あなたも私も嫌われ者_サムネイル

あなたも私も嫌われ者

なにか意見を発信すると、肯定的な意見と否定的な意見に二分されます。

ネットではフォロワーの多い人ほど非難されやすそうに見え、テレビタレントが政治発言でもしようものなら、さらに非難は多くなります。
実は、これは露出機会の母数が多いだけであり、特定の事柄について意見をすると、肯定的派と否定派を生むことは万人に共通します。

学生時代を思い出してみてください。
クラスの全員が常に同じ意見で、賛同し合った試しがあるでしょうか。
たった30人でもそのありさまです。

30人でランチをしましたか?
多くとも10人ほどでしょう。

人々は自尊心を保つために、否定されることから逃げまどい、感覚の違うもの同士でコミュニティを形成します。
ついには否定を恐れるがあまり、意見することに臆病になってしまいます。
自分の意見を代弁する発信者の意見を拡散することで、否定という火の粉の及ばない安全な位置から間接的に意見を発信します。

火の取り扱い方としては、実に安全な位置です。

SNSの普及とともに、多くの人々は自ら意見をしなくなりました。
学生運動はなくなり、デモも減ったことでしょう。

ぼくは韓国籍の人間なのですが、家系は在日朝鮮人と呼ばれるカテゴリです。
1世代前までは、制服であるチマチョゴリを着て朝鮮学校に通う生徒が通学中に制服を刃物で切られる事件は表沙汰にならずとも、度々ありました。
さらに前の世代では、残忍なヘイトもあったそうです。

最近はそのような機会は減り、平和になってきているかと思いきや、
社会学に知見高いとあるタレントさんとバーのカウンターで出会い、在日ヘイトが減少してきているなどの話をしていたらこんなことを言っていました。

「減ってないよ、ネットに移動しただけ。」

とてもシンプルなことですが、とても腑に落ちました。

物事には実に多面的であり、シンプルに語ると二面性があると言えます。

バーでタレントさんと話した内容の例では、差別主義者がリアルからネットに移動したことをが見る角度によっては平和に見えて、他の角度から見ると昔からなにも変わっていないのです。

こちらの有名な画像も、見る人によって歳を召した女性か、顎のラインがシャープな女性か、見え方が違います。


「ものごとは多面的である」つまりは特定の事象は見方によって認識が異なることを念頭に、ネット社会を代表例とし、肯定と否定の現実を記していきます。

気づかぬうちに自作した固定概念の偶像世界から、現実に目を向ける機会になるかも知れません。


あなたはノンプレイヤーキャラクターをご存知でしょうか。ロールプレイングゲームをしたことのある多くの方は、知っているはずです。

ポケモンのゲームではジョーイさんやオーキド博士、ドラクエのゲームでは吟遊詩人やルイーダの酒場の店主がそれにあたります。

ノンプレイヤーキャラクターとは、プレイヤーが操作しないキャラクターのことを指す語である。プレイヤーに操作されるキャラクターを指す「プレイヤーキャラクター」の逆である。それぞれ「NPC」「PC」と略される。
引用元: Wikipedia - ノンプレイヤーキャラクター

人々は深層心理において他人をNPCだと思う癖があり、これに対して本記事では「NPC感」という造語を用いります。

過去のテレビ番組では、番組への意見はテレビ局へと寄せられていました。

しかし、現在ではメディアが多様化し、YouTubeチャンネルの動画投稿、Twitterの投稿など、個人が発信する時代では肯定や否定の意見は公開されています。

#画面の向こう側には人がいる

などと、悪質なコメントに対してアプローチをする場面も見かけますが、強いNPC感を持っている悪質なコメント主からすると、NPCに悪態をついている感覚なので、根本改善は難しいです。
正直、「言えばわかる」などは浅はかであり、特定の人を深層心理を改めるには人生に寄り添うほどの覚悟がないと難しいです。

