それでもケアはずっと続いていく。

 来年も、再来年も、また桜が咲いたらのこのこと出かけて、このオチのない話を繰り返すのだろう。

 ケアとはそういうものだから。



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