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溜め込まずに、言葉として出しちゃおうと思う話。

 こんばんは、スミレです。

 専門学校の入学式も終わり、来週から本格的にジュエリー作りについて学ぶ授業が始まるということで、待ちきれないほど楽しみです。

 授業は楽しみなのですが。心底楽しみで仕方がないのですが。
 早くも「しんどい」が顔を出しておりまして。

 過去の記事にくどいほど書いてある通り、私、喋ることが大の苦手です。今までの記事で目立つのは、高校内部でのプレゼンや卒業式の答辞など、「そりゃ誰でも緊張するだろうよ」という如何にもなシチュエーションでしょうか。

 ですがそんな、如何にもなシチュエーションに限った話ではないのです。
 ほんのちょっとの雑談も、ほんのちょっとの挨拶も、本当は苦手です。

 いえね、人が嫌いとかではないんです。むしろ人の話を聞くのは大好きです。
 自分では見えなかった世界をお裾分けしてくれるという点では本なんかでも良さそうですけれど、それでも人から直接聞く方が楽しいと感じます。その人が生き生きと語る様子も含めて。
 嬉しそうにしている人を見ると、何だか自分まで嬉しくなるような、あんな感じ。

 なんですけれど、いざ自分が話す番になると、途端にダメになってしまうのです。例え話をしている相手がどんなに物腰柔らかろうとも、頼りになろうとも。
 なんというか、言葉がどこかに吹き飛ぶというか、上顎に張り付いてナントカっていうやつになるというか……。
 言葉のキャッチボール、受け取るのは大得意でも、投げるのがすこぶる下手っぴなんです。(「へたっぴ」の予測変換に「令和」が出てくるのは何故?)

 人の話を聴くという大好きな時間でさえ、あいづちは恐る恐るでやっています。
 「おはようございます」も「こんにちは」も、全力雑巾しぼりでもしてるんかってくらい力まないと口から出ていきません。
 言葉と一緒に体の動きもピタッと止まってしまいます。

 これの何が「しんどい」って、中学生の時にこれで不登校になったことがあるってことなんです。専門学校にまで進めたのに、ここでまた同じことをしてしまうかもしれないだなんて、考えただけでも耐えられそうにありません。

 でも落ち着いて考えてみると、通信制高校に通っていた時は不登校どころか学校大好き人間に変貌していたんですよ。お喋り嫌いは変わっていないのに。

 この差はなんなんだろう、それが分かれば専門学校でもやっていけるんじゃないか。
 そんなわけで、自分なりに振り返ってみました。

 中学時代と高校時代での違いは、「弱音を口に出したか否か」です。
 中学生の時は、周りの大人が望むような、しっかり勉強してしっかり人と話す生徒の振る舞いしか許されないと思い込んでいました。だから、教室が苦手とか話すのが苦手とか、そんなことを言っては怒られる・理解されないものだと。そんなふうにひとりで抱え込んでいました。

 対して高校生の時は、様々な授業に参画していく理由として「こういうことが苦手で、それを克服したいから」と正直に口にしていました。ネガティブな意味での開き直りではありましたが、何かを苦手だと思う自分を無条件で受け入れることができている状態でもありました。

 口にすると何がいいって、周りが「こうしてみればいいんじゃないか」と勝手に推察してくれることです。自分では思いつかなかった「こうしてみよう」が、口にすればするほど寄付されるのです。
 寄付された「こうしてみよう」で抱え込む分が減るし、例え抱え込む分が減らなかったとしても、自分がペシャンコにならないよう手伝ってくれるタイプの寄付としてプラスになります。

 だから、どうにも辛いって思ったら・どうにも辛くなってしまうことが起こりうるのなら、弱音として言ってしまおうかなと思いまして。
 弱音ばかり口にするのも考えものですが、私には「無理して『大丈夫・平気』って言っちゃう」癖がかなり強めについています。ちょうどいい感じに±0になってくれるんじゃないかなって()。

 今のところの計画としては以下の通りです。
・初回授業の自己紹介で「自分喋るの苦手やで」的なセリフを入れる
・通っている精神科でちょっと相談してみる
・学校の先生に直接「こういうのがしんどくて……」と話して知ってもらう

 私が今後の学校生活に抱いている不安は、今のところは「人と喋ること」くらいです。もし何かしら増えたとしても、まあ今書いてきたような流れでなんとかするでしょう。

 まだ始まったばかりですから、焦らず、一個ずつ進んでいこうと思います。きっと、先の未来で会える自分はめちゃくちゃカッコよくなっているから。

 ここまで読んでくださりありがとうございます。

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