黒蜜すみ

思いつきをつらつら

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最近の記事

日常小ネタ

アンパンマンの歌微妙に間違われる

    幸せってもっと根源的なものかもしれない

     私は趣味で絵や漫画を描いたりする同人女なので、それに関する悩みや苦しみをたくさん抱えてきました。  けどここ最近になって「これは」と思うことがあったので、自分のための備忘録的にメモです。  私は長らく絵を描いていて、常々「評価されない」「神絵師になれない」「大手になれない」という点がコンプレックスとなっていて、こんなに描いても報われない自分なんて描く意味がないと度々考えてきました。  けど、よくよく考えれば、私は果たしてそんなにずっと不幸だったかな?と思い返してみると、確

    幸せってもっと根源的なものかもしれない

    失敗は経験という糧になる

     私はいっぱい失敗してます。もう本当に自分でもバカジャネーノ!?と思ったり、人様に多大なる迷惑をかけたり、何かもう本当にすみませんという気持ちです。  他人に迷惑がかかったり、あるいは命をなくすほど重大な失敗はできるだけちゃんと避けるとして、しかし自分だけが恥ずかしいという失敗は案外たくさんすればするほど、それがレベル上げになるのではと思いました。  具体的にいうと例えば服に関する失敗とか。凄く気に入って買ったはずが自分には似合わなかったり、着心地が悪かったり、そういう

    失敗は経験という糧になる

    他者承認より自己承認

     自分のための備忘録です。  度々目にする承認欲求の話題に触れるたび、かつてアドラー心理学についての著書を読んだ時に覚えた、「課題の分離」についての考えを思い出します。  他人に対して過剰な期待を抱いたり、イライラやモヤモヤを抱えてしまう時には、他人はコントロールできないのだから、自分がコントロール可能な範囲のことだけ考えるという切り替え方をしています。  自分の場合は、体から繋がっている他人の課題をハサミで自分の体からチョキチョキ切り離していくイメージです。  いつも思

    他者承認より自己承認

    自分という人間は正しく伝わっているのか?

     本日実家に帰省して気付いたことがあります。  私は両親(特に母)に対して、「私のやりたいようにやらせてくれない」「私のことを分かってくれない」と、そういった凝り固まったわだかまりのようなものを抱えていました。  一昔前の学生時代などは特に厳しく怒られたりしつけられたり、思い返せば当時の自分は今より馬鹿でちゃらんぽらんであほで聞き分けも悪く反抗的で人間のクズみたいな時期だったりしたので、ある種健全度の高い家庭にて育ったと感じています。アラフォーになったからこそ分かる、父と母は

    自分という人間は正しく伝わっているのか?

    私は承認欲求が強い

     明けましておめでとうございます。アラフォー同人女は完全朝型生活のため、昨晩年が明ける前には既に寝落ちて、ワンテンポツーテンポくらい遅れて「あけおめ」挨拶をするという具合でした。  昨日の大晦日から今日の元旦にかけて、自宅のテレビでは延々と「孤独のグルメ」の一挙放送を流し続ける、非常に平穏な年末〜年明けを迎えております。  よくよく陥る現象のひとつに、「月が変わると新しい気持ちになる」ということがあり、ぐだぐだと時間を無駄に過ごしているような自堕落的生活が続いていても、毎月1

    私は承認欲求が強い

    需要は「ある」か「ない」かではなく「作る」

     一次でも二次でも長年創作活動をしていると、誰かしら何かしらの機会で思ったことがあることといえば、「私の描くものには需要がない」問題なのではと思います。  アラフォー同人女の私もかつてアラサー同人女だった辺りの頃は、よく「反応がない」「私の絵には需要がない」「病む」のようなことを散々繰り返してきました。  そんな「病む」状態の時に度々考えることといえば、「絵が描けるからといってこんな中途半端な画力ならいっそ描けない方がよかった」といったことですが、今の自分からしたら「何を言っ

