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「中卒」であっても家族を養える社会が正義という話

今日はね、タイトルからすると結論がわかりにくいが、「少子化を解消するには高度な経済政策じゃなくて、中卒でも働いてりゃ普通に家族を食わせてちゃんと養える社会にする方がよほど解決策になる」って話だったりする。

てか中卒どこか今や大卒でも一馬力では子供を持つのも大変な状況だが。そんな中、個人としての幸せばかりにフォーカスするリベ思想(フェミやらSDGsやらグローバリズムやら)が隆盛ではそら少子化も進む。

で、それよりも、前述の「少子化を解消するには高度な経済政策じゃなくて、中卒でも働いてりゃ普通に家族を食わせてちゃんと養える社会にする方がよほど解決策になる」の方法だが、たった1つのことをするだけだが、結論はもう少し先にする。

昨今さ、移民の話ってだんだん社会問題化してきたよな。特に埼玉(川口・蕨市)のクルド人の問題とか。

特にこの連中は素行が悪くて、10年以上前から蕨市ではクルド人の故郷クルディスタンにちなんで「ワラビスタン」なんて言われ出してもいた。トルコ政府からはっきり「日本で活動しているクルドはテロリスト「クルド労働者党」(PKK)だから注意」と勧告されているのに、公安はテロ組織一覧からPKKを外すなどして問題化した。

※批判も多く、テロ組織一覧から外した『国際テロリズム要覧2023』版を削除。今暫定的にテロ組織一覧は2022年版を参考にして、と公式に変更された。


女の子が暴行犯罪に巻き込まれ、しかし警察も積極的に動けないというお粗末さだ。逮捕者よりも被害者の方が圧倒的に多いようだ。これも犯罪者側の人権を守ろうとするエセ正義の「リベラル」と、「ひ弱な高学歴ボンボン」の跋扈で行政、司法側が弱くなったからだが、そこはまあまた別の話か。
(一方でトルコ政府の思惑により必要以上にクルド感情の悪化を煽る情報の流布もあるので注意。)


ほんでそれでも移民受け入れを加速しているのは、要は少子化でこのままじゃ日本が滅ぶんで、とにかく馬鹿でもアホでもいいから人を増やしたいってのが岸田政権と経団連の本音。経済なんてその多くが人口に比例して回るもんだ。特に日本の経済は内需に依存―それはいいことだとは思うが—しているので、人が増えるのは大事なのよ。しかも消費の盛んな若い人がさ。


でもヨーロッパでもわかるとおり、移民やりすぎて、治安の大悪化だ。社会の分断も著しい。いずれくる日本の未来よな。数は力なので増やしたいのはわかるが、増えりゃいいってもんでもない。


日本は特に同質性の強い民族でやってきた歴史が長いので、異質すぎるっつー人々を招いてもねー。(しかもここに宗教がからむ。余談だが基本的にイスラム教圏の人を増やすのは悪手である。その理由はまたいずれ。)


日本としては少子化がとまんないから政府としては振り切ったというところだろう。
※ここで陰謀論界隈にはまた別の意見があるだろうが。そゆーのはまずは置いておく。



で、これって先進国は今多かれ少なかれこの問題にブチあたってるよな。これって、政治も経済も「教育を受けた人材が多いほど国は発展する」という方向にもってきた結果なのな。


まぁそれは勘違いだったわけだ。


たとえばつい最近まで、中国はガンガン経済成長していたわな。ところがどんどん鈍化してきた。そして中国もどんどん少子化が進んできた。やはり同じ罠にハマった。


つまりさ、国とか経済って、「教育エリートの量産」によって高度な仕事を増やす、じゃなくて「低学歴層が多くて彼らがとにかく働ける社会」方が成長すんのよ。社会やビジネスの舵取り、船頭なんてそんなにも要らん。


ほんと、教育なんてマジで義務教育で十分だったわけだ。特に日本の教育では地頭の良さや勤勉さは高校受験においてよくわかる。大学なんてどんないいところ入っても、遊び惚けてる可能性も高い。なので、むしろ高校までで地頭の良さを見る、ということが採用(大手企業や行政組織など)ではよくあるのだ。


日本も戦後ガンガン伸びたよな。高度成長期ってのはそれ。さも一部のエリートが引っ張ったからじゃないって。そんなのいなくても、「社会」なんてエネルギッシュで多少粗野なのが多い方がガンガン前に進むのよ。


安かろう、悪かろうと品をガンガン作って売ってきた。かつての日本も、そして最近の中国も、そして東南アジアも。


考えてみ。社員数人~100人以下の会社こそ日本には多いと思うが、

・社長(管理者)+10人の管理部門+90人の脳筋系営業マン
・社長(TOP営業マン)+20人の管理部門+80人の温厚な営業マン

だったら前者の方が組織として強いって。H通信とか、最近だとOハウスとか(笑)、前者型でのし上がったわな。


戦後なんてまさにそうで。焼野原から立ち上がるにはそうするしかなかった。

ところが、そうして国が富み、教育された人材も増え、社会が発展してくると、このモデルから移行しだす。


決まって経済的には「安いサービスや製品の大量生産」ではなくて「高級で利益率の高い品」を中心にすることを選ぶ。頭良さげな策だよな。(笑) まぁ段々と高い品質を求めだすから自然とそうなるんだけどさ。


