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大学生活を振り返って-コロナな大学1年-

このテーマはやらなきゃいけないけど、どうしてもやりたくなかった

傷が癒えてない瘡蓋のようなもので、2,3年寝かした方がきっと良い振り返りができるんだろうとも思うが、未来に時間がある保証がなく、思い立った今渋々手をつけている。

走り続けた4年間は迷走ではなかったと胸を張って言える。
最短距離ではなかったけど、持てる力をありったけ人生にぶつけられたかな・・・なんて楽観的に思う。

ただ、苦しい4年間だった。
性格が変わるほどに辛いことが多かった。
人はどんどん変わるとはいうものの、ここまで良くも悪くも変わったのは人生でこの時期だけではないだろうかと思う。
全部で4本のブログにして、1年ずつ丁寧に振り返っていこうと思う。

誰かが私の人生を参考により楽しい人生を歩めたらいいな。

ここでは大学1年生時代について振り返る。




2020年
コロナが直撃した年だ。
私は地元である札幌から上京する予定だったが、大学が一向に始まらないため、流れに流れ、オンラインで授業を受けつつ、地元に残る1年になった。

「コロナを利用したい!」と、なんとなく思いながら生活していた。
結果として、後悔も多いが、まぁまずまず「やりたいこと」の消化をできた年になった。

4月
本来、入学式、新歓にサークル活動など新たな出会いが多い時期に、私は地元、札幌の実家にいた。
大学が始まらないことに苛立ちながらも、読書をすること、映画を見ること、漫画を読むこと、など我慢してきたわけではなかったが、どうしても時間がなく後回しにしていた「好きなこと」を満喫していた。

髪を染めたり、4月の11日からは祖父が残してくれたお金で、自動車教習所にも通っていた。
コロナでありとあらゆるものがストップして、家から出ることもままならなくなったが、その環境を逆に活用してやろうと意気込んでいた。
楽しみが消された分、別で取り返さないと損だと思っていたのは記憶に新しい。

5月
まだ大学が始まらない。
高校スポーツを怪我で終えた私はとにかく不完全燃焼だった。
だから手術を受け、リハビリも再開して、もう一度スポーツする生活を取り戻そうともしていた。大学では運動系サークル、もしくは部活動に入ろうかと思っていた。

コロナが緩和されてからは高校からの彼女と観光地を巡った。
定山渓やノースサファリなど、できるだけ人と「密」にならないような遊び場に出かけた。気にせず旅行をしている人が増えてきて、我慢しているのがバカらしくなってきたのもこの時期だった。

6月
オンラインで大学が始まった。
ネットを通し、友達ができた。同じ学部で似たような趣味の人と繋がれて、やっと大学生活が始まったな、と思い込んだ。これからだ!というワクワクが合った。

授業では、面白そうなものを全部取ろう、と言う気持ちで他学部の授業や学問ではない授業(命の授業など)を履修した。
意識が高かったわけではないが、家計を苦しめて高い学費を払っているため(本来は国公立のみの受験予定だった)、できるだけ大学を利用して勉強するのが親孝行だと思い机に向かった。

7月
ほどほどに遊びつつも、本格的にお金がなくなってきた。
アルバイトを探すものの求人自体が見つからない。

大学がある程度はじまってきたことにより、周りの友人たちが大学で遊び始めた。
オンライン大学にいる私の誘いにはあまり乗ってくれなくなり、孤独化が加速した。今も付き合いがあるT君と彼女くらいしか友達がいなかった気がする。思い出しても辛い。
ネットを介して仲良くなった子も自然と喋らなくなった。

また、ファッションにハマった。
大柄な体型なため、ファッションなんて・・・と思っていた矢先、カーハートなどのワーク系アメリカ古着が流行した。
しかもそれらは安かった(なんといっても作業着だからだ)。
暇さえあれば古着屋やリサイクルショップを梯子した。買うことは少なかったが、色々な服の勉強をでき、それが今のファッションの礎を築いてくれたと思う。

8月
7月に引き続き、アルバイト探しに奔走。しかし、なかなか見つからず、派遣会社にも登録したが、仕事は来ない日々。
当時のインスタグラムを見ると、6件応募して6件落ちていたようだ。
遊ぶ時間はあっても、お金も友達もいない状態。ネットフリックスやアマゾンプライムで映画を見る日々を送っていた。

そんな中、コロナの給付金を利用し、原付(Ape50)を購入。このバイクとの出会いが、私の生活を大きく変えてくれた。本当にいい選択だった。

原付で田舎のおばあちゃんに会いに行った。片道2時間くらいだろうか。
畑しかないまっすぐな道を抜け、見慣れた家が目に入った時とても安心した。おばあちゃんとは私のルーツについての話をした。私がどういう家系の生まれなのか、ということを知っておきたかった。
SNSで、「実は私の先祖は〇〇家だった!」という他人の投稿を見たことがあったため少し期待していたが、実際はなんてことはない農家だった。

