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漫画みたいな毎日。「自分で選びたい欲求と諦め。」

片付けや掃除で夢中になっているうちに、夫のマグカップを2つも割ってしまった。

1つ割ってしまい、新しくおろしたのに、数日後に再び割ってしまったのだ。

洗い物を置く棚には、夫のマグカップだけでなく、私の物も子どもたちの物あったのに、何故か落として割ったのは、夫のマグカップだけだった。


「ごめんね。」という私に「怪我しかなった?」と優しい声を掛けてくれ、「何かリセットの時なのかもしれない。」と呟く夫。

マグカップはひとりひとつ、それ以上は日常で使うことがないので、いただいたマグカップは食器棚で出番を待っていることがある。

我が家はマグカップをいだたくことが多く、1つ目のマグカップ破損後も、2つ目のマグカップ破損後も、夫が使っているマグカップは、新しく購入した物ではなく、プレゼントや記念品でいただいた物。

もしも、割れたのが私のマグカップだったら、控えているものがあっても、自分の好きなものを選んで買うだろうなぁ・・・。

夫のマグカップを2つも割っておきながら、反省の色が見えないではないか!と自分でも呆れた。

今、使っているマグカップを蔑ろにしているわけではない。

単に、自分の使うものは、自分で選びたいという欲求が強いのだ。

若い頃ほどではないが、特に食器や衣類に関してはこのような気持ちが強いかもしれない。両親が食器にも、住環境にも興味がなかったで、その反面教師でもあるのだろう。

「何でもいい、ではない。何でもよくはない。」

別に百均の食器がダメとか、どこのブランドでないとダメとか、そういう問題ではなく、とにかく、自分の心地よいと思うものを使いたいのだ。自分が「コレ、好きだ!」と思ったものを使いたい。自分の心地よい、好きだと思うものが視界に入っていたら、それだけで気持ちが上がる。

それでも、人と暮らす中で、諦めることも随分覚えたと思う。

全部自分の思うようにはいかないから。私だけで暮らしていたら、生活感をできるだけ少なくしたいと必死になっていただろう。しかし、私達は生活している。自分とは別の人間が5人も集まっているのだから、雑多になってあたりまえなのかもしれない。散らかってる子ども部屋を見ないふりをするのも、なかなか上手くなったと自分でも思う。

子どもたちがもっと小さい頃、初めて我が家に遊びにきた幼稚園の友人に言われたことがある。

「けいこちゃんの家には木の玩具しかないんじゃないかと思っていたんだけど、プラスチックの玩具もあるんだね。」

そんなイメージだったのだろう。そんなにストイックに見られていたのだろうかと驚いた。

木の玩具が、子どもたちには重たく扱いづらい、使い勝手が悪い場合もある。木の玩具も素敵だけど、そうでないものをダメだと思っているわけはない。レゴだってプラレールだってバリバリにプラスチックだ。トミカだって木ではない。末娘はキラキラしたキャラクターの文具が好きだ。

子どもたちが百均で買った玩具もあれば、縁日で手に入れた玩具もある。
外の倉庫には、何処かで拾ってきたネジやら、海で拾った大量の流木や貝殻、行く先々で拾った石が段ボールに入っている。家の中のあちこちに工作したものたちが置かれている。

子どもたちの意思ではなく、私の意思だけで、木の玩具しかない家だったら、そっちのが問題だし、怖いよなぁと思った。

世の中には様々な物が存在している。自分で見て、自分で感じて、自分で選ぶ経験をして行けばいい。

長男は、「プラスチックはゴミになったときに環境に影響が大きい」とできるだけ、最後に捨てるときのことも考えて物を選ぶことがある。でも、これは、私や夫が教えたり、強要しているわけではなく、自分の経験や学びから、その方が良いと思って選んでいるだけなのだと思う。

二男も末娘も大きくなるにつれて、自分で何を大事にするか考えて、選んでいくのだろう。

ミニマムな暮らしに憧れがないわけではないけれど、自分以外の人と暮らすということは、自分だけで暮らすわけではないので、良い意味で諦めが必要だということを家族から学んだと思う。

子ども部屋が散らかっていて、時に猛烈に苛々はしても、勝手に捨てることはない。子どもたちが大事にしているものがあることも、それはそれで大事なことだ。それが大人から見たら要らない、役に立たないように見えたとしても。自分にもそんな子どもだった時が確実にあったのだから。


子どもたちが片付けやすい環境を工夫できないだろうかと、今も試行錯誤している。

物を減らせば楽なのだけれど、現時点で二男も末娘も捨てるのは難しく、「集めたい」時期なのだから、いつか自分で「要らない」と捨てる日が来るまで、じっと待つしかない。

小さい頃から物を集めていた長男も、今では、「これ、なんでとってあったんだろう?」と捨てたり、整理したり、弟妹にお下がりしている。

そうやって今の自分に必要なものを、自分で確かめていくのだろう。

捨てたい、片付けたい、自分の思うようにしたいという衝動と戦いながら、気長に待つのが大人としての私の役割。

話を夫のマグカップに戻そうと思う。

何故だか割ってしまうのは、夫のマグカップばかり。自分で割っておきながら不思議でならない。ごめんね、夫よ。

「あのね、割っちゃって悪いなって思ってるんだけど、割れたのが自分のだったら、新しいマグカップ、どんなの買おうかな?ってちょっと思っちゃったんだよねぇ・・・。」

私が笑いながら呟くと、

「・・・けいちゃんってそういう人だよね。」


〈自分のものは自分で選びたい〉という私を、呆れつつ笑って許してくれる夫のおかげで、今日も我が家は平和だ。


 ヘッダーはみんなのフォトギャラリー・manu.さんのイラストをお借りしました♪ありがとうございます♪

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