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違和感のきっかけー子どもの予防接種について考えたことあれこれ①

私の息子は4月から一年生になる。
生まれてから一度も予防接種を受けていないし
薬も漢方薬をほんの少し飲ませたことがある程度。
熱が出ても基本頭寒足熱でお風呂入って寝るだけで治ってきました。

かといって私はものすごく意識が高い母でもなんでもなくてズボラでいい加減な人間。

ただ、予防接種については本当に悩んで悩んで悩みすぎて気持ち悪くなるくらい悩んで結局一本も打たない選択をして今に至る。

その中では私独自の考察が色々出てきて
それが誰かの役に立つかなんてとてもいえないような妙な哲学もたくさんあるのだけど
でも私と同じように悩んでいる人にとって
もしかしたら何かのヒントになるかもしれないという気持ちがずっとあった。

だから、これから少しずつでも書いていこうと思う。

そもそも、どうして私が世の中の常識に対して疑問を持つようになったのか、、

それを振り返ると
やはり私自身の生きづらさからくるものだった。

(ここでもう話がワクチン💉から完全に逸れることが決定😅でも思いつくまま書いていきます)

私は精神不安定でくそ真面目な家庭に育ち、子どものころからいつも漠然とした不安に苛まされていた。
知り合いやどこかの親戚が病気だという話を親がいつもしていたし、不調があればとにかく早く病院で見つけてもらうのが正しいと信じていた。

でも一方で子どもの頃からどこか冷静な自分がいた。
例えば6年生の時に2週間熱が下がらなくて病院に行ったことがあった。
肺の検査をして「肺炎かもしれない」と言われたし、扁桃腺が腫れて「精密検査が必要かもしれない」とも言われた。
でも、気づけば治っていた。
それは薬のおかげでも、先生の診察のおかげでもなかった。
子どもながらになんとなく、それは感じていた。

治る時がきたから、治ったのだと。

それでも、もちろん病院が大切だと信じていたし、注射も何の疑問もなく、当時学校でやっていた集団摂取をうけていた。
だから、予防接種は大事なものだろう、くらいの常識的な感覚しかなく、大学時代にボランティアでカンボジアに渡航する際もなんの疑問もなくすすめられたワクチンをすべて受けた。

そういう、「ふつう」の世界にいた私が、だんだん「ふつう」からそれ出したのは、大学3年生の頃からだった。

そのころ私は、失恋とか自分に対する自信のなさとかありとあらゆる刺激の激しさからその年頃によくあるともいえる「メンヘラ」状態に陥っていた。
友だちの家に入り浸り泊まり込んで家に帰らず大好きなCoccoをリピートして自殺を考えたり摂食障害にもなっていた。

授業に出ても寝てばかりで全く頭に入らず、寝る間も惜しんで取り組んでいたボランティア活動に行こうとしても気分が悪くなって足が向かなくなり、前向きに就活をはじめている同年代の友達からどんどん取りこぼされていくような焦りと不安の中にいた。

親とは仲は悪くなかったけど元々感覚が合わず、理解されないだろう悩みを相談することもなく、大学への道中のあらゆるお店のトイレで吐いて情けなくて泣いて意識は朦朧となり、どんどん追い詰められて行った。

なんとかしたい、なんとか立ち直りたい、このままじゃやばい。と思った私は心療内科を探すようになった。
病院に行けば何とかなるんだろうと思っていた。
今思えばすべてはそこから始まっていた。

(このシリーズは長くなりそうだから少しずつ書いていきますね!)

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