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わたしの推しはもうすぐ死んじゃうんだって。

推しのグループの現体制終了。つまり、事実上の推しの卒業が決まった。


思考がピタッと止まってしまって、次に嘘だと思った。ちょっと待ってよ。でも、ぐるぐる回る視界の端でメンバーの卒業コメントを二度見したら、そこにはしっかり私の大好きな推しの名前で、推しの言葉で、卒業の意思が綴られていた。


--『これからもグループを守っていく』という選択を出来なくてごめんなさい。


冒頭に、そう書いてあった。

推しはグループができてからの唯一の初期メンで、8年もの間グループの要として、そこに立っていた。


8年だよ、8年。アルバイトとか、会社勤めに換算しても普通にすごくない?むかし、1日3時間、9年かければ何かのプロになれる、とテレビで見たことがあった。推しはプロのアイドルだった。


わたしが推しと過ごした4年間の中で、推しをテレビで観たことはなかった。推しはいわゆる「地下アイドル」で、CDショップにCDは並ぶけれど、友達のあの子の推しみたいに冠番組を持っていたわけでもなかったし、紅白にも出ない。深夜番組の、バラエティに出ていたわけでもなかった。でも、ほんとうにそんなのはどうでもよくて、推しは絶対に、逢いに行けばいつもライブハウスで話ができた。おっきい目を見開いて、わたしだけを見て、使い回しの社交トークじゃなくて、わたしと話をしてくれた。


私の名前を、呼んでくれた。


だからずっとずっと遠くに行って、逢えなくなっちゃうよりはこの方がいいんじゃないかって、思ったこともほんとはある。大好きな人の幸せを願えないだなんでヲタク失格かなあと思うんだけど、でもその反面で、もっとおっきい舞台で、彼女が笑う姿を観たいと思ったのも事実。


推しはアイドルなんだから、「いつか必ず」は絶対に来る。でもそのいつかが明日になるなんて、思いもしなかった。


わたしが彼女と出逢ったのは、もうどうしようもなく辛いことが多いときだった。若さでたくさん人を騙して、騙されて、いつも泣いていた。長い茶髪の巻き髪に、ミニスカートをはいて。わたしはほんとうにどこにでもいる、センスも人生に対してのやる気もない、どこかの誰かだった。


わたしは推しと出逢って、たくさんの初めてを経験した。初めての地下アイドルのライブ。初めて買う香水。初めて買うチェキ券。誰かを真似して、その人に染まりたいと思う気持ち。当時付き合っていた男の子にショートが好きって言われた時も絶対に切らなかった、長い巻き髪を推しとお揃いにするためにバッサリ切った。自分が初めてショートカットが似合うことを知った。自分にいろんな可能性があることを、知った。


アイドルって「自分と一生目が合わない存在」だと思ってたよ。テレビで見るアイドルはカメラ目線で、わたしの素性も、名前も、わたしがその人のことをどう好きなのかも、伝わらないから。


でも、推しは違った。


ファンの名前は1人残らず覚えて、SNSも全部自分にまつわるものはいいねしてまわって。ファンの中でも有名だったよ、「記憶力が凄まじすぎる」って。でもそんなん、努力じゃんね、絶対。死ぬほど見て覚えてたか、自然に覚えてしまうくらいに見てたかの、どっちかじゃん。コロナが蔓延して、しばらく会えなかったとき、忘れられているかもしれないことが怖くて、わたしは現場で名前を言い出せなかった。でも推しはしっかり覚えていて、わたしは自分の名前が、ほんの少し好きになった。どんなに後ろの客席にいても、いつもステージから見つけてくれて「今日はあそこにいたね」って笑ってくれたのも、もう聞けないんだね。


実は、推しが悔しくて悲しいのと同じように、わたしもとっても、悔しくて悲しいんです。


唯一ハリボテの日々の中でギリギリがんばっていた就活に最終面接で落ちたとき。何百人もいた学生のなかの、最後の数人まで残った。でも、落ちた。その会社は大手の音楽レーベルで、そこに「発掘」されたアイドルは世の中での成功を確約されたも同然だった。

ほんとうに烏滸がましいと思うのだけど、わたしはその企業に入って、わたしも推しに、何かを形として返してあげたかった。あわよくば、メジャーデビューの掛け橋に、なりたかった。

その半年後、推しと似た界隈の結成半年のグループが、そのレーベルからメジャーデビューをした。こんな言い方はしたくないけれど、わたしの推しは「発掘」されなかった。わたしも普通の、ほんとうにいたって普通の販売のお仕事についた。


販売のお仕事をしながら、ずっと、文章を書いていた。本当は自分がずっとやりたかったけど、できなかったこと。今よりもずっと文章は下手で、お仕事も全然なくて、趣味と呼ぶにも拙いくらいの、文字の寄せ集め。好きなことについて。わたしについて。たくさん、たくさん書いた。でもそこにいるのはあくまで書き手としてのわたしで、ペンネームだし、今まで誰もわたしがわたしであることに気が付かなかった。




推し以外は。




びっくりした。親や友達以外にも、文章を書いていたことを話したことはなかったから。インターネットの海に弔って、ゆっくりと沈んでいく言葉からぷくぷくと浮かぶ泡が、ほんとうにわたしを遠くへ連れてってくれたのかもしれない。


「わたしのこと、書いてくれたの?」って聞かれた時は心臓が止まるかと思った。


たくさんのファンがいる中で。推しの前での名前と違う名前で書いていても。大好きな人は、わたしをほんとうによく見ている。文章で、言葉だけでわたしを見つけてくれたその日、わたしは文章で食べていくことを決意して、いま、その夢は叶っている。



ありがたいことに、地下アイドルのインタビューのお仕事ももらえるようになって、あの頃の自分からは想像もつかない前進だ。


だから、最後に。



必ず彼女のことを、1番最後の輝いている日のことを、書こうと思う。もう一度だけ、見つけてもらえるように。


ファンに対して「君たちを愛してます」ではなく「君たちが愛おしい」って残す、そんなところに惹かれていました。


わたしもあなたがとっても愛おしいです。まだこの文章を書く手は震えているけれど、最期の日まであと少し。どうかそのときは、泣かずにさよならを言えますように。


そのときはきっと、わたしを見つけてね。





2021.01.11
すなくじら


※以下、後日の追記です。

最後の日の、最後の瞬間をここに。






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