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終わり、そして始まり 4 (妹)

母の逝去の知らせから10日くらい経って頃、妹の芽衣からの連絡で、母が住んでいた家を引き払うという。晩年母が住んでいた場所を一度この目で見たかった私は、沖縄に行くことにした。

沖縄に行った当日は、名古屋の家を朝の5時に出て、中部国際空港から沖縄へ約2時間のフライト。
那覇空港には9時過ぎに到着した。

那覇空港を出て予約していたレンタカーを借り、母が住んでいた町に向かった。
芽衣とは母が住んでいた家の近くで落ち合うことになっていて、そして、母の家の前に着いた時は正午を回ったところでした。

家の前に到着して直ぐに、芽衣も車でやってきた。

芽衣は車を家の前に止めた後、車から降りて、私が止めている車へと歩いてきた。私も借りてきた車から降り、近づいてくる芽衣の所へと歩き出した。

「初めまして」、ちょっと緊張気味に挨拶すると、芽衣も「初めまして」と、彼女も少し緊張気味に返してくれた。

48年間、兄妹というものを知らなかった私の目の前に妹がいる。ものすごく不思議な感覚。
手を差し出し握手。少々二人とも緊張しているのが伝わる。

これまでずっと一人だと思っていた自分に、弟妹がいるというこの嬉しさは、逢えずに亡くなった母への悲しみを和らげてくれた。

「じゃ、家に案内するね」

芽衣に案内され、母が住んでいた家に入った。
やっとたどり着いた母の居た場所。しかしここにはもう母は居ない。
母の名残を探して家の中を歩き回る。母の匂い?
懸命に遠い昔の記憶を探るけど、何も思い出すことが出来ない。

部屋の真ん中で佇んでしまった私の所に、芽衣が母の遺品を持ってきた。そこには私が幼かった頃の写真が何枚かあった。

見覚えのある写真。私も同じ写真を持っていて、それをFacebookのプロフィール写真にしていた。その写真が芽衣たちと繋がるきっかけとなった。

私は忘れないように、母が最期に住んでた家の中の写真を何枚か撮って回った。
そして、芽衣が遺品を整理している所を撮った時、彼女がボソッと呟いた。

「私、母が再婚であることを最近知ったんです。」
「だれも教えてはくれなかった。」

芽衣はちょっと寂しげに私を見たあと、また下を向いて、母が趣味だったという編み物の服などをたたみ始めた。

母と娘の関係は良好ではなかったのか? 私は心に思いながら、芽衣のお父さんの話や、その父が病気で亡くなったこを聞いた。

また弟の直樹は、お父さんが亡くなって、遺品を整理していた時に、押し入れから私と私の父の写真を見つけ、母が初婚ではなかったことを知ったらしいと、芽衣は私に話てくれた。

母の形見として名古屋に持って帰れる物をまとめた後、私に会いたいといってくれた、まだ一度も会ったことのないおばあちゃんの所に行くことにした。


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