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機能不全家族と私と目覚め

毒親育ちは連鎖する、と言いますが

自身が毒親育ち機能不全家族出身だと気が付いたのはたしか6、7年前。
それまでずっと友人知人から「変わったおうちだね」「早く家出た方がいいぞ」と言われ続けていました。
私はそれを「私が実家で甘ったれているから遠回しに自立しろと言っているんだな」と受け止めていました。

成人して割とすぐ、どんどんうるさくなる素行への注意と監視に
「家出てもいい?」
と言い出した事があります。
社会人になってからの方が学生時代より行動に口出しをされるようになり、まともに友人と遊ぶ事が出来ないくらいになった時の事でした。

例えば夕飯が不要だと伝えても私の分の夕飯を作ってダイニングに分の家族の後片付けも含め大量に置きっぱなしにして片づけさせる、帰宅時間が気に入らないとチェーンを掛けて家に入れなくする、私の職場の知人に行き先を訪ねてまわる……
一番恐ろしかったのは、日付が変わって帰宅した際家中の電気を消しておかれ、手探りで自室に戻る最中通過した母の部屋の前で見た光景。
わざと扉を開け私に見えるように、布団の上で携帯電話を握りしめて正座していた母。
光に照らされた真顔、心の底から意地の悪い、娘へ罪悪感を刷り込んでやろうというのがありありと分かるその仕草。

今考えたらおかしい事が分かるのですが、当時の私は自分の至らなさのせいで母親を怒らせてしまったのだと本気で思っていました。

友人のひとりは「信頼出来る親戚一人に伝えて失踪しな」
他の友人は「いっそずっと帰宅をランダムにして諦めさせろ」

機能不全家族ゆえ親戚付き合いが希薄だったので、まずは帰宅を毎度ランダムにしてみました。
今までは申し訳なく思い定時には帰宅していたのを、自分が満足するまで外で遊びます。
しばらくののち過度の監視と嫌がらせがやりづらくなった私に諦めたようで、嫌がらせが減りました。
手応えを感じ元の生活に戻したら嫌がらせも元に戻りました。なんなんだ。

これを抜け出すにはやはり家を出るほかない。
失踪は躊躇ったので前述の聞いてみる作戦に出たわけです。

「家から5分の所ならいいよ」

家から5分……?

返答の意味が分からずおうむ返しすると、母親は意気揚々と続けます。

「あんたは家の事が出来ないし汚部屋でどうしようもない
私が面倒を見てやらなきゃいけないから通える距離にしろ」

※私は搾取子だったので家事労働の7割を担っており、かつ汚部屋の原因は実は母親でした

いや家事やってんの私じゃん、何を言っているんだ?と喉元まで出る言葉
しかし汚部屋な事実はあったので言い淀んでしまった私に、母は勝ち誇ったように

「そんなに一人暮らしを経験したいなら今まで通り家事を全部やってご飯だけ一人で部屋で食べたら?
そしたらいい練習になるんじゃない?」

それは今までと一緒では???

一切取り合わず、自分の都合だけを通し続ける母に心が折れてしまいました。
結局一人暮らしは断念し、なんとか家族とうまくやっていける方法はないかと周囲に聞きながら自分の心を殺しながら実家に留まる事を選択しました。

心無い知人からルームシェアという名の家政婦要員として巻き込まれそうになったり、甘ったれのすねかじりと近所へ噂を流されたりしていたのもずっと飲み込んでいました。

助けを求められる所がどこにもなく、私は自身が品行方正である事でそれらの扱いや噂を撤回してもらおうとひたすら頑張っていました。
でも容赦なくダメ人間だと家の中で扱われ吹聴され続ける間に随分擦り切れてしまい、搾取目的の人間が押し寄せる地獄みたいな時間でした。
ケアテイカーであり、スケープゴートであり、搾取子でありサンドバッグ兼奴隷でした。

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