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子どもを中心としたコミュニティに親が関わるときの注意点

息子が地元のスポーツチームに所属するようになって、はや5年が過ぎた。
小学校入学と同時に入団したので、最初は上級生の子たちについていくのがやっとで、まわりに迷惑をかけないようにすることに精一杯だったけれど、今はレギュラーとして奮闘しているのを見守り、𠮟咤激励する毎日だ。

さて、そんな日々を過ごしていて、よくぶち当たる壁がある。それは親同士の確執だったり、親と指導者との溝だったりする。

よく言う「親の方が一生懸命になる」問題もあるにはあるが、子どもが小さいときはむしろそれが当たり前で、逆に子どもに一生懸命になれない親はそういう場には向いていないと個人的には思う。

問題は、その一生懸命さがゆがんだカタチで出てしまうこと。
子どもかわいさのあまり、わが子への指導面や他の子どもとの競争場面で親の姿勢が問われてしまうのだ。

よくあるのが、自分の子どもよりも他の子どもが高く評価された場合。それだけならば、そう大きな問題にならないが、そのせいで子どもへの指導に差がでる場合。

「うちの子は頑張っているのに報われてない」
「なぜ、うちの子がミスしたときはボロクソに𠮟られるのに、あの子には甘いのか」


ここはデリケートな部分だが、指導者も人間であり、それこそボランティアでやっているので、親が望む完璧な指導にならないことも少なくはない。
そこをどう判断するのかは親や子ども本人が「指導者やチームの考え方についていけるか、否か」にかかってくるが、そこでいろいろ悩むのが現実だと思う。そしてほとんどの場合、悩みながらも親も子どもも成長していくのだが、その過程で、まず親がつまづくことが多い。

「キビしくされることは期待されている証で、それがのちのち本人のためになる」と思うのと、「あの監督(コーチ)の指導はおかしい。偏っている」と思うのでは、子どもへのサポートもまったく変わる。

それだけなら、親と子の関係にとどまるのでまだマシだが、そのはけ口が、他の子、またはその他の子の親にいってしまったりすると、チームの求心力が下がってしまい、厄介なことになってしまうのだ。
ひどい場合は親同士が派閥を組んで、指導者の邪魔をしたり、徒党を組んで子どもを辞めさせるケースも生まれる。

指導者があまりにもひどいなら話は別だが、そこに関しては受けとり方に個人差もあるので、むずかしい部分だろう。
だけど親が陥りがちな思考について、けんすう @kensuu さんがインタビューで、ズバリなことを言っていた。

記事はビジネスマンのための「職場の人間関係とモチベーション」についてのものだが、これはまさしく「子どものスポーツチームでの大人の人間関係とモチベーション」にも当てはまると思った。

結局、会社でのコミュニケーションが辛くなるのって、「貨幣空間のコミュニケーシン」と「愛情空間のコミュニケーション」をごっちゃにしてるからだと思うんですよね。作家の橘玲さんの本で読んだ概念なんですが。

「貨幣空間」というのは、仕事とか、かんたんにいえば報酬がお金で支払われる関係性です。逆に「愛情空間」とは恋人とか家族とか友人とか…「愛情」と呼ばれるもので関係性が維持されてるやつですね。

このふたつをごっちゃにしていると、人間の気持ちってツラくなりがちなんですよ。
会社であれば、「利益をあげるため」にやってるんだから、貨幣空間のコミュニケーションだけするべき。

まぁ、スポーツチームというコミュニティは会社とは違うので、利益をあげるという考え方は違うけれど、チームである以上、「なかよしごっこ」をすることがそのコミュニティの意義ではないと私は思っている。

では何のためにあるのかというと、おそらく学校だけでは得られない「わが子の健全な成長と可能性を存分に引き出す」ためであって、みんながそのために集まってきていると思っていれば、子どもへの指導にたいして、もっと俯瞰的に見れるようになるんじゃないかと思う。

子ども同士がライバルになることも、結果的にはチームとしての底上げになるし、そうなるのであれば、わが子がチームに果たした貢献として評価できる材料になる。
子どもの成長にたいしてもっと貪欲になれば、一見マイナスに感じることもプラスに転じることはたくさんある。そういう意味で、子どもの成長のいっときを真正面から見つめられる貴重な機会であるし、親同士が足を引っ張るようなことは無意味だと気づくはずだ。

「子どもの利益になることにたいしてまい進する」のがチームのコミュニティの存在意義だと思うが、「親としての承認欲求を満たす愛情空間」だととらえてしまう人も少なくないため、そのごちゃごちゃ感が大人同士の人間関係をいびつにしてしまう要因になっているんじゃないかなと思う。

ただ、何を利益と思うかは個人差があるため、当然チームとしての利益は何なのかを共有しないといけないが、そのためにはチーム愛を育む必要もある。また「貨幣空間」のような利益だけを追求すると、逆に「わが子さえ成長すれば良い」という超ドライな人もまざってきて、それはそれで殺伐としてしまうので、そういったところをおぎなう意味でも「愛情空間」としての余地もあるのが理想だと思う。

バランスとしては、7:3くらいが理想かな(「貨幣空間 7」:「愛情空間 3」)。
もしくは、これに近いバランスを、自分のなかでうまく行き来できるようになるのがいいのかもしれない。

または記事にあったように、愛情側の不満をみたす「バブバブの時間」を、親子ともに満たせるよう工夫することは、チーム力アップのためにも指導者側にも必要な考えになってくると思う。

これまで自分なりにそういったことを言語化して伝えようとしても「あなたと私は違う」みたいな話で終わってしまっていたけど、こういうコミュニティを維持していくための考え方のワクはあると思っていたので、モヤモヤ感が少し消えた。

だからといって、うまくいくとは限らないし、分かり合えな人とは分かり合えないのだろうけど。

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