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ファムファタルを名乗る女たち

大学時代の知り合いや友人、とりわけ文学なんかをやるようなカルチャー系・女子生徒の中に、一定の割合で己を「ファム・ファタル」だと名乗る奴らがいる。

femme fatale

ファム・ファタルとは、運命の女,宿命の女。

例えばわかりやすく言えばオペラ『カルメン』のカルメン、ディズニー映画にもなった『ノートルダム・ド・パリ』で言えばジプシーのエスメラルダ。

圧倒的な魅力と美しさで主人公の男を狂わせてしまい、やがて破滅へと誘う女のこと。

一時期のフランス文学で大流行したキャラクター像だと習った。気まぐれなカルメン、物を買わせまくるマノンレスコー、(※ただし同時に自分も死ぬ、というのがお決まりのオチなのだが)

私は卒業論文でノートルダムドパリについて書いた。調べ物をする中で、エスメラルダのようなファムファタルは異性愛シス男性たちのファンタジーとか、ある種のマゾヒズムとか、そういうものなんだと書かれた本に何冊か出会った。

でも同時に、ファムファタルになりたい女も一定数いるのだと思う。

あまり触れたくない話だったのだが、今日は自分の中のファムファタル願望と、
ハタ迷惑を承知で、どうしたら実践に移せるのかを考えてみようと思う。

鼻で笑いつつも、たしかに、ファムファタルに憧れる女の気持ちはわからなくもない。

.....いや,スミマセン、それどころかとてもわかります。憧れます。というのが本音です。

一介のフェミニストいえども、そう思うことはよくあるのだ、むしろそっちに引きずられないためにフェミニストをやっている、みたいな部分も、ある。

圧倒的な魅力で人(男性)を惹きつけ、狂ったように愛を注がれ、やがて破滅に追い込むくらい他人に影響を与えてみたい、という暴力的な願い。

映画や小説じゃあるまいし、そこまでは行かなくても、1人の,あるいは複数の人間に性的なニュアンス込みで強く求められ、でも決してこちらから媚びたり、惜しみない愛を注いだりせず、余裕の態度で澄ましてただそこに、いる。

集団と和を尊び、奔放であることが極めて難しいこの国で女をやってきた私たちが、憧れてしまうのは別におかしなことではない気がする。

もっと俗なところでいけば、一定数の中に「フーン面白え女」になりたい、自己投影したい願望があるわけでしょ。出なければその手のレディースコミックが人気な理由が説明できない。

しかし、私はファムファタルを名乗る女たちに余計なお世話を承知で言いたい、

自分で名乗ってるうちは、絶対ファムファタルたりえないぞ!!!!と。笑

これは彼女たちに対するシンプルな共感生羞恥、あるいは同族嫌悪なのかもしれない。

また、巷に「ファムファタル」自認がそんなにボコボコいてたまるか!誰が本物か勝負しようじゃねえか!という謎の対抗心もあるかもしれない。

思うに、「宿命の女」は、単に見目麗しさや若さ、愛嬌だけで、自称してなれるものでもないと思う。


大前提として、思わせぶりな態度や酷い言動、お金をせびるなどの行動をとり、人の愛情を利用して、人生まで狂わせてしまうのは倫理的に、社会的によくない。モラハラ、DVの類である。


しかし、奔放であれない私(あるいは私たち)が
、少しでも「忘れたくても頭から離れず、自分の人生に絡んできて、破滅するくらいの影響を与えてくる面白え女、奔放な女」に近づくには、どうすればいいのか。

先日の、学生時代の文化祭の傷を7年もかけて癒しているような小物には、到底辿り着けない境地かもしれないが、私なりに考えてみた。

(ベタだけど)目指せカルメンと猫!

女と猫は呼んでもこないが、呼ばないと寄ってくる。

私が小説の『カルメン』で1番好きな箇所だ。

保護猫カフェにいき、猫たちと接していると、本当にこの言葉は真理だな!!と感じる。

あいつら、関心のないふりをしていると寄ってくるし!!

"女"の部分は、男性にも、性別を決めてない人・どちらともしていない人に置き換えても成立するだろう。いつでも良くしてくれる人に対して、冷淡になってしまうのは人間の特徴なのかも。

昔の自分は性格上、1人の人を好きになってしまったら執着がひどかった。一日中その人のことを考えていたり、連絡が来ないのは自分に魅力が足りないからだよつと大真面目に考えて、改善点を洗い出したり。は〜意味ねえ〜!

こんな話はもっとも、あらゆる女性向けコラムや恋愛ノウハウ本で語り尽くされ、腐りかけていると思うが、それでも生み出され続けるのは実践が極めて難しいからだ。

連絡を取らなければそのまま一生会うことはないかも、後からなんであの時追いかけなかったのだと後悔するかも、、?と思い、ついくだらないメッセージをしてしまったり。

でも経験上、ほぼ確で裏目に出てきた。そんな惨めなファムファタルがいるわけがない。

ピンとこなければとりあえず足を伸ばして猫カフェに行くといいと思う。できれば支援にもつながる保護猫カフェに。

猫カフェの猫たちから学べることは多いと感じる。(わたし猫みたいに可愛くないし、とかそんなことは野暮ですよ。)

代替不可能だからファムファタルなのであって


あとは自分の世界観を持っていて、唯一無二であること。己のブランドがあることかな,と思う。

変な見栄を張れ,と言うのではなく、安くてもいいから自分に似合う服や髪型、話題の選び方、会話のし方。

わたしが個人的に気をつけているのは、①姿勢と、②しっくりきてない・納得感のない服を着て人に会わないこと、③相手の話をくどいくらい目を見て真剣に聞くこと、である。

ああ、〇〇さんらしいスタイルだな、と他人が感じるような、他に替えの利かない自分でいたい。唯一無二の存在であることは、強烈な魅力であると感じる。

実際何人か、そうした点を見てくれて、良いと思ってくれて、たまに連絡をくれる異性はいる。(まーーーそれでこちらから恋愛の矢印が向くかは別なんですが...)

同性の友人にもそんな魅力的な人がたくさんいる。

この感情、言葉のやり取り、2人の空気感はあの人と対面で会わなければ味わえないな、となれば自ずと宿命の女、とまではいかなくても、少なくともオタクミームで言うところの「面白え女」くらいにはなれる。、、かもしれない😎

ファムファタルは堂々と、とにかくいつも楽しそう

最後に、とにかく堂々としていて楽しそうであるということ。を心がけたい。

依存的で、ウジウジしている人には宿命の女どころか、本格的に人が寄り付きづらくなる....?!?!と年齢を重ねてきて年々強く感じる。もちろん適切にケアされるべき心の病はあるし、然るべき手段で治療されるべきだし,そうでなくても毎日元気に笑顔でなんて無理だろう、こんな世の中。

それでも自分のスタイルで、楽しそうにしている人は本当に強い。悔しいけど勝てないなと思う。

何でもかんでも市場にしてしまう表現が苦手だけど、性欲も物欲もざっくり括れば人間の欲望なので、

あれを買うことでハッピーになりたい、
あの人と関わることでハッピーになりたい、

と思うことを誰が責められようか。。

関わりの中で、こちらの優しさや、性や、情を搾取してくる危ない人もいるし、
どれだけこちらが来店してほしくても興味のない人はお店の前に足を止めないだろう。

が、"こちらにもあちらにも刺さる人は必ずいる"、と信じて、なんとか充実した毎日を送りたい。


....なんて、執着を手放さなければいけない案件を最近二連チャンで成功させたので,勢いとノリで病院の待ち時間書いてみました。


多分コツはカルメンと猫だよ。がんばれオレ!

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