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三十五年越し/エッセイ・小説

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「三十五年越し」(1)から(7)を掲載します。 /遠い昔の二十代の頃恋焦がれ続け、そして今日まであこがれ続けてきた美しい女性、美智子(仮名)さんへの心からのオマージュ、三十五年越… もっと読む
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「三十五年越し」/俯瞰及び目次

「三十五年越し」も記事数が増えましたので読者の皆さんの便宜のため、俯瞰及び目次を作成します。 1.本編 1)「三十五年越し (本編1) プロローグ」/遠い昔の二十代の頃、恋焦がれ続けた美しい女性、美智子(仮名、以下同じ)さんへの心からのオマージュ、三十五年越しのラブレター|りょうさん|note 2)「三十五年越し (本編2) 一回きりのデート」/遠い昔の二十代の頃、恋焦がれ続けた美しい女性、美智子さんへの心からのオマージュ、三十五年越しのラブレター|りょうさん|note

「『おたふく』『妹の縁談』『湯治』山本周五郎著(ハルキ文庫『おたふく物語』に収録の『おたふく三部作』」/日本の庶民の善意の美しさ、いじらしさを美しい『おしず』を通して浮かび上がらせる周五郎の名作 ~その1

『おたふく』 『おたふく』については、すでに多くを記してきました。二十代前半つまり40年ほど前にめぐり逢いこの年になるまで胸の奥に温かい心をともし続けてくれた周五郎の名作です。 私個人の中では、それは二十代に恋焦がれ続けた美智子さん(仮名)と重ねて今日まで思い続けてきた女神のような女性、それが『おたふく』のおしずです。 『おたふく』へのオマージュとして小説「智子、そして昭和」を書かせてもらいました。 オマージュは、「三十五年越し」や「雨と水玉」(上記「三十五年越し/俯瞰

「『寅さん:男はつらいよ』に関する記事を集めました」

『寅さん:男はつらいよ』(松竹映画)に関する記事(少し触れている程度も)を読者の方々の便宜のため、リスト化します。 時系列でリスト化したつもりです(が、厳密ではありません)。 1)「寅さん」世代と「逃げ恥」|りょうさん (note.com) 2)「三十五年越し エピローグ3」/『無法松の一生』至純の恋を貫き通した男の仕合せ|りょうさん (note.com) 3)「三十五年越し (本編5) 自立のいとなみと美智子さんへの恋」/遠い昔の二十代の頃、恋焦がれ続けた美しい女性、美智

「東京国際映画祭で阪東妻三郎の映画。三男田村亮が語る父(デイリースポーツ記事から)」いまだにニュースとなる阪妻、「無法松の一生」は永遠の名画、至純の恋と男心

田村三兄弟はリアルタイムで 我々の世代、戦後昭和30年代生まれの世代にとっては、田村三兄弟(高廣、正和、亮)は、阪妻の息子たちでもありますが、リアルタイムでテレビ、映画を彩った名優です。 それぞれに持つ味があり、高廣、正和が逝った今、亮だけがかつての時代を語ってくれる残された一人になりましたが、ある意味で親父の何かを受け継いでそれに自分で持つものを加える中で何ものかを私たちのこころに届けてくれたのだと思います。 (今回、愛着を込めて、敬称ぬきにて記します) 三男亮が語る阪

「三十五年越し エピローグ16」/三十四年前の10月13日朝、阪急曽根駅での再会の日が、また過ぎていった。今年10月13日はあの時と同じ金曜日だった。

昨年令和四年の十月十三日に、平成元年に二年半ぶりに美智子さんと偶然の再会をしたことについて、何回目かの記事を下記に書きました。 そして、今年令和五年十月十三日が過ぎていきました。今年の十月十三日は三十四年前と同じく金曜日でした。 なぜ、あの時、あの秋晴れの朝、本当に偶然にも、美智子さんと再会したのでしょうか。 二年半ぶりに逢った彼女は幾分大人びていました。それは服装であったし、頬のあたりが少しだけほっそりと大人の顔になっていたとも思います。 繰り返しになりますが、私に

「小説 雨と水玉(仮題)(79)」/美智子さんの近代 ”結婚式 その一”

(79)結婚式 その一 その日は梅雨の最中で朝から雨模様だった。 披露宴は午後一時からでその前に結婚式が十一時半だった。さすがに花嫁の美智子は朝の八時にはⅩホテルに入って支度を始めなければならなかった。 一人でホテルに入ったが、八時過ぎには啓一が来て顔を見せてくれた。 「おはよう、八時に一緒に入ろうとしたんだけど、寝坊しちゃった。」 「ありがとう」 「よく眠れたかな?今日は長丁場だから」 「うん、わたし意外と能天気やから、よく眠れた」 「意外ではないかもしれへんけど(笑)」

「小説 雨と水玉(仮題)(78)」/美智子さんの近代 ”結婚式前日、父と娘、そして母”

(78)結婚式前日、父と娘、そして母 六月も終わりの金曜日、明日は結婚式という日、 美智子は母にも手伝ってもらい朝から引っ越しの荷物をまとめ、昼過ぎには運送業者にすべてをトラックに運び出してもらい搬出を終えた。美智子も母も一段落しホッとした。 夕飯は最後の晩を家でゆっくり家族水入らずでしようということにしていたので、駅前のダイエーに母と一緒にこの日に予定していた買い物に行き、家に戻って母と妹のたか子も加わって夕食の支度をした。 父はなぜか、朝から手伝いもせず、夕方になって

