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「精神科病院」の外から「病院」と関わるようになってみて。

精神科病院から福祉施設で精神保健福祉士として務めるようになって早、2年と6ヶ月。外から精神科病院と関わるようになって感じていることを呟いてみようかと思います。


「先生」という存在

病院にいる時は、「先生」という存在が人生で最も身近になりました。
日々の業務の中で、先生方と仕事をしているという人生があるとは思ってもみないくらい、私にとっては「先生」と呼ばれる人たちは人生で遠い存在でした。

そして今。
一歩、病院の外に出れば、それまでの二十数年と変わり映えのない「先生」「病院」との距離感でした。

自分が勤めていた病院に通院する患者さん(今日はあえて患者さんと書きます)がいれば、多少は受診の同行で行くと多少の古巣感も当時はありました。

ですが、ある程度年数が経てば、病院という箱は同じであっても、そこにいる先生やコメディカルなスタッフも含め人の入れ替えがあります。
感じていた距離感というのは肩書きではなく、「人」だったということを改めて最近は感じています。

そして、先生方が背負っている責任や重責についても身近で感じていましたことも伝えておきます。

電話をかけづらい雰囲気

わたし自身が本来は電話が苦手という性分であることも関係していると思いますが、電話相談をするのは、改めて「しづらいなー」と思いました笑

通常、直接電話で先生とやりとりをすることは支援者であっても殆どないのが現状です。

病院の電話交換の方が出て、大体繋いでもらう相手は外来の看護師さんか地域連携室・医療相談室のケースワーカーでしょうか。

自分が病院の地域医療連携室・医療相談室に勤めていた時は、少しでも電話しやすい、相談しやすい場所でありたいと願いながら電話を受けていました。
もちろん人間なので、電話があまりに多かったり、一呼吸もおけずに次の電話が鳴り取らないといけないという時間が続くと、もしからしたら相手に嫌な思いをさせてしまったこともあるかもしれません。(ごめんなさい)

自分がケースワーカーだった時に心がけていたスタンスが他院の連携室や相談室のケースワーカーさんの一つの目安に今でもなっているので、そのように相手を起こしてみてはいますがが、「対応中のようです」等と聞くことが多く、一本で繋がることが多くはない実情に触れるとやっぱり電話しづらいです苦笑

「医療」という言葉に勝手にハードルをあげているのでしょうかね。
現在の職場内でも、精神科病院でのケースワーカー歴のない職員から、「こういう相談をするのは病院的にはどう思うのか?」「こういう情報は提供しておいた方がいいか?」などと聞かれたりすることがあります。

実際に電話してみると、どの病院でも大抵きちんと対応はしてくれます。
(あくまで運が良いだけかもしれませんが)

でも、現場にいた自分がそんな風なので、やっぱり総体的には相談しづらいんじゃないかという気がします。
改めて当時何度も何度も電話をかけてきてくれていた患者さんたちは、凄いなと思っています。彼らの怯まなさを尊敬しています。

言葉だけで伝える難しさ

それは病院のケースワーカーだった時代に、ご本人や地域の支援者からの情報から実際に起きていることと温度感を把握することの難しさを感じていました。
それと同じことが言えますが、「医療に伝える立場」になってその難しさもまた、感じています。

日常生活上の生活のしづらさ、お薬の影響など現場(ご本人も含む)と受け取り手の先生やケースワーカーとの間の切迫感のギャップであったり。
その方の生活を応援する体制、選択肢の違いが考慮されていないと感じたり。

切迫感を伝えるにも、あまり大袈裟に伝えればいいというものでもありません。
温度感を伝えつつも、感情論は抜きにして実際に起きていることと、医療が判断するための材料を的確に伝えつつ、支援体制の限界点を伝えることが大切です。

短い時間の中で伝えることもそうです。
次の機会は大抵早くても1週間後、長ければ1ヶ月、2ヶ月先です。

改めて、当時自分とやりとりしていた人の中には、こうした思いを抱き悶々としながらも電話をかけてくれていた患者さんや支援者の人たちが居たのではないか思うと力不足だったなと思います。
この思いはこれからの未来に生かしていきます。

「伝える技術」は診察の場に限らず、様々な生活場面で大切な力。
患者さんと一緒に成長していきます。
難しいという言葉ばかり書いてしまいましたが、最近やりがいを感じている部分でもあります。いかにして受診する本人の思いや自身の生活状況を、本人自身が先生に伝えられるようになるか。
1回の受診に相当のエネルギーを費やしている方も少なくはありません。
そのエネルギーが報われるようにお手伝いしたいと思っています。

病院の中に居て先生や看護師さんなど、より医療に特化したスタッフが身近にいる場から居ない場に移ってみて、時に見守る側の不安に関して、どんな時に感じるのかなどはより自分ごととして想像できるようになったことは、病院の外に出てみて良かったと感じています。
病院に居た時も勿論考えていましたが、十分ではなかったことを痛感しています。

病院の生の情報があまり入ってこない

病院に勤めていた時は、地域との連携もありますが病院同士の連携も多くありました。精神科同士もそうですし、身体科の病院もともです。
分かりやすい連携の例は「転院」です。

入院相談は、医療機関からも寄せられます。
逆に、こちらからも依頼をかけることがありました。

そうしたやりとりの中で、この病院には今後も何かあったら相談させてもらいたいなと思う病院もあれば、ここには今後相談したくないなと思う病院もありましたが、それが生な情報だったと思います。(それを感じるのは受け入れをしてくれたかどうかよりも電話での対応がやはり大きいです。対応してくれた方がその病院を代表する存在だから)

一歩外に出てみると、医療機関の生の情報を得るには、実際に電話をしてみたり、かかってみるしかありません。ホームページがある医療機関もありますが、実情が一貫していないところも当然あります。
センシティブなことを扱う分野だからこそ、当てにできる情報がもっとオープンになっていくにはどうしたらいいものだろうか。
きっとこれは長いこと地域の課題でもあったのだろうと思います。

最近では、まだまだ閉鎖的な日本の精神科医療へのアクセスを試みて、精神医療人権センターなどのNPO法人の皆さんが地道に病院へコンタクトをとり、病院訪問を行い地域住民に少しでも生の情報を届けるべく尽力してくださっています。


今回は、一旦このあたりにしておきます。
病院の中にいた時には、その中でどう地域の資源の一つとして機能していけるのか、病院という組織の職員の一人としてどんな機能を担えるかを考えていました。

「人」と「人」もそうですが、「組織」と「組織」でも、互いの現場を想像し、精神科の病院がより開かれた場所となるように、微力ながら今与えられている環境での役割を果たしつつ、+αで自分の色として、こうした経験からの視点を出していけると良いと思っています。

開かれた場所という点では、今勤めている施設も同じです。
今、いかにして自分たちが提供していることを知ってもらい、ニーズのある人たちのところに知ってもらうかを個人的には通常の支援と並行して強化したいと思って色々発信の仕方を模索中です。

拙い文章でしたが、今回も読んでいただきありがとうございました。

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