    需要は「ある」か「ない」かではなく「作る」

    何者かになりたいという呪縛

     クリエイティブな活動で生計を立てている方々に憧れるという観点から、一応イラストや漫画は書いているけど、閲覧数も低く知名度もほぼゼロの私ですが、長らく「何者かになりたい」という欲求に縛られていたのではと思いました。  ここでいう「何者か」は主に「神絵師」「大手サークル」「アルファツイッタラー」などが当てはまります。私は絵描き、漫画描きとして認められたいという気持ちを長年拗らせていました。  一応最も病んでいた時期は抜け出したとは思うのですが、たまに疲れや眠気など体調の不良に

    何者かになりたいという呪縛

    私服の制服化というミニマリズム

     服が好きです。しかしセンスがあるかというとそんなでもないので、自分の中で服装のパターンを決めました。  仕事用と趣味満載の私服で分けています。  分けたパターン化の中で限りなく思考停止しつつも服を楽しむため、自分の場合トップスで遊びボトムスを固めるという方法です。  これは自分が好きだと思う服の種類が、トップスのが多いという点で結果的にこうなりました。  現在、仕事用のボトムスはレッドキャップの黒のチノパン、私服用のボトムスはジーパン色々という具合です。  遊んでいるトッ

    私服の制服化というミニマリズム

    凡人の私がクリエイティブなごっこ遊び

     アラフォー同人女です。私はクリエイター的な職業への憧れが非常に強く、インターネット上や各種イベントなどでも、クリエイティブな活動をされている方々に対し、常々羨望の眼差しを向けています。  そんなクリエイター大好きな私ですが、幼少期から絵を描くのが好きで、また、娯楽の一種として出会った漫画に夢中になりました。  思えば、父が生粋の読書好きで、その読書の幅は広く、文章から漫画まであらゆるものを読みまくるため、実家には名作の漫画もたくさん揃っているという、ある意味漫画エリート養成

    凡人の私がクリエイティブなごっこ遊び

    創作で好きは諦めなくていいのかもという話

     長らく二次創作の世界に身を置いていましたが、アラフォー同人女はこの歳にして、初めて一次創作での同人活動を始めました。かれこれ2ヶ月前くらいのことです。  きっかけは友人に誘われたcocTRPGを始めたことで、最初は自分や友人たちのプレイヤーキャラのイラストを描いたりする軽めのものだったのが、1人掘り下げたいキャラができた関係で、そのキャラを中心としたストーリーが気付いたら脳内で展開されていて、これは描くしかないと思った勢いでした。  二次創作を始める時も頭の中に勝手に描きた

    創作で好きは諦めなくていいのかもという話

    Twitterの反応は好きを鈍らせる

     タイトルの通りです。 かつて私は「Twitterなんかやってられっかチクショウクソが!!!!」みたいなブチギレ方でTwitterなんか辞めてやると思いつつ、結局使い続けているという非常にカッコワルイムーブをしています。  理由は大きく2つあります。 ①Twitter上で交流している方々がいる ②自分の創作を発信するのに、プラットフォームとして結局Twitterが使いやすい  このような理由で、度々イライラしたりモヤモヤしたり、きっと抱えなくてもいいであろう、余計な負の感

    Twitterの反応は好きを鈍らせる

    かつて選ばれなかった絵描きの私

    私は漫画やゲームなど、原作がある作品のキャラクターへの言葉にできない、おさまらない感情を発散するため、二次創作という手段を使う、いわゆる同人女です。 二次創作活動、同人活動を出力する側での経験がある方は何となくお分かり頂けるのではと思いますが、ただ好きだというファン活動から逸脱した思いが芽生えること多々ありです。 その中の1つとしてあるのが、承認欲求を拗らせるというものです。 神絵師になりたい、大手になりたい、1度でも思ったことのある人もいるのではと思います。 私はそのような

    かつて選ばれなかった絵描きの私