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醤油仕込みは薪の火入れから。江戸初期から変わらぬ三ツ星醤油の醤油づくり

和歌山県御坊市にある唯一無二の醤油蔵「堀河屋野村」さん

江戸初期からの歴史を感じる。"堀河屋"は元々京都の堀川通近辺の出身だからとか。
堀川屋野村さんで作られているお醤油はこの1種類。アイコンとなるマークはなんと”野村家の家紋”

以前、noteでご紹介させていただいた富士酢の醸造元「飯尾醸造」飯尾さんのご紹介でご紹介いただいたのが18代目の野村圭佑さんでした。

18代目野村圭佑さん 元大手食品商社に勤務されていた

普段は非公開の醤油蔵で、創業から引き継がれた智恵と大変な時間と働く皆様の想いがたっぷりと詰まった温かいお醤油作りを特別に詳細に教えていただきました。


[1]薪の火入れから始まるお醤油づくり

すべての加熱工程は薪の火で行われる

まずはじめにお連れいただいたのが、薪のある釜の前。
いきなりとても驚く解説が始まりました。
それは堀河屋野村さんのお醤油づくりでは「ガスを一切使っていないということ」
醤油作りには、大豆を煮たり、小麦を焙煎したり、生揚げ(発酵熟成の後、搾ったお醤油の元となる液体)を火入れしたり…、と色々な加熱工程がありますが、堀河屋野村さんでは、すべての加熱工程に薪の火で使っていらっしゃるのです。

すべて薪の火

はい、ガスは一切使われていませんでした。

薪での火入れ。

少し話は逸れますが、多くの料理人のお話を聞けば聞くほど、「食の美味しさは火入れで大きく変わってしまう」と痛感していますので、ガス火のように安定した火力ではなく、あえて微細な調整が必要となる"薪の火"を毎回の仕込みに使われることに衝撃を覚えました。

薪は個体差があるだけでなく、季節・天気などの自然の外的要因によって状態が変化します。
ただ暖をとるだけの薪なら火をつけるだけで良いのでしょうが、食材を煮たり、焙煎したり、最終工程の火入れなど、味に大きく影響がある工程の全てに使われているので、薪を使ったお仕事は全て18代目が担当されるそうです。

堀河屋野村さんのお醤油仕込みは野村さんが薪を乾燥させるところから始まっているんです。

[2]仕込みのスケジュールは麹が第一優先

夜中はたった一人での作業

堀河屋野村さんでは、いつ大豆を煮て、麹を仕込み、いつ木桶に仕込むか、など全ての醤油仕込みの工程を綿密に計画し、その通りに仕込みをされています。
そして自然との共生でのお醤油作りの第一に優先されているのは”麹”
そして第二優先はどうやら社員の皆さんの働く時間帯のようでした。
例えば見せていただいた計画表によると、麹を社員の皆さんとam8:00-10:00で仕込むというルーティーンがあるのですが、当然、その前に麹の原料となる大豆を煮て、小麦を焙煎おく必要があります。

毎回22:00-am2:00に仕込まれる大豆

そして蒸し大豆がam8:00に最高の状態になるために、なんと野村さんはその前夜の22:00-AM2:00に大豆を一人で大豆を煮るという仕込みをされています。

実はこの煮大豆作り、計画表によるとなんと1週間に3回もあります。
つまり大豆を仕込む工程だけで、野村さんは22:00-am2:00の夜勤を1週間に3回されていることになります。

もちろんそれだけではなく、1週間に1度、完成直前の工程で生揚げ(もろみみを搾ったもの)を"火入れ"する工程がありますが、この時間帯もam4:00-8:00なんです。これも野村さんお一人でのお仕事です。

お醤油は通年仕込まれていますので、この勤務形態は1年を通して行われています。もう心からの感謝しかありません。

そして愚問ながら質問せずにはいられませんでした「野村さん3人くらい、いはりませんか…」と。

そんな愛情たっぷりに4日間かけて仕込まれた麹はこちらです

堀河屋野村さんの特別な麹

[3]製造機械なし。昔ながらの愛嬌のあるお道具で優しく仕込む

もうこの流れからご想像いただけると思いますが、江戸初期に建てられた堀河屋野村さんの醤油蔵にあるのは、昔ながらの道具ばかり。

昔ながらのお道具には、面白いネーミングもあって、それもとても魅力的です。
例えば大豆と小麦の麹を仕込む枠付きの大きな入れ物は土俵(相撲から取られている言葉らしい)と言うそうです。大豆と焙煎された小麦を取っ組み合いのように入れていくからだそうです。

