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学校に行かないという選択。「好きという気持ちは、サメをただのサメでは終わらせない。」

北海道に移り住み、海が遠くなったなと感じることがある。

神奈川県に住んでいた頃は、毎日の様に、出勤の際に駅まで行くバスや車の中から海を眺めることができた。天気が良い日には富士山を望むこともできた。海や富士山を眺めては、静かな気持ちになることも多かった。

子どもたちは産まれてから今まで、北海道での生活の方が長いので、海に対しては特別感があるようだ。

水族館、というだけでも楽しいのに、海の傍にあるという事は、楽しさを増幅させてくれる。世情がちょっとでも落ち着くまでは、と、なかなか足を運べなかったので、水族館を訪れるのは、約9ヶ月ぶりだ。子どもたちには、それぞれ好きな生き物がいて、その生き物たちに会うのを楽しみにしているようだった。

末娘は、トドが好きで、いつも最前列でトドのショーを観ている。

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トドは大きな身体には似合わない繊細な生き物らしく、自分の影に驚いてショーの練習が出来なくなってしまう事もあるのだそうだ。

出す声が全部、「エサ~!」「エサ~!」と言っているようにしか聞こえないのだが、そんな様子も含めて、末娘はトドが好きなようだ。

「エサあげたいなぁ。」とつぶやく末娘。しかし、餌用の魚はバケツ1杯1000円と、なかなか高級なので、躊躇してしまう。〈なんでも、とにかく、育みたい。〉気持ちが強い末娘。子育てすることがあるなら子どもにご飯をいっぱい食べさせる人になるのだろうか。

この時期には、「鮭の丸飲み」がショーの中で行われる。トドはあっという間に大きな鮭を飲みこんでしまう。ちなみに、お土産などに書かれているトドのキャッチコピーは〈鮭は飲み物です。〉なのだが、本当にその通りなのだ。

このコピーを見聞きする度に、私のおむすびを〈もう、飲むように食べられるね!〉と喜んでくれていた知人ことを思い出す。・・・人間は、できるだけ、よく噛んで食べてね。


二男は、サメが好きだ。古代生物が好きな彼は、古代にもサメの祖先が居た事、その流れを汲んでいるであろう現代のサメにも興味があるようだ。

クリスマスにサンタさんにお願いするレゴの中に、サメのフィグがあるのだが、そのカタログを持ってきて、「お母さん、このサメは何の種類か知りたいんだけど、調べられる?」とお願いされた。調べた結果、ハッキリと明記はされていなかったが、「ホホジロザメ」らしいことがわかった。二男は、「やっぱり!」と満足気。

二男は、サメが好きだから、サメは単なるサメ、では終わらない。何という名前で、何処に生息していて、何を主食として、どのような暮らし方をしているのかを自分で図鑑などで調べて知ろうとする。水族館でもサメに近い種類のものを、熱心に観察していた。


長男は、水族館では、鮭やマスの仲間が泳ぐ水槽をじっくり眺めていた。「あれって、銀鮭かなぁ・・・それにしては特徴が・・・」と、呟いていたりする。「写真とって、あとで調べてみるかな。」と記録する。

長男は水族館でも、動物園でも、博物館でも、科学館でも、知りたい事があると、係員さんを探し、質問して疑問について詳しく教えてもらう。専門家の活用にすっかり長けている。専門家の方々も、「自分の専門分野」に興味を持ってくれる子どもの存在を受け入れ、喜んでくれるので、とてもありがたい。

〈興味を持つ。好きになる。もっと知りたくなる。〉

そういった〈「好き」に衝き動かされる気持ち〉が子どもたちの自発的な学びのはじまりなのだと思う。子どもたちだけではなく、大人たちもきっと、そうなのかもしれない。


今の学校教育がどういった傾向なのか、学校に行かないという選択をしている子どもたちとの生活の中では、はっきりとは感じる事が少ないのだが、私が育った時代には、多少なりとも「まんべんなくできること」が求められていたと思うし、それを良し、としていたと思う。

