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水分補給の促し、という愛

夏をはじめて迎えたかのように、毎年毎年、あらためて暑いのはなぜだろう。今年も、夏をまたはじめていくような日々。

最近、ふと、あれ?っとなることがあったので書き留めておきたい。ある朝、私が電車に乗ると

暑いから水分補給しながら過ごすんだよ!

と恋人から連絡がきた。

一瞬、どういう意味なんだろうと、自分の中でバグが起きてしまう。す、水分補給。。。ちょっと数分経って気づいたのだけど、水分補給の促しを受けることが普段あまりないから、スッと入ってこなかったみたいだ。くすぐったい。

天気予報の最後とか、夏風邪をひいてしまったり、熱中症っぽくなってしまったときとか。ニュースのキャスターの方が番組の終盤に話していたり、お医者さんや看護師さんに言われるぐらいかしら。

同居の祖父母や心配性な母とのやりとりには「水分補給」は出てくるんだけれど、それがやや当たり前なやりとりになってきてしまい、きっとそれをそれとして認識していないのかなと思った。

水分補給を促すこと。27歳にもなればそれはある程度、シーンや人を想定できるようになってしまうから、ひとたび不意にそうやって言ってもらうと自分が無防備なまま、ぐっときてしまうのだろう。

恋人だからきゅんとしたのかな、私...と、自分なりに考えてみたのだけれど、「恋人」としてきゅんというより、「人」としてきゅんな事案な気がした。たまたま、その人が私の恋人でいてくれた。

そんな気づきを得て、会社のビルの警備員さんに声をかけてみた。いつも挨拶を必ずすると決めていて、最近は特に炎天下の下で警備をされているのでお体が心配になっているが、どんな一言をプラスするかいつも悩ましかった。

「お疲れさまです〜!」

「お疲れさまです。暑いね」 

「暑いですね、今日も。本当にだれでも熱中症になっちゃいそうですよね。水分補給してくださいね!」

「ありがとうね。ちゃんと飲むようにしますね」

「そうしてください!今日もがんばりましょう」

「がんばろうね。いってらっしゃい」

言えた。私も言えた。水分補給の促し、いいと思います。ちょっとした愛でも、小賢しい愛でも、悩ましい愛でも、一歩踏み出す愛でも、いいんじゃないでしょうか。もうもはや完全に駄洒落なんだけれど、心がうるおう感じがします、きっと。