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自分から不幸になる人の話

最近友人を見ていて気になった不幸になる人の話

どうも、飴玉です。
師走年の瀬を皆様いかがお過ごしでしょうか?
お風邪など召されてないでしょうか、心身のあちこちのメンテナンスも
大掃除とともに行って頂きましてどなた様にも穏やかに新年をお迎え頂きたく思っております。

ところで表題の「自分から不幸になる人の話」なんですが
ここ最近友人のXのポストを見ていて少し気になる事がありました。
私自身それについて真剣に考えたのでだれかに届いたらいいなと思いシェアしたいと思っています。

なんで自分が不幸に、はあってもなんで自分が幸せに、は聞いた事がない

その気になる友人なんですが日常の些細な「レジに割り込まれた」「悪意あるような物言いをされた」を皮切りに、毎日毎時小さな不幸をつぶやいていました。
疲れてるのかな、頑張ってるもんね!とそっといいねをします。
その数時間後、今度は「他人からこういう扱いを受けた」とつぶやく。
「毎日お疲れ様今度話聞かせて!」とコメントをする。

次の日の朝イチに「過去あった嫌な出来事を思い出して憂鬱」とつぶやく。

嫌なものは見なければいい。もちろんです。

愚痴ツイに反応しないで!吐き出させて!嫌ならブロックミュートして!
というポストを見て「嫌なら見なければいい」ってその通りだなぁ、と昔の飴玉は思っていました。
(愚痴ツイや吐き出しは解毒に必要なものだと思っているので少なくとも私にとっては必須です)

しかしふと、それって不幸な出来事自体に対してもそうなんじゃないか、と思ったんです。

人は不幸を、被ってくれる人になすりつけがち

そこそこ生きてきて、ようやく気が付いたんですが
「人間って結構他人の事見てるし区別してる」
他人の事情などはあまり見ないのに、自分のフィルターを通して他人を区別してるなって。

例えば出先で迷子になった際、ふとその辺りにいる”なんとなく人の良さそうな頼れそうな人”に聞きませんか。
イベントに行く際、同じイベントに行きそうな人の後をついていったりしませんか。

それって無意識に区別してると思うんですよ。
”頼れそう””この人自分と倫理観合わなそう”
”モテそう””モテなそう”
それは外見からかもしれないし、立ち居振る舞いからかもしれない。

生存戦略ですね、つまり”それが自分にとってどういう存在か”常に区別している。
脅威があれば離れなければいけないし、利益があれば寄っていく。

という訳で自分が身勝手な行動をしたい時、近くに嫌な目に遭っても多少我慢してくれる人がいたら、その人にワガママを言ってしまうものなんですね。
電車で座りたい時、譲ってくれそうな人に圧を掛ける人。
詐欺をふっかける人、悪口に共感してくれそうな人。
どこかで皆相手を区別して行っているんじゃないかな、と私は思います。

人間意外と自分につけた設定を守りがち

さらに、先ほどの”つい不幸に着目してしまう状態”です。
自分が不幸だと自身に設定してしまうと無意識に不幸をなぞってしまうんですよ。
だって自分は不幸だから。

ドングリ探す時って、ドングリの木が生えてそうな森に行って下向いてドングリ落ちてるか見ながら歩きますよね。
不幸を探す時、不幸になりそうな場所に状況に身を置いて小さくても不幸を探して「不幸みーっけ!」とやってしまってる状態です。


結論・不幸を避けるには「防御の為の不幸じゃないフリ」

例えばゴミを捨てたい人がいて、何も落ちていない人通りの多い道端で突然ポイ捨てする人ってあまりいないと思うんですよ。
相当度胸がいるじゃないですか、自分はポイ捨てしますの自己紹介って。
でもそれが、ゴミ箱のそばだったらどうでしょう。
「たまたまゴミ箱に入らなかっただけでポイ捨てした訳じゃないです」
「故意じゃない偶然ですでも拾い直して捨てるの手が汚れるから」
意外と簡単にポイ捨てできますね!

では次に、元々汚い場所ではどうでしょう。
通路の隙間に飲みかけのドリンクが詰め込まれたり、既に誰かがポイ捨てしていたら割と心理的ハードルを感じずポイ捨て出来るんじゃないでしょうか。夜の暗い道や、人通りがない場合も同様ですね。

という事は、元々不幸な人に多少の不幸や不利益を被せても、そこまで心が痛む事がないんじゃないかな?と思いました。

なので不幸を吐き出し続けていると
・自分で不幸を選んでしまう
・不幸を拾う人だと思われて新たな不幸が与えられる
そんな気がしてしまったんですよ。困りましたね。


回避する為には、上記の逆で
・幸せ(もしくは幸せそう)に過ごす
・善意から手を差し伸べても、身を削ってまではしない
もし万が一不幸を与えようとしてくる人がいたら
「自分は不幸じゃないんですけどあなたが私を不幸にするという事でよろしいですね?」とやるのが、私の不幸にならない為の防御策です。
まっさらな道に、あなたはゴミを捨てますか?
※それでもポイ捨てする人は腹を括って(または一切分別がなく)捨てる人なので離れた方がいい気がします だいたい治らないので

このタイトルで読んでくださった方は、おそらく不幸になりたくないか、なりたくないのに不幸になってしまっているんじゃないでしょうか。

読んでくださったお礼に、ひとつプレゼントをさせてください。

あなたは幸せになっていいし、あなたが幸せになると少なくとも私は嬉しいです


また別の記事で書きたいと思いますが、人間時々「他人を幸せにしない為に呪いをかける人」っていうのが存在するんですね。
嫌な刷り込み、心配のつもりの呪い、真心で包んだ大不幸……
そのひとつでも解除出来たら嬉しいなと思いつつ、今回はここまでにしたいと思います。
ここまでお読みくださってありがとうございました!
あなたとあなたの好きな存在にたくさんの幸せが訪れますように!


大余談ですが、幸せになりたいといいつつ不幸探しをしている人を幸せにする事は出来ません
前述通り本人が不幸になるとプログラミングしているからです
(それどころじゃない状態であればしかるべき病院への通院がおすすめです)
もしどうしても「幸せにしてあげたい」と思った時は、あなたが世界一幸せになるか、なっているように振舞ってください
勝手に嫌味と捉えたり眩しがっていなくなるか、もしくはそっちの方が楽しそうだなと幸せ探しに切り替えてくれるかもしれません
不幸探しのメリットとして「誰かが助けてくれて責任を被ってくれる」という依存が隠れている場合があります、共依存はとっても苦しいのでぜひ”北風と太陽”作戦がうまくいく事を祈っております
もし去っても気にしないでくださいね、彼らは簡単に次の依存先を探しますし、あなたは幸せになるから大丈夫です!
大余談の大暴論でした!



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