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起きてる限り小説を読む生活-読むモチベーションをここに記す-


はじめに

    私は今、文庫本の小説を1日に2冊ずつ読んでいる。目が覚めてから眠くなり目を閉じるまでずっとだ。スピードとしては、読書家に比べると遅く、非読書家すると少し早いくらいだろうか。
この文章を書いている3/5時点で読もうと思った日から10日経っており、20冊を読破した。

 しかし、私は本を読む中で、退屈と感じることが多い。暇でやっている気晴らしの一種として選択した読書を退屈と感じてしまう。
本当に好きな本の中では感じないこともあるが、読んだうち20%くらいの本は途中で「辞めたい」「早く終われ」と思ってしまっている。
その状態になると、もう読んでいる意義が失われ、時間を消費するためだけに小説を読むという無駄極まりない行動をとってしまっていることになる。

 そこで、退屈した時にモチベーションの源流に戻り、勢いを取り戻せるよう「なぜ小説を読むのか」という点を自分なりに言語化しようと考えた。


私が小説を読む理由

 私が小説を読む理由を自己分析した。その結果大きく分けて5つの理由からだということに気がついた。ここにまとめて言語化し、立ち止まりそうになった時に良い返したいと思う。

楽しいため

 やはり小説を読むのは楽しい。
作品内の強烈なキャラを感情を揺さぶられるのも、
作者の言葉遊びにニヤニヤするのも
青春作品を通し自分を顧みるのも
全部が楽しい。
 活字であるが故に、脳内イメージで補完される小説は、他の娯楽とは異なり、人に合わせた情景を読者に見せることができる。
そのために、読者は美しいもの、愉快なもの、切ないものを本から読み取り、自分なりに楽しむことができる。
ここで得られる刺激は他の娯楽作品よりも強いものだと思う。

好奇心の範囲を広げるため

 私は好奇心の幅を広げたいと常々思っている。
「面白い」「好き」と感じるものを増やしたいのだ。
お笑い芸人が日々トークのネタを探すように、私も日常で好奇心をくすぐるものを探して、「今日も楽しかった」と言って床に就きたい。
しかし、「面白い」と思えるものを探すのは大変だ。
だから小説を読むことを通じて、他人の世界を経験し、人の生活を垣間見る。そしてその中から「面白い」を掴み取り、現実に輸入したい。

文章力を上げるため

 私は文章を書くのが苦手だ。「てにをは」などまともにやりたいと思ったことがない。これは私の精神的幼少期において、優れて飛び抜けることは難しくとも劣って飛び抜けることはできるという感覚から、あえて避けたことに起因する。
しかし、現実問題、社会に出ようとしている私が文章を書けないとなると、飛び抜けていて面白いやつではなく、単に「文章も書けないヤバいやつ」となってしまう。
そのため、改善トレーニングをしようと考えた。
小説を読むことを通じて、適切な語彙や文章の流れなど日本語の使い方に精通したいと考える。

芸術に共通した壁を打破するため

 私は様々な趣味を持つように心がけている。
私が目指す「かっこいい大人」は仕事ばかりに縛られることなく、自身の両足で楽しみを追求している人だからだ。
例えば私は、映画、漫画、ファッションなどが好きだ。
ファッションであれば、含蓄があり、示唆的な要素を孕んだデザイナーズブランドが好きだし、映画であれば大衆作品だけでなく、学問的な作品も好きだ。
しかし、それらの趣味をある一定まで追求した時、共通した見えない壁に阻まれてしまう。
それは解釈を任せるという作品のスタイルだ。
そのスタイルの作品は、作品を鑑賞する主体に、作品がなんなのかを投げかけ、考えさせてくる。だから、主体に教養を求める。

私はこのタイプの作品に出会うと尻込みしてしまう。
私自身の解釈に自信が持てず、他の鑑賞者の意見を求め、挙句、意見を乗っ取って自分の意見としてしまうことが多い。

このような現状を打破すべく、小説を読むことを通じて大衆作品から文学作品へと読書難易度の高い作品へとステップアップし、作品を鑑賞できるようになりたい。そして、そこを皮切りに他の芸術作品への理解にも挑戦をしようと考えている。

何をしていいかわからないため

 世界には、正しいことはないが、正しいと言われていることはある。
今の私がやるべきことは、小説を読むことではなく、社会勉強をすることかもしれないし、ITの勉強をすることかもしれない。
しかし、「嫌だけど努力したことは意外と裏切られて後悔することが多いが、愛を持ってやったことは後々失敗したとしてもその選択を後悔することがない。(令和ロマンのボケ)」ともあるように、私は「やるべき」より「やりたい」を優先したい。

おわりに

 小説を読む理由を言語化したわけはわかるが、公開したわけがわからない。という疑問に答えたいが、現状答えられない。まぁおいおい答えが見つかると思う。

noteに考えを記すようになって少し時間が経った。noteを通じて、みんなが生きてることを感じ心が落ち着く。反対に、私は孤独なのかもしれない、とも思ったが、目を逸らした。大学四年の冬。

yamamoto


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