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【徳島勝浦民泊①】築100年の古民家改装プロジェクト始動!

今回3日間、急遽徳島に帰省することになりました。目的は、徳島県勝浦町に所有している空き家を民泊にする計画のためです。

これから民泊に関する記事の投稿に関しては【徳島勝浦民泊】のタイトルでお届けしていきたいと思います☺️

勝浦町はどんな町?

私は徳島市内で生まれて育ったので実家は徳島市内にあるのですが、20年前に亡くなった父の実家が徳島県勝浦郡勝浦町というところにあります。

勝浦町は徳島市内から車で40分ほどのところにある程よい田舎。人口は5000人弱と所謂一般的な過疎に悩んでいる町です。
ただ、以前にも投稿した勝浦郡上勝町はいろどりビジネスやゼロウェイストで有名で、1400人の町に毎年4000人の視察が来るという全国的にも有名な町です。徳島市内から上勝町まで行く時、必ず勝浦町を通るのですが、残念なことに勝浦町は素通りされてしまうことが多く、観光客を取りこぼしている現状も多くあります。

出展元:https://www.rakuten.ne.jp/gold/awa-21/co/map_tokushima.htm

有名な産物はみかんやすだち。父の先祖もずっとみかんとすだちを作っている農家でした。

有名な観光名所は、四国八十八ヶ所の20番札所になっている鶴林寺。実際にお遍路さんとして外国人の方もよく見かけます。

その他、勝浦ビックひな祭りという使われなくなった雛人形をたくさん飾っているお祭りはもう36年も続いていたり、桜のシーズンはさくら祭りというイベントも行われています。(東京で人混みの中桜を見るより、個人的には勝浦の桜の方が人も少なくてよっぽど綺麗に見れます!)

個人的に好きな勝浦のお土産は、栗が入った岩屋まんじゅう。ぜひ一度食べてみていただきたい勝浦銘菓です。

ただ、勝浦町は上勝町や神山町のような目立った有名町ではなく、地域活性には課題を感じている町です。


築100年の古民家。実は先祖はすごい人だった。

私の旧姓は「高山」で、先祖はこの「高山」の名を大事にしてほしいということを以前よりずっと言われていました。

というのも、今でこそ空き家になってしまい衰退してしまった高山家ですが、先祖を辿ると中には結構すごい人がいたようです。戸籍を辿ると江戸時代末期まで遡ることができました。

紋蔵(江戸時代末期)→吉太郎(明治時代)→一義(明治時代)
→進(大正時代)※私の祖父 →晴行(昭和)※私の父

この先祖の中で、「吉太郎」さんという方が凄腕の方だったそう。あくまで父から聞いた話なので本当かどうかの証拠はありませんが、昔この家がある勝浦町の与川内というエリアはかなり貧乏だったとのこと。ただ、この吉太郎さんは今の証券会社の前進にあたる金融機関で、海外の金融取引を行い莫大な資金を手に入れ、そのお金でその与川内の地域の人にご飯や仕事を与えていたそうなのです。そのため、地域の人からはかなり慕われていたそうです。

またその資金を作って建てたのが、この築100年の家とのこと。確かに、この家は当時にしてはかなり造りもしっかりしていて、自分で言うのもなんですが、今見ても立派な家です。敷地も広く、門構えも結構ちゃんとしています。そして、当時上勝町に行くためには、高山家が関所的な役割をしていたそうで、誰でも上勝に行けないようになっていたとも言われています。

当時の内閣総理大臣の桂太郎から新築祝いの掛け軸のようなものもいただいており、政治家との繋がりもあったそう・・。今では考えられない。笑

意味:得志而恐驕(こころざしをえてはおごるをおそる)


お庭もあり、実は化石もあったりします。笑
勝浦町は恐竜の里としても有名な街なので、化石がたまに出てきます。

手入れをして少し復元したお庭


いくつかある蔵の外壁に使われている瓦。インスタ映えしそう。

今では開けられない金庫・・。


人形浄瑠璃もしていたそうで、「高山高尾」とは吉太郎さんの浄瑠璃のお名前とのことで、その語りの冊子もありました。これは実物で見るとかなりすごいです。

開くと迫力のある字で書かれていて圧倒される・・


去年まで蕎麦屋を営んでいた人に貸していたこともあり、部屋は今まだ残留物が残っている状態なので、追々またシェアします!


どうやって価値のあるものにしていくか

こういう話を知り合いや友人にすると、「そんな実家があって羨ましい!」と言われるのですが、勝浦町にもこの家にも私は住んだことはなく、毎年固定資産税もかかるし、少し前まではこんなものを相続されても困る・・・と本気で思っていました。

昔は価値があったものでも、今は言っても築100年です。いろんなところで朽ちてきており手直しをしないといけないし、土地もかなり広いので管理も大変です。

でも、高山家は昔から先祖をかなり大事にする家系で、幼い時は年4回必ず親戚で集まり、いつもお墓の山を登って掃除とお墓参りにも行っていました(昔のお墓は山道を10分くらい歩いたところにあって、虫も多くて掃除しにいくだけで一仕事でした)。今でも帰省したら必ずお墓参りに行きます。

父も亡くなる前から「この家を大事にしてくれ、残してくれ」とずっと言っていました。当時の私は幼くて、愛着もない家に対してそんなこと言われても困ると思っていましたが、今はそれはもう自分の宿命であると思っています。

私も妹も結婚して高山から姓を変えてしまったので、もう高山の名前を名乗る人はいません。だからこそ、これを「新しい高山」の形としてどう残していくか、それにどう価値をつけていくか。それに挑戦しようと思っています。

これから少しずつどうやって民泊を実現していくのかを、書いていきたいと思います。ぜひ応援よろしくお願いします!



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