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#3『折れない自分をつくる 闘う心』村田諒太著

痺れる本だったので記録する。

「試合に負けて勝負に勝つ」
使い古された表現だが、この本を読んで感じた感想はこの言葉だった。
村田さんは確かにゴロフキンに負けた。しかし、村田さんが人生で背負ってきたものとの勝負には勝てたんだろうな。この本を読んで、そう思うことが出来た。

私はそもそもボクシングというスポーツがそこまで好きではない。
ボクシング好きの方々には申し訳ないが、決定的な敗北者が生まれるこのスポーツが見ていて辛くなる。だから、あまりボクシングは見てきていないのだが、村田諒太だけは話が違った。
彼を見始めたきっかけはあまり覚えていない。まともに見たのは、確かブラントに疑惑のジャッジで負けた試合で初めて見たのだと思う。
ボクシング好きではない私からしても、彼からは何かそこはかとない魅力を感じた。
ミドル級という大きな体。チャンピオンとしての強さ。そしてチャンピオンにも関わらずどこか憂いのある様子。
なんだか素通り出来ない気分になって、当時出版されていた彼の本を読んだ。

当時(2017年頃)読んだものなので、本の内容はハッキリとは覚えていない。
ただ、こんなにも物事を考え、苦しむボクサーがいるのだと驚いた。
単にボクシングに対して苦しんでいるのではない。生きることそのものに苦しんでいるような気がして、驚き、共感した。
中でも、彼のバイブルとなっている本が第二次世界大戦下のナチス収容所での体験を描いたヴィクトール・E・フランクルの『夜と霧』であると知って、明らかに私がこれまでイメージしてきたボクサー像とは離れた存在だと感じた。

それ以来、村田さんの考えに心酔し、インタビュー記事なんかを読み漁った。
もちろん、ボクサー・村田諒太も大好きだった。ブラントに負けた時は信じたくもないという気持ちにもなったし、再戦で勝った時は思わず一人で声を出して唸った。
しかし、何よりも興味深かったのは、人間・村田諒太だった。
彼を知るために、夜と霧も読んだし、この目でナチス収容所を目にしてみたくなってポーランドにあるアウシュビッツ収容所に一人で行ったりまでしたほどだ。

見に行ったアウシュヴィッツ収容所の入り口(2018年)

そんな私にとって、本書が人間・村田諒太を突き詰めた1冊であり、心から感動した。
あまり良い表現ではないかもしれないが、ゴロフキンという絶対的チャンピオンに挑む前の緊張感は、「夜と霧」で描かれていた収容所にいる人々の緊張感に差し迫るものを感じた。

私は、村田諒太をとんでもなくカッコいい男だと思っている。
本書は、そんなカッコいい村田さんのカッコ悪い部分がふんだんに出てくる。

恐怖心、自尊心、承認欲求……..


ミドル級の世界チャンピオンに君臨するとんでもなく強い男が、私のようなしがない一般人が感じるものと同じような感情に怯え、翻弄されている。
本書にてそれを詳細に記録してくれたことが、村田諒太の凄さだと思った。

人は、必ず自分の弱さに向き合わなければならない時が来る。
ある人にとっては、自分の仕事の能力に対してかもしれないし、恋愛に対してかもしれない。受験や就職の時かもしれないし、大事な人とのお別れがあった時かもしれない。
自分にとっての予定調和が崩れ、恐怖や自信のなさが襲ってくる。
そんな時、その苦しみを人はどう乗り越えられるのか。
2種類あると思う。
一つはなるようにしかならないと考えて、その状況を受け入れる。
もう一つは、その苦しみをとことんまで考えることである。
そして大抵の人は、前者の形を取ると思う。なぜなら後者は、信じられないほどのパワーが必要で、見たくない自分を見ることになってしまうから。私を含め多くの人は、苦しみを考えることを放棄することで苦しみから逃れられているのだと思う。
しかし村田さんは、その苦しみと真正面から向き合い、それを本書に記録し、乗り越えた。
だから私は、彼が試合に負けても彼の人生の勝負には勝ったのではないかと思った。

含蓄のある本書に対して、なんだかまとまりのない文になって情けない限りなのだが、とにかく私が感じたことは、本書は私自身がこれから人生に悩み、苦しみ、それでも向き合わなければならない課題に直面した時、必ず読み返したい一冊になったということだ。

最後になりますが、村田さん、本当にお疲れ様でした。
私は、人間としてのあなたのファンであるので、ボクシングの競技生活を辞めたこれからあなたの活動がとても楽しみです。
遠くからひっそり応援しています。

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