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十歳の後悔はいまも生傷のまま

なんとなく目にとまったNHKの連続テレビ小説にすっかり見入ってしまい、終いにはちょっと感動までした。昨日髪を切りにいったら思いのほか短くなってしまってやや落ち込み気味だったけど、おかげでなんとか持ち直した。

小学校四年生のときのはなし。ぼくのいた小学校では二年ごとにクラス替えがあったので、学年の終わりのほうになってくると生徒たちはよく次のクラスについて話した。仲のいい友だちとまたいっしょになれるかとか、評判のいい先生が担任になるかとか、そういう話だ。

ふりつもった雪で校庭が真っ白になっていたある日のお昼休み、ぼくは当時とても仲のよかった友だちと、教室の後方に設置されたストーブに寄りかかっておしゃべりをしていた。何について話していたのかはよく思い出せないけど、たぶんクラス替えのことについてだったのではないかなと思う。「ぼくらはもう四年も同じクラスだから、次は離されるだろうね」と彼が言っていたのをなんとなく覚えている。すると、三年生から担任を持ってくれていた先生がぼくらのところにやってきた。

ぼくとその友だちは、三年生のときに同じクラスの男の子からいじめられていた。その先生はそれをどうにかしようと動いてくれた。ある日の放課後に四人だけで話し合う場を設けてくれて、おかげでいじめはなくなった。また、あるクラスメイトがふとした拍子に激昂したとき、ハサミを振りかざして暴れまわるその子を先生はただただ抱きしめた。腕をおさえる直前、闇雲なひとふりが先生のほおを切った。ぼくはそれを目の前で見ていた。そこまで深い愛をぼくは見たことがなかった。「ぼくもこの人みたいになりたい」と思った。だからぼくはその先生のことが大好きだった。来年も担任になってくれたらいいなあ、と漠然と考えていたりもした。

やってきた先生はぼくらふたりの間に入って、少しの間いっしょに話をした。そのとき先生がどういう気持ちだったのかぼくは知らない。先生はふと「ふたりは、来年だれが担任の先生だったらいいなとかある?」と訊いた。

ぼくはそのときすぐに答えるべきだった。だけど、当時のぼくは自分の意見を言うということがとにかく恐かった。だからいつも他人の様子をよく伺ってから発言していた。それがそのときにも出てしまった。友だちのほうを見ると、彼は「だれでもいいかな、○○先生とか面白いってきくけど」みたいなことを言った。彼には見栄っぱりなところがあったから、それが本心だったのかどうかはよく分からない。「そっか」と先生はうなずいて「吉井くんはどう?」とぼくに尋ねた。

体がかっと熱くなった。同調しようとする心と本心とが、胸のなかで激しくせめぎ合っていた。ぼくはすっかり混乱してしまった。それでもなんとかこれだけは伝えなければいけないと思った。そしてほんとうのことを言おうと口を開いた瞬間、本心とはかけ離れた言葉が口からこぼれた。「ぼくも、だれでもいいかな」そう言ったあとの記憶は残っていない。だから先生がそれに対してどういう反応をしたのかを書くことはできない。いまから約十年も前のはなしだけど、それを思い出すといまでも胸がきゅうっと痛む。後悔は消えない。

その先生に会いに行って、あのときほんとうはこう思っていたんだと伝えようかと思ったときもあった。それだけを伝えるためだけに行ってみようとしたけど、結局ぼくは動かなかった。すごく恐かった。何が、と言われると答えにつまってしまうけれど、「いまさら何を」「そんなこと言ってたっけ」「ああ、いいよ全然」みたいな反応を想像してしまうとどうしてもだめだった。

書いていたら、やっぱり会いに行ってみようかなという気になってきた。先生はもうぼくのいた小学校にはいないけど、行方をたどることもできなくはないんじゃないかと思うと案外近くにいるような気もしてくる。でも恐い。こういうときに、さっと一歩踏みだせる勇気があったらなあ。


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