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死んだ推しが忘れられない



死んだ推しが忘れられない。忘れなくていいし、忘れたくはない。

今でも彼のことを想うとまともな文章が書けないので、めちゃくちゃ散文をお許しください。

そんな推しについての3つの記述と散文。


①推し「ジョンヒョン」という男

ジョンヒョンという男。東方神起らを輩出したSMエンターテイメントのアイドルグループ「SHINee」のメンバーであり、ソロアーティストとしても多くの楽曲を発表。今だからこそ、アイドル自身が曲を書いたり誰かに提供したりすることは珍しくないことだけど、彼が活躍していたころはまだ珍しいことのように思えた。アイドルを目指す前は作曲家志望であったらしい。

こんなアイドルらしい甘い歌詞を書くこともあれば

「僕の心臓息遣いも全て持ち去って どうか心を開いて」

引用元:https://ameblo.jp/elpis14/entry-12219029150.html

こんなメロウおしゃれ~って感じの曲も書いたり

この曲含め、このソロ活は彼の初めてのソロアルバム活動だったこともあり、彼の繊細な一面がよく見えるものだった気がする。それも一ファンから見たものでしかないんだけど。

衝撃的だったのはこれ!いい意味で、それまでのアイドルらしくなかった。

「小さな目とそこから放たれる眼差しが好きだ」

「太めの眉僕はそういうのが好きだ」

「他人の目にどう映るのかなんて気にしない」

「君の目には醜く見えたとしても 君の目には醜く見えたとしても」

引用元:https://ameblo.jp/merody-0126-2/entry-12163989487.html

今よりももっと「女性はこうあるべき!」「これがかわいいの正解!」ということが、みんな口に出さずとも暗に世界の常識のようにふるまわれていたころ、ルッキズムというか美醜や常に「だれから見ても完璧でいること」を求められるしんどい世界の中にいた彼の口から、上記のような言葉が出てくるのがとても新鮮に思えた。自分の顔面に自信のなかった私はちょっと救われたし、同じことを思った人はもっといると思う。


②考える男、「ジョンヒョン」

彼は深夜ラジオのパーソナリティとしても活動しており、そこでよく自分の考えを真摯に話していた。彼は自分に向けられた意見に真摯に向き合う人だった。

ラジオ番組内で彼は「女性はすべての芸術家にもっとも大きなインスピレーションを与えるミューズのような存在だ」と発言し、炎上をしたことがあった。これに対して、フェミニストを名乗る方とのメッセージを重ね、自分がどのような考えを向けられていたか、自分の発言のどのような点が人々を混乱につなげたかなどを話し合った。

炎上という形になってしまったことは残念かもしれないが、この機会において相手の方を含め、異なる立場の者同士が真摯に言葉を交わし、話し合えていた姿がとても印象的だった。だってインターネットで見るこういう話し合いって、基本話し合いになってないことが多いし。

一ファンの目から見るだけでも、彼は息つく暇もない忙しい日々の中で、常に何かを考え、そして言葉を選びながら慎重に何かについての考えを伝えようとしている、とても繊細で丁寧な人のように思えた。そんな彼だからこそ、こんな汚ねぇ~世界で生きてることがつらかったんだと思う。

彼の最後のソロアルバムには、なんだかふさぎこむような気持ちというより、なにかを諦観しているような歌詞が多いように感じられた。

パフォーマンスにおいて、上半身裸で力強い姿を見せることが多い印象があった彼だが、その姿とまるで別人だとでもいうように、外の世界とを落ち着いた眼で眺めつつ、内省している姿もまた彼の印象として大きいものであったように思う。

なんでいなくなっちゃったの。


③「ジョンヒョン」がいなくなって

私が大学一年生の冬、2017年12月17日、彼はこの世を去った。

4年経った今でもあの時のことを思い出す。大学の帰り道にスマホを開いたら飛び込んでくる「急逝」の文字。人目もはばからず、京都市街の大通りでワンワンと泣いた。いまだに彼がいないことに実感が持てない。SHINeeが4人で活動を再開したり、気軽にジョンの名前を出したりすることが増え、みんなそれぞれ彼の死に向き合って生きているんだなと思うたびに、彼の死を受け入れられない自分がどこかにいることに気づいて自己嫌悪が止まらない。

私はアイドルとして彼を好きになり、「表現者」として、「人間」として彼を尊敬していた。今でもそう。

あれから4年。お世辞にも彼に近づいたとは言えないけれど、楽曲制作や短歌制作を続けて「表現者」になり、そして2020年に予期せず「アイドル」になった。私も彼と同じような病気をして、日々思い悩みつつも、生きることを諦められない日々が続いている。

いまでもまだ彼の背中ばかり追い続けている。彼がいたという事実がある限り、私は音楽を続けるだろう。

2022/1/12 高熱コロナ疑いで自宅待機になりながらの執筆。

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