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へたくそなハンドサインを

ほんとうにあたしでいいの?ずぼらだし、傘もこんなにたくさんあるし

『水上バス浅草行き』岡本真帆
(ナナロク社)

短歌のおもしろさに気づいた2019年に、まほぴさん(岡本真帆)を知った。固定ツイートになっていた作品を好きになった。いまも輝きは褪せない。親近感もすごかったのである。傘をなくしつづけてきた人生はこの国にあふれていて、その孤独なたましいたちに届く歌だ。

京都のごはん処で、丸山るいさんの名前をはじめて聞いた。まほぴさんから。まほぴさんが京都にいて、たまたま一緒にお酒を飲める機会があったときに。当時、わたしは津中堪太朗と文学フリマで売る『硝子回覧板』という短歌の本をつくっていて、その流れで文フリの話になったのだと思う。まほぴさんは、丸山さんといっしょに本を出すんだよね、と言っていた。

低木にあなたがそえばわざわいのように樹影は複雑になる

『シリアルキラーがシリアルキラーを偶然殺す確率 vol.1』
丸山るい
※『奇遇』にも収録

だから、その数ヶ月後、津中くんが参加していた別の企画に、丸山さんが参加していたのでちょっとびっくりした。わたしたちの文フリのブースには、その企画のフリーペーパーも置いていた。初めて読んだ丸山さんの短歌はうっすら冷えていて、好きな感触だったことを覚えている。

京都でまほぴさんが話していた本が『奇遇』だ。違ったタイプの歌が100首ずつ。異なる輪郭は対立することなく、隣にある歌たちが「彼女のここがおもしろいんだよ!」と互いにゆびさしながら高揚している。

へたくそなハンドサインを読み解くよ 来世で、きみは、枇杷に、なりたい?

『奇遇』岡本真帆

あなたは枇杷になりたいですか? のみこめないから目の前に転がる言葉。一度転がった言葉は誰のものでもなくなって、ひとりでに響きはじめる。なんの責任も負わない言葉だけが放つ純真さ。頬をくっつけるようにして生まれてくる、数個ずつの枇杷。そのいくつかがころりと離れて、こちらを向いている。

ほんもののポメラニアンは想像のポメラニアンより筋肉がある

『奇遇』岡本真帆

公園で、リードもなしにてくてくと飼い主の後を歩くポメラニアンをみたことがある。歩幅がしんそこ小さくて、歩くのも一苦労というような。筋肉の持つ社会性を考えた。筋肉にひもづく生活や主張・機能・価値、とか。ポメラニアンにも想像よりもある。たしかに、筋肉がある。

丸山さんもたぶん、動物のことが大好きだ。

信じれば鳥の高さの窓だって磨けるなんておそろしいこと

『奇遇』丸山るい

たくさん出てくるのは、鳥。次点で猫。鳥の短歌の中ではこの歌がいちばん好きだった。これを考えているときの、人間じゃなさ、身体じゃなさ。信じることが大きさを持っている。

特殊な体の感覚。信じること、ほかにも体をはみ出してしまった感覚が、いろいろな形をとり現れる。<触れられはしないかわりに目で撫でる幼いエイのちいさな化石>のように、視線にも体積がある。身体が拡張されているというより、思念のほうに存在の重きが置かれている感じ。

アスファルトもはがせば土であることを思って朝の電車に乗った

足裏をはるかな死者とあわせては花の季節のながい信号

『奇遇』丸山るい

丸山さんの歌の特徴のひとつは、思考と身体の分離をはっきりと描くことだ。考えながら、体が動くこと。毎日、だれもがおこなっていることが歌になる。書くときにはなぜか忘れてしまうその感覚を、書く。思考と身体の分離がよく描かれることと、身体感覚の特殊さは密接につながっている。

増刷はしないと決めた上で発刊され、あっというまに読者の手に渡って行った。半年後にはかなり手に入りにくくなっているはず。短歌をはじめるのが遅かったら、たまたま東京にいなかったら、本屋さんで素通りしてしまったら。そんな偶然を前にして、コデックス装の素敵なたよりなさのことを思う。そして、短いこの世でふたりが出会った偶然の、その眩しさのことも。

『奇遇』を読むと、短歌をはじめたきっかけがよみがえる。短歌がすごいと初めて思ったのは、『短歌タイムカプセル』で大森静佳さんの作品を読んだ時だった。知らないジャンルの本を読んでみようと思って本屋をぶらぶらしていた日に、たまたま目立つところに置いてあった本だった。

大学の本屋さんに面陳されていたその本は、当時同じ大学に通っていた長谷川麟さんが仕掛けたブックフェアのうちの一冊だったらしい。長谷川さんの顔も名前も作品も知らないどころか、短歌の本なんて一冊も持っていなかった。その偶然がわたしを文学フリマまで運んで、いまや『奇遇』に出会わせてくれてしまっている。あらゆるものが細すぎる糸でつながっていて、でもその糸は確信のようなものを強く湛えている。

そんなことがあったから、もし目の前に糸が見えているのなら、たぐりよせてみてよ!とほんとうに思う。その糸の先には素敵なことがきっと待っている。想像もしなかった眩しさをともなって。未来の誰かがふり返って名前をつけるとき、それは「運命」や「奇跡」と呼ばれるのかもしれない。

まほぴさんと丸山さんは「奇遇」という軽やかな名前で、それを呼んでいる。


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