僧侶が掘り進めた真言密教の修行窟<田谷の洞窟>
田谷の洞窟に行ってまいりました。
事前に日時を連絡しておくと、御住職から洞窟の説明をしていただけるとあり、予約して伺いました。
ここでは、定泉寺現住職からお聞かせいただいた話と、受付で購入できる「鎌倉の密教地底伽藍 田谷の洞窟(吉田孝 著)」に書かれている内容を元にまとめました。
1.歴史
定泉寺境内にある田谷の洞窟。
洞窟の歴史はお寺よりも古く、鎌倉時代に作られ始めたと言わている。
この場所には当時、鎌倉幕府の武将 和田義盛の三男、朝比奈三郎の館があった。
信心深い三郎は、敷地内の横穴に弁才天を勧請し日夜拝んでいたという。
その弁才天は、今も洞窟入り口に祀られている。
三郎が当地を追われた後、鶴岡二十五坊の僧侶により、弁才天は護持され拝まれていた。
その後、弁才天の祀られている横穴を僧侶たちが修行のために掘り進めたものが、田谷の洞窟の原型となった。
定泉寺は、鶴岡二十五坊のひとつである相承院の隆継阿闍梨により天文元年に建立されたが、江戸幕府の本末制度においては、横浜にある三会寺の末寺として記されていたようだ。
この辺りの事情については不明であるが、三会寺の住職であった寂照の導きにより現在の洞窟の形となったといわれている。
明治時代の廃仏毀釈で鶴岡八幡宮は破壊され、鶴岡二十五坊は廃絶してしまう。
洞窟も破壊される危険があったため、明治維新からしばらくは洞門を封鎖し、その危機を逃れたという。
2.洞窟について
洞内は上下3階、全長1000メートルとも言われているが、現在見学できるのは2階までの300メートル程。
崩落の危険があり3階は立ち入り禁止で、現住職も入ったことのない部分が多数あるとのこと。
洞内には、本尊一願弘法大師をはじめ四国八十八霊場、西国三十三観音霊場、坂東三十三観音霊場、秩父三十四観音霊場、両界曼茶羅、五大明王、十八羅漢、高野山奥の院など300もの仏像や梵字が壁面に刻まれている。
本来は修行僧のための道場だが、参拝することでお遍路やお札所を巡るのと同様のご利益があるとのことから、一般にも公開されているありがたい場所です。
阿字観瞑想の台座や、法要を行なっていたとされる石の舞台(?)のようなものもありました。
洞内は写真撮影禁止のため、中が見たい!という方は現地に行かれるか、公式の動画をご覧ください。
3.境内〜本堂〜洞窟へ!
参拝時間は9時〜16時まで。
最寄り駅である大船駅から徒歩30分ほど。
公共交通機関を利用する場合は、戸塚駅⇆大船駅のバスがある。(戸71・戸72)
「洞窟前」下車すぐ。
境内には、大日如来像、修行大師像、如意輪観音像が撫でられすぎて丸くなったという(!)玉石、奥にはお地蔵様もいらっしゃいました。
受付で予約した旨を伝え本堂に案内していただく。
ご本尊は阿弥陀如来、左手には不動明王と護摩壇。そして(おそらく)両界曼荼羅←見えなかった
巨大な厄除木魚は、厄年の方が年齢の数をたたき厄除を祈願するというもの。
福徳和合のご利益があるという歓喜大黒天の像もありましたが、珍しいものではないでしょうか。
本堂で御住職から洞窟の説明を聞かせていただいた後、受付窓口にて400円を支払い、蝋燭を受け取る。
これは、洞内を照らすためのものではなく、仏様へのお供物としての蝋燭。
残ったものはお下がりとして持ち帰って良いとのこと。
洞内をじっくり1時間近くかけて歩いたので残りはほんの少しでしたが、ありがたく持ち帰りました。
洞内は1年を通して16度前後で保たれており、夏は涼しく冬は暖かい。
壁面から水が湧き出しており、川や池のようになっている部分も。湿度は高く、苔や草のようなものが生えている。生命力!
ノミの跡が残る壁面や、真っ暗な洞内でどうやって掘ったのかと思うような無数の仏、ドーム状の天井に彫られた巨大な龍や三つ蝙蝠、暗すぎて奥が見えない穴も無数にあり、恐怖とは違う「畏れ」を感じる。
洞窟のご本尊である一願弘法大師は、数ある願いの中からひとつだけ祈願するとご利益があるとされています。
高野山奥の院では金剛水が湧き出ており、右手の人差し指に付けて体の悪いところにかざすとご利益があるなど(うろ覚え)
ひとつひとつをゆっくり見ると蝋燭が燃え尽きてしまう。次に行くときは替えの蝋燭も購入してから入洞したいです。
おわり
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