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ヤングケアラーだったかもしれない

 こんにちは、スミレです。
 私は人と話すことが大の苦手です。いわゆるあがり症なのでしょうが、名称にこだわりはありません。
 それでも、このままだと社会に出た時にやっていけなくなるのでは、という心配があるため、克服を試みています。高校では少人数でディスカッションする授業や、全校生徒の前でプレゼンする機会などが多くあるので、失敗が許される今のうちにと思って参加するようにしています。

 克服のためにできることはなるべくやりたくて、そもそもどうして話すことが苦手になったのか、そのきっかけを振り返ってみたことがあります。

 その前に。克服しようと前向きになれたり、苦手になったきっかけを振り返ってみようと思えたりしたのは、探究の授業のおかげです。一人称の困りごとを解決するのに十分な時間を与えられる授業だったし、参加者の中に辛い過去を頑張って振り返ることで今後の指針を見つけた先輩がいたので、自分なりにも頑張ってみようと思えたのです。

 さて、前置きが長くなりましたが、話すことが苦手になったきっかけの話に移ります。それは、私がヤングケアラーだったかもしれないということです。
 自覚したのは高校2年生の時。これまた探究の授業で、ヤングケアラーをテーマに据えて活動していた先輩がいました(上記の先輩とは別人)。曰く、たくさんの人たちに現状を知ってもらいたいという思いがあったそうで。
 その先輩と探究の授業で出会うまで、恥ずかしながら私はヤングケアラーという言葉自体を知りませんでした。
 参考までに、ヤングケアラーとはどんなものなのかが説明されているサイトのリンクを貼っておきます。

 先輩も上記のサイトと同じように説明してくれました。それを聞いていた私は初め、他人事のように感じていました。
 両親は壮健だし、一人っ子だし。要はヤングケアラー=身体的な介護・世話だという先入観を持っていたわけです。
 しかし説明の中で、強い衝撃を受けた一文があります。

日本語が第一言語でない家族や障害のある家族のために通訳をしている。

https://kodomoshien.cfa.go.jp/young-carer/about/#about

 通訳。身に覚えがありすぎる。
 というのも、過去の記事に時々書いているのですが、私の母親は外国人です。第一言語も当然日本語ではありませんし、母語以外の言語を習得するのは至難の技だと、母を見ていて常に感じています。

 当たり前ですが、日本で暮らす上で、日本語を理解していなければ乗り越えられない場面は無数にあります。
 市役所などでの手続きは、使い慣れない言葉が盛りだくさんな書類を読み込む必要があったり、ローマ字で記入できる欄はそう多くなかったり、職員と言葉を交わすにも難しい日本語が出てきたりします。
 学校に通う子供がいれば、配られる手紙は「日本語が第一言語な大人」向けの文章だし、連絡帳の記入欄は縦書きで日本語しか書き込めなさそうに見えるし、授業参観や三者面談では日本語での応酬ばかり。
 買い物では、商品名に漢字があるとなんの商品なのか見当もつかない物があることもあるし、食品ではアレルギーの物が入っていないか確認しようにも「落花生」なんて書かれていることが多いし。
 バスや電車に乗るときは、どこに行けば乗り込めるのか、どこで降りればいいのかも日本語優先で表示・アナウンスされる。もし間違った場所に辿り着いてしまっても、道案内を頼めば日本語が返ってくる。

 母がこれらの状況に立たされた時、決まって幼い私もその場にいました。そして通訳係を担っていました。何故って、私の方が日本語を扱えるから。
 父親は日本語が第一言語な日本人なので、じゃあ父に頼めばいいと思うかもしれませんが、職に就いている以上いつでもどこでも着いてきてくれだなんて言えません。
 私は日本語しか分からないので、通訳といっても簡単な語彙に言い換えるくらいしかやっていません。今ならスマホを持っているのでグーグル先生に助けてもらうことも多いです。

 通訳係として母に着いていき、大人と母の間に入って通訳していました。
 いつもです。幼稚園や小学校に通っていて、常用漢字の学習が済んでいない頃も。中学校では人が怖くて不登校になり、家から出ることすら辛かった頃も。
 よく知らない大人を相手に、子供から見ればまだ難しい日本語を相手に。

 その上私は、「私の失敗がとんでもない事態を招くのではないか」という不安を常に抱えていました。
 市役所(支所だったかも)に行った時の緊張は群を抜いています、やることなすこと全てが重要事項ですから。バスや電車も、乗り慣れていない私が先導を任されたということは、目的地に、時間に間に合うように辿り着けるかどうかも、全て私に懸かっていたということです。

 おかげで国語の成績だけはいい評価をもらえましたが、代償と言うべきか、「会話=怖い」という思い込みが骨の髄まで染み込んだのでしょう。
 別に私がヤングケアラーに該当するかはどうでもいいのです。どうせすぐに便宜上の大人になりますし、「このやり方では伝わりにくいのではないか、どう工夫すれば相手に伝わりやすく表現できるか」と考える力や思いやりは鍛えられたので、いい経験だったと思っています。
 話すことへの苦手意識を克服するために、上記の情報を見つけ出せてよかった。それだけです。あとは安心できる場所で挑戦しまくることだけ。

 私の頭の中をただ整理しただけですが、誰かの、何かの参考になることを祈っています。
 ここまで読んでくださりありがとうございます。

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