NPC感を悪く働かせる人物は、深層心理としてコンビニ店員は「コンビニ店員」というNPCだと思っています。

私を「くつざわのマネージャー」と認識しているひとのもまた、NPC感を持って見ていると言えるでしょう。

NPC感持っていること自体は全く悪いことではありませんが、悪事の引き金となりやすいこともまた事実です。

どんなブロガーも芸能人もアイドルも、1日1回はトイレに入ります。
その事実への違和感こそがNPC感を示します。

あえてNPCになる職業もあります。
アイドルや役者は明らかな例です。
アイドルはイメージ戦略上に位置し、コンプライアンスのルール上でアイドルというNPC像を表現します。

また演劇は視聴者や観客に没入感を与えるため、作品のルール上で「役」というNPC像を表現します。

これらは概念としてNPCと変わりません。

しかし、ひとたびカメラが止まり、舞台袖に入ればNPCではなく一個人になります。
夢を売る仕事はNPCとしてファンをつけるビジネスとも言えます。

特定の他者をNPCとして見ていると、
プログラム通りの回答が得られなければ、バグと感じ、逆上します。

それもそのはず、NPCとしての役目を果たしてくれないからです。

肯定は好きだけど否定を好まない。
否定があるから肯定があるにもかかわらず、ひとはそのバランスに目を背け、否定をゼロにしようと、世界の定理を変えようとします。

みんな潜在意識の中で自分のこと神(メインプレイヤー)だと思っているんです。

その根拠として、

私にとってあなたがNPCという証明はできません。
あなたにとって私がNPCではない証明はできません。
さっきすれ違ったあの人が狸が化けた姿ではない可能性は証明できません。

ならば、そんな不確かな世界では自分をメインに仕立て上げるよりも、他人も皆メインプレイヤーだと仮定した方が生きやすいはずです。

1+1=2の式ですら議論の絶えないような、答えのないこの世界。
科学でさえ、そもそもの数字の概念が否定されれば全てひっくり返ります。

数字に変わる別の尺度で測れば超常現象が容易に解明されたりタイムスリップが可能となる可能性すらあります。
答えのあるものが全てではありません。

僕たちは仮説のなかで生きています。

なので人間は皆、答えを求めるがあまり何かにすがって生きていこうとします。

そうでもなければ宗教は存在しませんし、ロックバンドやアイドルグループは神格化されません。

あなたは神じゃないかもしれませんが、神かも知れません。
ぼくからしたら自分が神かも知れないから、あなたは神じゃないかもしれない。

ちなみに人類史上神とされてきた存在ですら、世界人口の半数の票を集められたことはありません。

人口70億人の地球においてキリストですら信者は20億人です。

あまり神や宗教と行っているとスピリチュアル臭に感じて肌に合わないひともいると思うので他の例をとってみます。

米国立公文書記録管理局と超党派の選挙分析サイト「クック・ポリティカル・レポート」のデータによると、2008年米国大統領選挙において、バラクオバマは52%の投票数で史上最多の票数を得ています。

米国史上最多の投票数でも52%です。

仮にあなたが米国大統領ほどの思想を抱き、演説を行ったとすると、結果が良くても二人に一人は否定派なのです。

そんなことないと思う方は、大統領の気質があるかも知れません。

こんなにも否定派の存在が普遍的な世界で、それでもあなたは自分を否定する人を一人残らず説得しようと一生懸命になるのでしょうか。

人の夢に無理とは言いませんが、その夢が叶えば人類史上初の存在になり、全人類をファンにした本物の神になるでしょう。

・物事は見方によって認識が違うこと

・意見は過半数の肯定を得ることすら難しいこと

・他人はみんなNPCかも知れないけど、メインプレーヤーと仮定した方が生きやすいこと

そんな現実を受け入れて、
そんな答えなき世界を憂いて生きていきませんか?

ぼくの場合、1万人に嫌われても1人に好かれていたら満足です。


この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?気軽にクリエイターを支援できます。

ざわマネ「ぼくもあなたのことが好きです」
31

KOH

怪しい者ではありませんが、怪しそうな者ではあります。

マネ論

マネーロンダリングではありません、しがないマネージャーの持論です。