「小説『雨と水玉』作者モノローグ2」/来るとこまで来て中断してますが、美智子さんの近代の今後に寄せる思いは尽きないので何度かこれまでを読み返し次の構想を練っています(改)

小説「雨と水玉」については、下記(77)を最後に結婚式を前に中断しています。 来るところまで来たとの思いもあり、この後がしばらく書けていません。7月下旬から1カ月ほど手ひどい胃腸炎とコロナで体調をくずしたこともこのことの一因です。 この間、最近ですが、ここまでの「雨と水玉」について二度ほど読み返しました。改めて、実は読むまでも無くですが、美智子さんの近代の続きに寄せる自分自身の思いに気付き直しました。美智子さんの近代の続きに寄せる自分自身の思いに気付き直しました。しかし繰り

「小説『雨と水玉』作者モノローグ2」/来るとこまで来て中断してますが、美智子さんの近代の今後に寄せる思いは尽きないので何度かこれまでを読み返し次の構想を練っています

小説「雨と水玉」については、下記(77)を最後に結婚式を前に中断しています。 来るところまで来たとの思いもあり、この後がしばらく書けていません。7月下旬から1カ月ほど手ひどい胃腸炎とコロナで体調をくずしたこともこのことの一因です。 この間、最近ですが、ここまでの「雨と水玉」について二度ほど読み返しました。改めて、実は読むまでも無くですが、美智子さんの近代の続きに寄せる自分自身の思いに気付き直しました。少しづつ構想の種が出て来ています。 BSテレ東を見て、寅さんの記事を書き

「BSテレ東 『男はつらいよ』第二十五作『寅次郎ハイビスカスの花』」/面白くて切ない寅とリリーの三度目の恋

繰り返し見続けても泪する「寅次郎ハイビスカスの花」 9/23放送の「寅次郎ハイビスカスの花」は、昭和55(1980)年夏にリアルタイムで観て以来、もう20回以上見ていますが、毎回面白く切なく、新たな自分発見がありました。これも最近は毎回ですが、冒頭のリリーが小岩でヒロシと再会する最初から涙が出ました。 「寅さんに、リリーがとっても逢いたいって言ってたって」という浅丘ルリ子のセリフ、もうたまりません。浅丘ルリ子は本当に名女優です。 リリー三部作の完結編とでもいうべき「寅次郎

「BSテレ東 『男はつらいよ』第十八作『寅次郎純情詩集』」/愛・美智子さんに伝わっていたこと

「寅次郎純情詩集」マドンナ京マチ子 プチマドンナとして檀ふみが登場しています。冒頭満男の小学校の先生として登場し、例によって寅さんは恋をするのですが、それは前段に置かれています。 再度”とらや”に帰ってきた寅の前に現れたのは、檀ふみ扮する先生の母親、京マチ子。たしかに往年の名女優はアップに耐えてとても美しい。 寅でなくとも、独身とわかれば同年代の男は誰しも恋をするに違いありません。 名家の気品ある美しさ 名家の女性を演じる京マチ子の気品は、まさに名女優。 娘の檀ふみはさ

「小説 雨と水玉(仮題)(77)」/美智子さんの近代 ”相合傘その二”

(77)相合傘その二 『寅次郎相合傘』鑑賞後の、ああでもこうでもあるということを父親と啓一がまだ飲みながら話していたが、母親と美智子は台所で食器やグラスの片づけを始めた。そこへたか子が来て、 「お姉ちゃん、啓一さん、ほんまに変な人やなあ、お父さんもお父さんやけど。それにおかしいのはお姉ちゃんまで寅さん観ながら一緒に目を赤くして。 移ってしもたんやろか変なところ?なあ、お母さん。」 「あんたにもいずれわかるやろ、なあ、お母さん」 「そうやなあ、たか子にもいずれわかるやろな」

「小説 雨と水玉(仮題)(76)」/美智子さんの近代 ”相合傘その一”

(76)相合傘-その一 美智子は金曜日の東京出張からの新居での三日間を終え、新幹線で大阪に向かっていた。疲れるといけないからと午後早い三時前のひかり号に乗った。梅雨曇りの夕方の景色を見ながら、結婚式を二週間後に控えて、やはりこれまでを振り返っていた。 これまでを振り返ることがこれからを作ることになると言うのは、啓一がよくそういう考え方をしていることに気付いて、自分のそういう部分に目を向けてからはっきりと意識されてきていた。 昨日の夜、啓一が言った「ぼくの間抜けな失敗も、美智

「小説 雨と水玉(仮題)(75)」/美智子さんの近代 ”おしゃべり”

(75)おしゃべり その晩は土曜でもあり新居で啓一と二人きりでもあったせいか、珍しく美智子はとめどなくおしゃべりし続けていた。啓一には明るい色香が薫る心地よい空気を感じさせていた。 「啓一さん、あのね、わたし、実は四年前にデートしたときね、付き合うことになるんだろうなと思てたんやけど、今はそうでなくてよかったかもしれへんて思うようになった。あれからわたし、人生変わったかもしれへん、あの四回生のとき、わたしとしては一生懸命勉強しようと思って一年間高坂先生に必死でついて行ってな