なんとOハウスもついに「安かろう悪かろう」の狭い敷地にペンシルスウス、造りは低コストの廉価住宅路線から品質重視に切り替えていくという。


まぁ発展した会社、その総体としての先進国はどこもそうなるよな。それが「先進」国だもんな。誰だっていつまでも安い袋ラーメンではなくて、高級パスタを喰いたくなるのよ。


が、その結果が今の先進国の凋落な。その証拠にどんどん教育も普及して大卒どころか院卒まで増えてきたのに、どこもかしこも少子化でヤバくなった。で、先進国はどこも民族的には「滅び」に向かってるワケ。そんで数が減ってヤバいので移民に頼った、というね。

現状へのあがきでしかない。そもそもの成立から移民の国だったアメリカがしぶといのはまさにこれ。今までずっと移民も来やすく、ずっと「若い」国でいられたから。自国民といっても300年前は存在しなかった国である。

人工的に移民によって人口を増やす、という政策は成立過程からしてもそれほど違和感はないのよ。・・・まぁ言うてもホワイト・アングロ・サクソンとしての「アメリカ人」が政治経済の実権を持っているというのがあり、数で拮抗してきた移民系との衝突は問題化しているけどさ。トランプと一期目ではメキシコ国境に壁を作ったよな。違法な移民は来るな、と。(逆に言えば合法に来れる真っ当なヤツなら来い、というのもアメリカ。)



しかし、より歴史のあるヨーロッパはそうはいかないわけで、実際移民政策が破綻気味なわけ。これだから残念リベラルは余計なことしかしない。多様性も移民政策もついでにSDGsも、リベラル系政策はみんな失敗するわ。(断言



じゃあどうする、と。

答えはシンプルだ。中卒で十分稼げて食える社会にするのが早い。方法はとても簡単。大学を潰せ。


移民に頼るのも危険なのはもうヨーロッパが示しているので、そうするとやはり子供を若いうちに、そして多く創る層が増えていく必要がある。


そこでどうしたって必要なのは、経済活動、社会活動に人生の早い段階で踏み出す「学歴の低い労働者」ということになる。(差別的に聞こえたらすまんが、単なる学歴的分類であり、とりあえずそう言わせてもらう。)ここでは具体的には高卒・中卒を意味する。


消費、生産といった経済活動も、若いうちから積極にやってくれる彼らがより食える社会の方がいいのよ。しかもきちんと家族が養えるだけの給与を得られる社会だ。


高学歴に高給与じゃねぇって。肉体労働もさしてできないもやしエリートよりも、早くに社会に出て働き、消費し、産む人材を増やす自国民を優遇しろっつーね。



どうするかってとても簡単で、文科省は大ナタふるってたとえば偏差値60未満の大学を軒並み潰せばいい。この偏差値は勝手な線引きであり、適当。要は大学と呼べんような大学は要らない、ということ。それで結果として中卒・高卒は劇的に増えるし、それが当たり前となる。すると企業もそれを人材として迎え入れることになる。


彼らが当たり前になれば、簡単に言うと給与水準として、かつての中卒⇒高卒並 高卒は大卒並、大卒⇒院卒の給与体系に移行すればいいだけ。というよりマジョリティとしてそうなれば会社もそうせざるを得ない。

強制的に社会構造は変わる。「国や経済の行く末」なんて考えるのはほんとに一部でいいのよ。


あとはがむしゃらに働ける人材が多い方が国も社会も発展するのだ。で、日本人は特に共同体的意識が強いので、会社の共同体的役割はまた昭和に逆行するほど強くなる可能性もあるが、そこは禍福は糾える縄の如しってヤツだ。時代にあわせて適した形に落ち着くだろう。


で、さらにこれで「高度に教育された人材の価値」も希少価値的意味でも高まる。博士課程出たのにニートなんて問題も減っていくだろうよ。


数が減るので結果そうなるのよ。


大体、大学や院で学んだ「高度な学術的知識」なんて実際のところ社会人になって必要だったか? 本当に一部の研究系や行政の高度な職域の人材は別として、大半は必要なかったはずだ。必要とされる知識なんて結局は働きながら学んで全然間に合うのだ。

なので実は大学なんて大半の人間にとってただの「お遊び時間」でしかないのよな。それでも企業は「まともな人材は大卒に多い」という確率論的な点から大卒を求めてしまう。高卒の時点でまともな若者はそらいい仕事につくためにも大卒という資格を求める。


なのでここを破壊するには、前出の通り、ここで偏差値の微妙な大学を叩き潰しておくと、「自称高度教育人材(笑)」も数は減るが、生き残った大学は過酷な競争を勝ち抜いた骨太な人材たちを輩出するようになるのだ。


それで社会の船頭は足りるだろう。



それが、一部(いや大半?)の大学を潰すというたった一つのこと「だけ」で起こせる変化である。教育システムの有用性への妄信をそろそろやめていい。


必要な知識、教育なんて、それこそ義務教育までで十分整うのだ。あとは幾らでも必要なタイミングで必要なだけ得られるのが今の時代の強みなのだから。



ま、極論だけどね。


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