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【006】時の厚みとデザイン

こんにちは。すーです。
今日はふと思いついたことを書いてみたいと思います。

昨日、ペルー人のクラスメイトと「イタリアに来て、何が1番違う?」と話していました。天候や食事等その場では色々話したのですが、家に帰ってからふと1番違うのは「時の厚み」かもしれないと思いました。

上手くは説明できないのですが、こちらに来てから

  • 自分が、古代から脈々と続く時の中で生きていること

  • これからも時は流れ、自分の一生は、その膨大な蓄積の一部でしかないこと

を体感的に感じています。
時が立体感を持つ「厚み」として、常に自分の背後にあるような、そんな感覚があります。

そう感じる理由として、おそらく周囲を歴史的な建造物に囲まれていること(イタリアでは文化財はもちろん住居やお店も古い建物が多く、築100年以上もザラらしい)が大きいとは思うのですが、これまで滞在した世界の都市でもここまで「時の厚み」を感じる場所は初めてです。

この「時の厚み」がデザインにどのような影響を及ぼすか。以前noteで書いたように、今やデザインは社会システムの変革までその対象を広げています。

一方、学べば学ぶほど、社会システム変革のデザインは短期的には目に見え辛く、既存のビジネスのペースはもちろん、人の一生を通しても明確な成果を実感することが難しい営みなのかもしれないとも思います。

自分自身、今まで「社会課題の解決」という名のもとに様々な取り組みをしては「世の中何も変わらないな〜」と無力感を感じることを繰り返してきました。

ただよくよく考えてみれば、何かが変化し、社会の形が変わっていくこと、それには膨大な時間がかかるわけです。大小様々な変化の種が、悠久の時の中でゆっくり芽吹き、その蓄積が何かの形になり、次の時代に続いていく。

そう考えると、1人のデザイナーとして、1人の人間として、自分の一生に許された時間の中で、より良い未来に繋がる変化の種をいくつか蒔くことができたら、それはもう御の字なのかもしれないなと思いました。

良い意味で肩の力を抜きながら、楽しみながら、変化の種を蒔いていくこと。イタリアの持つ「時の厚み」にそんなことを教えてもらっている気がします。

とりとめはなかったですが、つぶやきでした。
それでは、Ciao~!

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