しかも、まだブロッコリーが流行っていない時に栽培を始めて、失敗、廃業するような新進気鋭の農家で、「面白いけど、期待と違った」と思った。
ブロッコリーで廃業した人の血を引いた人間なのだから、そんな真面目くさって生きる必要もないか、とも思った。


9月
TOEICを受験した。大学受験勉強から英語の勉強をあまりしていなかったので、結果は芳しくなかった。
予定していた留学生活が心配になった。
しかし、直後にコロナの影響で留学が中止になり、ホッとしてしまった。

友人とビリヤードばかりする生活が続いた。17連敗して逆ギレしたり、ちょっとずつ上手くなったり、手加減されていることに気がついたり、まぁいい思い出だ。
やることがないなりに楽しみを見つけていた。

10月
清掃と弁当配達のアルバイトを始めた。
部活しかしてこなかったため、初めてのアルバイトで、新鮮な気持ちだった。
辛いことをするだけで、お金をもらえるって嬉しいなと思った。
今まではいくら走っても、いくらトレーニングをしてもお金はもらえなかった。

大学学部のLINEグループができたが、そこで発言する人たちが不快で、嫌いになってしまった。今思えば、大学生のノリは私に合っていなかった。
なんとなく、自分は同い年の一般から悪い意味でズレているのかも、と不安になった。

11月
大学の授業に没頭。
面白い授業が多く、ものの考え方や将来について、たくさんの学びがあった。
第一志望に落ちての入学だったため、期待していなかったが、思ったよりもいい大学だと感じ始めていた。同級生とはズレが気になり、相変わら友達はできなかった。

アルバイトがそこそこ充実した。家の近くにお店があまりないため、原付で30分ほど行ったところの店舗で勤務していた。アルバイト→寝る→遊ぶ→アルバイト→遊ぶ・・・といったような暇がない生活をしていた。

12月
短期のケーキ作りとお寿司作りのアルバイトをした。

ケーキ作りのアルバイトは中学の頃の同級生とやった。
工場での仕事で単純作業&拘束時間が長いというキツイアルバイトだったが、なんとか乗り切った。その際に、同い年の子が大学の部活動で丸々参加してきており、大学部活動ってそういうこともできるんだ、面白そうだなと感じた。

お寿司作りの方は、アルバイトをまとめるパートさんがいわゆるお局様で、バイトを飛んでしまう人が多かった。人って捻じ曲がるとああいう人になってしまうって感じた。電車でいる怖い人が上司って感じだ。逃げ出したかったけど、なんとか最終日まで乗り切った。この時特に仲良くなった子が私の父の教え子だったことを知り、世間の狭さを感じた。
先生としての父の姿を知り、父への尊敬みたいなところもこの辺から湧き出した。まぁ悪いところも言ってたけど・・・。

1月
友達の家に通ったり、彼女と新しくできた韓国スーパーなどのお店に買いに行ったりと、遊び回っていた。服についてもどんどん詳しくなってきて、やっとまともな服装をし出したのもこの辺だったと思う。
岩盤浴や銭湯にハマっていた。サウナブームに乗っかっていたのかもしれない。
ただ、とにかく遊びに飽きてきていた。
冬の北海道は本当に遊び場が少ない。
お金があってもなくても遊ぶ場所がないな・・・と思っていた。

2月
お金があってもやることがないので、見たかった作品や興味のある本を惰性で読んでいた。
基礎的なビジネス本を読んだのもこの時期。
大学生が面白くないと感じ、自分はもっと面白いんだと思い込んで、「イタイ大学生」になっていた。髪の毛も金色に染めていた。

来年からちゃんと上京することが決まり、焦り出した。
家族とも彼女とも物理的な距離が空く、1人で生きていかないと、行けない不安感があった。


3月
引っ越し先が決まり、全部に「最後の」がつく日々だった。
最後の旅行、最後のビリヤード、最後のカラオケ、最後の映画館デート。
なんとなく、東京に出たらいいことがあるんだと信じ込んでいて、気持ちは安定していた。

地元に残る彼女はカラオケで「木綿のハンカチーフ」を歌っていた。

「ただ都会の絵の具に染まらないで帰って」

木綿のハンカチーフ

なんとなく漠然と都会の大学に行きたかった。
自然しかない、人が少ない地元から離れて、学業でも、スポーツでも私がどこまで通用するのか試してみたかった。
彼女を悲しませるのは辛いけど、わがままな私には上京しない選択肢はなかった。

飛行機に乗ってベタに泣いた。
ベタな人間だなと思った。


次回は上京した大学2年について振り返る。とにかくいいことがない、しんどい1年、思い出したくもない・・・。ようなきがする。

yamamoto

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