この木枠を土俵と言います

発酵熟成が終わった"もろみ"(醤油のもととなる液体)を搾る時に使うのは"きつね"と"たぬき"という手桶。

きつね(右)とたぬき(左)

発酵熟成が終わったもろみを搾る方法も、布袋の中にもろみを入れてまずは、諸味の重みだけで醤油を搾り、最後上段の袋を搾るために上から圧をかける「フネ搾り」と呼ばれるものです。

たぬきから布袋に入れて、横にして並べる
袋の重みで搾られ醤油が出てくる

麹を仕込まれる時に野村さんが言われたのがとても印象的でした。
人間の手の力はすごいセンサーで、"精緻"に温度や水分量などを判別することが出来る。
確かに熱がある時に、大体36.5度なのか、37度なのか、おでこに手を当てれば大体わかります。
普段、忘れがちだけど本来兼ね備えている私たちのすごい能力についても再確認させていただきました。

[4]美味しくしようとしても美味しくならない。急がない。

美味しいお醤油をつくる秘訣について質問させていただいたら野村さんがポツリと言われたのが、このお言葉でした。

「美味しくしようとしても美味しくならないんですよねぇ」
良い麹を作れば良い醤油ができるのはわかっているのですが..

もちろんこの美味しいというのはとてもレベルの高い状態であることが前提です。
ただ自然との共生の中でおこるのが発酵なので、最終的には待つしかない、急がない。ということを大切にされているようです。

木桶蔵

例えば、10月,11月,12月に仕込んだお醤油も、10月仕込みのものから順番に仕上がっていかず、時には12月に仕込んだものから発酵熟成が早く進むこともあるのだそうです。
昔ながらの製法に欠かせないのは、「急がない。美味しくなるのを信じて待つ。」ということなんですね。大らかで優しい智慧ですね。

[5]人を喜ばせる心根が野村家を救った!?

実はこの堀河屋野村さんは創業当初、お醤油屋さんではありませんでした。なんと、紀州藩のお荷物を江戸に運び、持ち帰るいわゆる廻船問屋さんとしてご活躍されていたそうです。
では何がきっかけでお醤油などを作るようになられたのか?
廻船問屋時代にすでにあった地元の名産だったのが今でも残っている「徑山寺(きんざんじ)味噌」

徑山寺味噌

この徑山寺(きんざんじ)味噌を江戸のお得意先様にお配りしていたところ、好評だったことからたくさん用意できるように仕込みの蔵を建てたのが始まりだそうです。

プレゼントを作るために蔵を建てるってすごいことです!!

実はその後、北海道まで船が漂流する事故を起こし、当時の紀州藩や江戸幕府に多大なる迷惑をかけてしまったことをきっかけに、廻船事業からの撤退を余儀なくされてしまいます。

そんな時、この徑山寺(きんざんじ)味噌の蔵を活用し、醤油作りをはじめたのが、今の事業に繋がっているということでした。

いかがでしたでしょうか。
本当に自然との営みの中で作られる堀河屋野村さんの三ツ星醤油

noteでのご紹介はここまでとさせていただきますが、実は野村さんに醤油蔵のご案内をしていただいている動画があります。
神々しい麹室など、非公開の蔵の様子はもとより、野村さんの大切にされているお考えなどをわかりやすくお話いただいていますので、動画もぜひご覧頂ければ嬉しいです。

野村さんの三ツ星醤油をもっと美味しく召し上がっていただけそうです。
https://www.horikawaya.com/

第一回目:
江戸初期(文化財)の現役・醤油蔵で薪の火入れで仕込む

第二回目:
味は大豆・香りは小麦
醤油づくりの心臓部・神々しい麹室に特別潜入


第3回目:
キツネとタヌキと船はどう使う?江戸時代からの木桶熟成から醤油完成まで

第4回目:
醤油作りの始まりは江戸時代のアレがきっかけだった
金山寺味噌
 

今回も最後までお読みいただき誠にありがとうございました!!

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