しかし、ある程度のことを「大体は、まんべんなくこなせた私」には、「ものすごく得意なこと」も「ものすごく好きなこと」も無かった。

誰にも負けない好きとか、情熱をもっている人を眩しく感じていたし、未だに、そういう〈好き〉を持った子どもたちや大人たちを羨ましいと思うのだ。


10時過ぎに水族館に到着し、帰りは早くても閉館間際になることを、最初から予定に組み込むのは、私と夫の〈暗黙の了解〉だ。しかし、この時期の海の傍という水族館の立地は、身体の冷えを誘う。海風に含まれた湿気が身体を少しづつ冷やしていくのだろう。閉館が近づくと、末娘が、「そろそろ温泉に行きたい!」と言い出す。

うん、よい頃合いだ。

朝はどんよりとして、いつ雨が降り出すだろうと空を見上げていたが、私達が水族館を後にする頃には、すっかり雨雲は風に押しやられたのか、海は夕日に照らされていた。


海風ですっかり湿気を帯びた身体は縮こまっている。そんな冷えた身体を温泉でゆっくりほぐし、あたたまったところで、シメは、家族みんなが大好きなラーメン屋「自然派ラーメン処 麻ほろ 小樽本店」に向かった。

「麻ほろ」のこだわりについては、こちら。

化学調味料に頼らず、タレとスープ、二種類のチャーシューは勿論、ラードまで自家製(手造り)です。
・オホーツク海羅臼産の昆布の旨味を生かし、化学調味料不使用。
・業務用ラードは使用せず、あっさり用こってり用のラード、背脂粒ラードの3種類の油脂を手造りすることで、素材を生かし、後味すっきり。
・醤油は火入れしてない生醤油。味噌は佐渡の赤みそに八丁味噌をブレンド。
・魚だし(煮干し、サバ節、アジ節等)を下処理を留意しバランス配合。
・麺は、水を少な目に練り上げた、卵不使用の歯ごたえ良い細麺。スープを程良く吸い込み、おいしさの相乗効果。小樽の水で自家製麵をしています。

あっさり味、こってり味がメニューにあるのだが、それぞれまったく〈別物〉として楽しめるの。たとえば、こってり味噌には、あっさり味噌には使われない八丁味噌が使われていて、同じ味噌ラーメンという括りにあっても、まったく違うラーメンの味わいなのだ。

「ラーメンが好き」「自分の納得した美味しいものをお客さんに提供したい」という気持ちが、ここまでのこだわりになっているのだろう。

そして、「麻ほろ」のメニューに大盛りは、存在しない。

もし、自分がラーメン屋を経営している立場であれば、組み込むであろう「大盛りというお客さんの要望」とは一線を画し、「味のバランス」を最優先として、「大盛りはやらない」というのも、この店のこだわりのひとつに挙げられると思う。

沢山食べる子どもたちを抱える我が家にとっては、なかなかしんどいこだわりだ。「大盛りがあればいいのに!」と何度となく思った。

でも、仕方がないのだ。

好きは、ラーメンをただのラーメンにはしないのだ。

「大盛りにすると、スープと麺のバランスが崩れる。だから、大盛りにはしない。」というのが、このお店の一貫した姿勢なのだから。


ひとり一杯のラーメンでは、足りないことは予想していたので、長男は、ラーメンを食べ終えた後のスープで作るおじやをオーダー済。二男は胡麻ダレ鶏丼とセットだ。

ご飯でお腹を満たせ!男子たちよ!

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しかし、4歳の末娘も大人サイズのラーメンを完食。

そして一言。

「・・・おかわり。」

夫と私は、もうちょっと食べたいな~と顔に描いてある長男と二男の胃袋の様子を確認し、「あっさり醤油、もうひとつお願いします。」とオーダーしたのだった。

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ラーメンを食べながら、長男が、壁に飾られている魚の絵をみて、「あれってさ、なんだと思う?何か意識して描いたとしたら、アメマスだと思うんだよね。ヒレの形とかが。」と言う。帰りにお店の人に聞いてみたらいいかもしれないね、という事になり、お会計時に店員さんに尋ねてみた。

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「・・・う~ん?なんでしょうね?わかんないなぁ~。」

・・・ラーメン屋さんは、魚はそこまで好きではなかったようだ。


好きという気持ちは、サメをただのサメでは、終わらせない。

好きという気持ちは、ラーメンをただのラーメンでは、終わらせない。

好きという気持ちは、魚をただの魚では終わらせないのだ。


末娘のトドが好き、という気持ちは、どんな変貌を遂げるのか。

私の密かな楽しみである。


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