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”非特異性多発性小腸潰瘍症”という遺伝子疾患。

あっという間に訪れた
2回目のICU入室。

どこか慣れた様子で
日々を過ごしている母。
2度目ですもんね。

そんなある日、
医師から”遺伝性の疾患”の可能性
があることを伝えられた。

それは
「非特異性多発性小腸潰瘍症」
という疾患。

これまた聞いたことがない。

「遺伝性」という言葉に
一瞬病室が凍りつく。

母と私、それぞれに言葉も
視線も交わさないけど
どこかどちらも何も
発せないような。

発したら何かに触れるような
そんな感覚だった。

まだ、確定ではないけれど
診断をしていく上で
可能性のあるものは確かめていく
という話だった。

そして、母の家系図を
遡っていくことに。
もちろん、母本人はICUにいるので
スマホの操作はできない。

私は調査隊長に任命された。

”遺伝子疾患”という言葉の持つ暴力性。
過去も未来も揺るがしかねないこの言葉に
隠れて動揺した。

祖父母に、兄になんて説明しよう。
そんなことを思いながら
自分は調査隊なんだと言い聞かせて
祖母に電話した。

実家でともに暮らしてきた
母の両親(祖父母)やそのまた両親の
それぞれの両親が患った
病気などを調べていった。

祖母も同じだった。
”遺伝”という言葉を出しただけで
自分の責任なのではないか
とこわばる声と少しの焦り。

「大丈夫だから」
と不確かな答えを断言するしかなかった。
祖母に対して自分に対して。

病気の原因を探るために
必要なことなんだ。
診断がついたら治療法も
見るかるかもしれないし。

と祖母を励ましたような
気がするし、
自分を励ましたのかもしれない。

母は自分の責任で
子供(私や兄)やその先の子孫にも
影響を与えてしまうのでは
ないかとこれまた自責。

それぞれがそれぞれの立場で
思い悩むことに。

遺伝子検査は研究班のある
他県の大学病院で行われることに。

内視鏡検査で採取した
腸の検体を送るらしい。

検体もはるばる全国を巡る。

最初の入院から原因が
わからないまま
経過した2か月。

やっとこの意味不明な状態に
診断がつくかもしれない
という期待。

そして、遺伝子疾患が確定する
という可能性。

その事実が持つ絶望感と
未来を悲嘆する気持ち。

遺伝子疾患の可能性が
告げられた時、
正直、この先自分もなるのかもしれない
という自己防衛の気持ちと

その可能性と現在対峙している母を
思うと居た堪れなく、
気持ちに名前をつけられないままだった。

自己の基盤が揺らぐような、
そんな感覚。
遺伝子だもの。

病気になったわけではないけど、
いずれなる可能性があることを
抱えて生きていくことの恐怖、

今はまだ、目の前には
姿を現してはいない絶望、
みたいな。

その責任の所在を
明らかにすることは、
果たして正しいのか。

もうよくわからない。
知りたかったことなのに
知りたいことも選べない。

何かよくわからないものと
闘うことになった。

今回はここまでにします。
読んでくださった方、
ありがとうございました。

次回は検査の結果について
お伝えしていきます。


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