老い

老いについて

私は食いしばりがひどくて、歯の根元が波にうたれた岩みたいに欠けるくさび状欠損になっている。
目も近視で、耳も鼻もアレルギーで万年かゆいし鼻水が止まらない。
肩こりもひどくて、仕事中不気味に肩甲骨を回しては首をバキボキ鳴らす。
PMSがひどくて、この前卵巣腫瘍が見つかった。

それでも自分は健康だと思うし、思い切り身体を動かすと幸せだと感じる。

最近、老いとは何かをよく考える。


ひとつ歳下のパートナーは近頃体力が落ちたと言う。
私も最初に書いたようになんだかとてもガタガタしながら生活している。
それでもたぶん私は自分の身体の変化にとても鈍感だと思うので、昔と比べて衰えている何かについてはっきりとはまだ気が付けていない。

世の先人たちの多くが、体力、精力、集中力、根気、スタミナ、そうしたエナジーが歳を重ねるごとに失われていくことを忠告している。
友人はLINEで、冗談めかして自分のことを「BBA」という。
ツタヤで映画を借りて、「ビデオ返さなきゃ」と言うと、私も「ババア」と言われる。
職場ではインタビューを読んでいて「携帯電話で調べ物をして」とあったのを少し悩んで「ケータイで調べ物をして」に直したが、最終稿では再読した校正者に「スマホで調べ物をして」に直されていた。
飲み会で隣の席に座った干支がひと回り近く違う男の子は「第七サティアン」が何かを知らなかった。


時代の潮目から少しずつはずれていって、
自分の身体に経年劣化を感じ、次第に美しさやパワーやしなやかさを失って、機敏な思考能力をもなくしてゆく。
それが私たちのさだめなのだろうか。

実感としてそれが絶対だとは思えないのだけれど、
それも老いのひとつのかたちというならば、
きっとそういうこともあるんだろう。


それならばきっと、

どうして生きているのか、なんのために生きているのか、
その理由に、歳を取り老いることで失うこうしたものらとが
関係していないということなのだろうと思う。

だから私は今も生き続けているのだろう。


ヨボヨボになって、カサカサになって、もしかすると大病をして、
頭もうまく回らないかもしれなくて、激しい世代交代から取り残されて、
そんな風になった私が今の私よりも豊かで輝いていると感じられるように、

手に入れるべきものを選びつつ、
手放すことをも恐れずに、生きていきたいものだ。


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