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それでも私達は手を取り合える。『あのこは貴族』が示す連帯

全く投稿しなくなって放置していたら2年近くも経ってた…

編集的な仕事をしておきながら書く習慣がないのはよろしくないなと思うので、気まぐれに頑張って更新します。
といっても、自分が書けるネタは映画か本くらいしかないなあと思うので
2021年で今の所ベスト候補の映画『あのこは貴族』の感想を今回は書いていきます。


2021年2月に公開された本作。
山内マリコ原作の同名小説を『グッド・ストライプス』の岨手由貴子監督が映画化。
主演は門脇麦、水原希子。

あらすじ(公式サイトより抜粋)
「東京に生まれ、箱入り娘として何不自由なく成長し、「結婚=幸せ」と信じて疑わない華子。20代後半になり、結婚を考えていた恋人に振られ、初めて人生の岐路に立たされる。あらゆる手立てを使い、お相手探しに奔走した結果、ハンサムで良家の生まれである弁護士・幸一郎と出会う。幸一郎との結婚が決まり、順風満帆に思えたのだが…。一方、東京で働く美紀は富山生まれ。猛勉強の末に名門大学に入学し上京したが、学費が続かず、夜の世界で働くも中退。仕事にやりがいを感じているわけでもなく、都会にしがみつく意味を見いだせずにいた。幸一郎との大学の同期生であったことで、同じ東京で暮らしながら、別世界に生きる華子と出会うことになる。2人の人生が交錯した時、それぞれに思いもよらない世界が拓けていく―」


すごくざっくり言うと
本来出会うはずのない者同士が出会うことによって起こる古い価値観からの脱却、偶然がもたらす世界の広がりを丁寧に描いた映画です。
一言で表すなら解放の物語。

この作品、
“本来出会うはずのない者同士”ってところがミソなんですよね。出会わない理由は単純明快で、住む世界が違うから。

華子の友達である逸子(石橋静河)がこんなセリフを言う場面があります。

「東京って住み分けされてるんだよ。階層が違う人たちとは出会わないようになってるの」

目に見えないけれど、確かに存在する階級。
スクールカーストよりももっと大きいその境界は、自分が生まれる前から決まっている、ある意味残酷なものです。

華子の周りには華子と同じような境遇、何不自由ない環境で育った人たちが集まる。
美紀もまた然りで、同窓会の場面で醸し出していた息苦しさ。ああいうのから解放されたくて美紀は上京したんだろうなと思います。

この2人を見ていると、周りにいる人は自分を映す鏡、という言葉を思い出します。

今日までたくさんの人と出会って影響を受けてきた。そうやって形作られた自分を本当の姿と信じて疑わないけれど、果たして本当にそうだろうか?と、観ながら考えていました。

誰と出会うかによって人生って簡単に変わるけれど、根本の階層を抜け出さなければ本当の意味で変わったとは言えないのかな…とも感じたり。


でも、そんな2人の階層の違いを、安易に対立の原因にしていない点がこの映画の素晴らしいところだと思います。
それどころか、分断を繋ぎ止めて連帯にまで進めようとする姿勢を見せてくれるので、僕としては映画から溢れ出る優しさと希望を感じずにはいられませんでした。

もう一点、すごくいいなと思ったのは、
華子と美紀は確かに出会うけれど、”すれ違う”程度のものだということ。
2人の共演シーンは実はとても少なく、同じ画面に映っているのは2シーンくらいしかなかったように思います。

交わした言葉も決して多くなく、劇中で仲良くなるわけでもありません。あらすじにもある通り、本当に交錯する程度なんですよね。
でも、だからこそ2人が交わした言葉や時間の濃密さにリアリティを感じました。

誰に言われたか忘れたけど、ずっと自分の中に残ってて、時たま思い出して励みになる言葉ってあったりしませんか?
そんな感じなんです。華子と美紀の関係性って。

もう会うことはないかもしれない。何年も経って、顔も名前も思い出せなくなるかもしれない。
でも、あの時東京で、偶然出会った女性に忘れられない”何か”をもらったことはずっとお互いの心に刻まれるはず。

そんな、無数の出会いと別れを繰り返す中で、ほんの一瞬のすれ違いが起こす奇跡みたいな瞬間を切り取ってくれたことが嬉しかった。

分断を煽ることも誰かを裁くこともせず、閉じられていた世界は静かに開いていく快感は、これまでに味わったことのないもの。

柔らかく凛とした華子のラストカットの微笑み。自分の足で物語を歩み始めた、一人の人間としての美しさが確かに表れていました。 

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