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「『おたふく』『妹の縁談』『湯治』山本周五郎著(ハルキ文庫『おたふく物語』に収録の『おたふく三部作』」/日本の庶民の善意の美しさ、いじらしさを美しい『おしず』を通して浮かび上がらせる周五郎の名作 ~その1
『おたふく』 『おたふく』については、すでに多くを記してきました。二十代前半つまり40年ほど前にめぐり逢いこの年になるまで胸の奥に温かい心をともし続けてくれた周五郎の名作です。 私個人の中では、それは二十代に恋焦がれ続けた美智子さん(仮名)と重ねて今日まで思い続けてきた女神のような女性、それが『おたふく』のおしずです。 『おたふく』へのオマージュとして小説「智子、そして昭和」を書かせてもらいました。 オマージュは、「三十五年越し」や「雨と水玉」(上記「三十五年越し/俯瞰
「東京国際映画祭で阪東妻三郎の映画。三男田村亮が語る父(デイリースポーツ記事から)」いまだにニュースとなる阪妻、「無法松の一生」は永遠の名画、至純の恋と男心
田村三兄弟はリアルタイムで 我々の世代、戦後昭和30年代生まれの世代にとっては、田村三兄弟(高廣、正和、亮)は、阪妻の息子たちでもありますが、リアルタイムでテレビ、映画を彩った名優です。 それぞれに持つ味があり、高廣、正和が逝った今、亮だけがかつての時代を語ってくれる残された一人になりましたが、ある意味で親父の何かを受け継いでそれに自分で持つものを加える中で何ものかを私たちのこころに届けてくれたのだと思います。 (今回、愛着を込めて、敬称ぬきにて記します) 三男亮が語る阪
「三十五年越し エピローグ16」/三十四年前の10月13日朝、阪急曽根駅での再会の日が、また過ぎていった。今年10月13日はあの時と同じ金曜日だった。
昨年令和四年の十月十三日に、平成元年に二年半ぶりに美智子さんと偶然の再会をしたことについて、何回目かの記事を下記に書きました。 そして、今年令和五年十月十三日が過ぎていきました。今年の十月十三日は三十四年前と同じく金曜日でした。 なぜ、あの時、あの秋晴れの朝、本当に偶然にも、美智子さんと再会したのでしょうか。 二年半ぶりに逢った彼女は幾分大人びていました。それは服装であったし、頬のあたりが少しだけほっそりと大人の顔になっていたとも思います。 繰り返しになりますが、私に
「小説『雨と水玉』作者モノローグ2」/来るとこまで来て中断してますが、美智子さんの近代の今後に寄せる思いは尽きないので何度かこれまでを読み返し次の構想を練っています(改)
小説「雨と水玉」については、下記(77)を最後に結婚式を前に中断しています。 来るところまで来たとの思いもあり、この後がしばらく書けていません。7月下旬から1カ月ほど手ひどい胃腸炎とコロナで体調をくずしたこともこのことの一因です。 この間、最近ですが、ここまでの「雨と水玉」について二度ほど読み返しました。改めて、実は読むまでも無くですが、美智子さんの近代の続きに寄せる自分自身の思いに気付き直しました。美智子さんの近代の続きに寄せる自分自身の思いに気付き直しました。しかし繰り
「小説『雨と水玉』作者モノローグ2」/来るとこまで来て中断してますが、美智子さんの近代の今後に寄せる思いは尽きないので何度かこれまでを読み返し次の構想を練っています
小説「雨と水玉」については、下記(77)を最後に結婚式を前に中断しています。 来るところまで来たとの思いもあり、この後がしばらく書けていません。7月下旬から1カ月ほど手ひどい胃腸炎とコロナで体調をくずしたこともこのことの一因です。 この間、最近ですが、ここまでの「雨と水玉」について二度ほど読み返しました。改めて、実は読むまでも無くですが、美智子さんの近代の続きに寄せる自分自身の思いに気付き直しました。少しづつ構想の種が出て来ています。 BSテレ東を見て、寅さんの記事を書き