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爆発ステーション

朝、家を出て、いつもの道を歩く。気持ちは憂鬱だった。平日はいつもこうだ。つまりは会社に行きたくないのだ。駅に向かって体は進んでいるが、義務感でむりやり足が動いているだけだ。国道の信号が見えてきた。あの信号を渡って左に曲がれば駅だ。ふと、駅が消えてなくなっていればいい。そんな馬鹿げた考えが心に浮かんだ。そうすれば会社に行かなくてすむのに。

 むろん、駅が消えるはずもなく、改築したてで壁がやけに白い駅舎はいつものようにそこにあった。重い足を進めながらどこか雰囲気が妙なことに気づいた。駅舎の階段に向かう人の流れがまったくなく、黒い人だかりが見えるだけだ。駅員らしき声で、「・・上下とも運転を見合わせております」とだけ聞き取れた。何かのトラブルで電車が止まっているのだ。胸にかすかな喜びがわき起こる。すぐ前に立っていた男が振り向いた。その顔に見覚えがあった。ホームで電車を待っている時必ず隣にいる男だった。

「爆破予告らしいですよ」
 いつもしかつめらしい顔で英字新聞を読んでいる男が、妙に晴れやかな顔で、尋ねもしないのに教えてくれた。ネットで駅に爆弾をしかけたとの書き込みがあったようだ。
「迷惑な話ですよね、まったく」。そういう男の顔はちっとも迷惑そうでなくむしろうれしそうだった。エリートっぽく見える彼も会社に行きたくないのだ。駅前広場の数少ないベンチは人で埋まり、あぶれた人たちがところかまわず座り込んでいる。その非日常的光景は、どこか行楽めいたわくわく感が漂っていた。
 

 コーヒーでも買おうと近くのコンビニに行く。せっかくなのでいつもは食べない朝飯でも食べようと一つだけ残っていた菓子パンと缶コーヒーを手にレジに並ぶ。ぼたっと音がして、足元におにぎりがひとつ転がってきた。
 振り返るとグレーのスーツ姿の女の子が、頬を染めてぼくを見つめていた。ぼくの心臓が跳ね上がる。名も知らない彼女は、毎朝ぼくと同じ車両の同じドアにもたれている彼女にぼくはひそかに思いを寄せていた。おにぎりを拾って渡すと、彼女はお礼を言いながらはにかむように微笑んだ。コンビニを出るタイミングが一緒になり、何となく流れで一緒に広場の隅の花壇のへりに腰を下ろした。ぼくは有頂天だった。お互いに自己紹介しあった。彼女は生島さんといい、アパレル系の商社につとめているとのことだ。

「いやー、当分動かんでしょう。なんせ、爆弾ですからねえ」
 英字新聞の男が現れて、ぼくの横に座った。一瞬じゃまな気もしたが、自己紹介した後、話題に困りかけていたので、ちょうどよかった。男は田島と名乗り、ぼくと同い年だった。見た目とはうらはらに実にきさくで、人を楽しませる話術にたけていた。三人はいつの間にか古い友人同士のように仲良く大笑いをしながら楽しい時を過ごした。ぼくは少しうれしくなった。明日から電車内で彼らと話して過ごせるだろう。憂鬱な朝の時間が少し楽しくなりそうだ。そしてこれをきっかけに生島さんともっと仲良くなって・・。
「あれ、何か動きがあったのかな」。ぼくの甘い夢想を破るかのように、田島が声をあげた。広場に固まっていた人の群れが駅の方に流れている。
「あ、運転再開したみたいですよ」生島さんがせかせかと立ち上がった。
「じゃあ、あたし、行きますね。午後から大切なプレゼンがあって」
「案外早かったな。ぼくも急がないと、今日は会議なんだ」
 二人は、あっという間に駅に向かう人の群れに紛れて見えなくなってしまった。 

翌朝、かすかな期待とともに駅に向かった。ホームのいつもの場所に田島は立っていた。ぼくが横に並んでも、見向きもしないで英字新聞に読みふけっていた。電車に乗り込みドアにもたれると、生島さんが隣にやって来たが、ぼくと視線を合わせるのを避けるように黙って違う方を見ていた。いっそのこと本当に爆発してしまえばよかったのに。それくらいのことがないときっと何も変わらないのだ。灰色に流れる窓の外を見ながらふと思った。
 また何度目なのかわからない朝がやって来た。家を出て横断歩道を渡り、左手に白い駅舎が見えてくると、ぼくは、心の中で、どっかーんと叫ぶ。その瞬間、駅舎は煙と炎と破片を飛び散らしながら粉々に砕け散る。わけはなく、ぼくは昨日までと同じように背を丸めて改札に続く階段を上っていくのだった。    (了)

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