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三国志武将列伝②

さて、何書こうかと思ったけど、ちょっと時間が空いたので、三国志列伝の第2弾をば。

今日は魏から3人あげてみましょうかね。

曹操 孟徳
統率:92 武力:67 知力:89 政治:92 魅力94
特技:覇道 同一戦場にいる部隊の統率がプラス10される
個人評:

言わずと知れた魏の覇王(厳密に言うと覇王じゃない)、治世の能臣・乱世の奸雄、超世の傑、三国志の真の主人公である曹操。
彼は非道な人物として通っているが、非常に合理的な人物であり、だれかれ構わず残虐行為を行うような董卓とは違う。能力を好み、能力の高いものは身分を問わず厚遇し、抜擢する度量の広さを持っている。
用兵の妙も持ち合わせているが、彼の最大の特徴は、その人材活用にあると言える。適材適所に人員を配置し、要所要所で部下の意見を聞くことができる。ワンマンと思われがちだが、彼の幕僚の言葉を聞く力は劉備のそれとはまた違った良さがある。劉備は良くも悪くも「よきにはからえ」スタンスであるが、曹操は、最終的な決断は自分でする。その過程において幕僚の言葉をよく聞くのである。もちろん意見を聞かず失敗することもあるが。
物語の中で悪役として描かれる曹操だが、その人材活用術はまさに天下の傑物、時代を超えた天才であることは間違いない。
彼にとって唯一不運だったことは、同年代に、数多くの傑物が生まれてしまったことだろう。
日本史において、信長に比類されることが多いが、確かに二人は非常に合理的な性格であり、慣習にとらわれないという部分で非常に似ているが、信長が完全にワンマンであったことに比べ、曹操は幕僚の言葉に耳を傾けることができたのである。この差が、天下を治めた英雄と志半ばだ倒れた英雄の大きな差であると言える。


曹操は、というか、曹操にすんなり天下を取らせてあげていたら、中国史は変わっていたかもしれないですね。


張遼 文遠
統率:95 武力:92 知力:67 政治:64 魅力:89
特技:遼来来 騎兵部隊時移動力と攻撃力が増加
個人評:

言わずと知れた泣く子も黙る張文遠。呂布のもとで武将として活躍していたが、呂布が敗れた際曹操にとらえられ降伏した。
この際、命乞いをする呂布に「見苦しいぞ死ぬときは死ね!!」と言っておきながら自分はちゃっかり生き残るという離れ業を見せている。もちろんまだ若く、曹操にその武勇を認められ降伏したわけだが…。
彼が最も輝いた戦いといえば合肥での戦いであろう。李典、楽進とともに合肥の守りを命じられた張遼。少ない守りの中、呉が一大勢力で攻めてきた。
この時曹操は「撃って出ろ」と命令を下していた。その命令に従い撃って出ようとする張遼に対して、李典と楽進は籠城を主張した。
3人の間にいざこざがあったわけだがここで張遼が「俺は新参者で皆に嫌われてるのはわかっている。しかし、城の存亡を迎えている今仲たがいをしている場合ではないだろう!」と声を上げ、李典、楽進共に打って出ることを決意する。
この時の張遼の戦ぶりはすさまじく、わずか800騎で呉軍2万に突撃し、孫権をあわやというところまで追いつめるまさに軍神のごとき活躍をした。
この戦により、呉では「張遼が来るよ」というと泣く子も黙るという逸話が生まれるほどであった。
ちなみにこの戦において、張遼の決断はともかく、曹操の策は無謀でも何でもなく理にかなったものだった。大軍団で侵攻してきた呉は、手薄な合肥は一気呵成に落とせると思っていたであろう。もちろん油断もしていた。曹操はその虚を突き不意打ちで呉軍の出鼻をくじく策をあらかじめ用意していたにすぎない。
むしろ、この時の張遼の武勇が異常で、曹操もまさか呉軍を撤退させるまでに至るとは思っていなかったであろう。
この時の張遼はまさに軍神といえる武威を示したのである。
なお、とあるゲームのせいで「山田」とあだ名される張遼であるが、無双シリーズをやったことがない人には全く通じないしむしろ怒りを買うので注意すること。



ふたり分書いたらお腹いっぱいになっちまいましたw
荀彧とかも書きたいんすけどね。長くなるので次回にしましょうかね…


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