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「安倍さんが露わにした、日本の根底に横たわる基本問題:拉致問題」/我々は日本を全く取り戻せていない。

本日10/1付け産経新聞9面「教科書が教えない拉致問題」15について記したい。

拉致被害者の帰国という衝撃 と 日本

平成14(2002)年10月15日羽田空港に蓮池薫さん、祐木子さん夫妻、地村保志さん、富貴恵さん夫妻そして曽我ひとみさんの拉致被害者5名が帰国したTV映像は日本中の眠りを覚ました。
しかし、それから20年が経過しても、彼ら5人の家族を取り戻すことは辛うじてできたが、なお他に何人いるかわからない実に多くの拉致被害者の一人たりとも、日本は取り戻せていない。

有名な横田めぐみさんのお父様の滋さんは先年大切な娘と再開できぬまま亡くなってしまった。
めぐみさんの拉致から40年以上の年月が経ち、もう50年になんなんとしようとしている。拉致はめぐみさん以前から存在してその始まりから見れば70年とかいう月日になるのかもしれない。

このようなことがなお厳然と存在する以上、
我々は、決して日本を取り戻せなどしていない。

拉致事件が露わにならない可能性が十分あった。

しかし、この拉致事件が存在したこと自体について、このように日本で知られるようになったのは、実に平成14(2002)年9月17日の小泉、金正日日朝首脳会談の時のある決断が無ければ、全く無かったことにされる恐れが十分にあったことなのである。

もともと国内の有志により、また家族により、北朝鮮による日本人拉致という非道極まりない行いがあったことが明らかになりつつあり、平成9(1997)年国会での西村真悟議員の勇気ある政府への質問、追及があり、国内に徐々にその認知が広がるという情勢になっていた。それを受けてある意味北朝鮮も折れて、日朝首脳会談が実現した。
しかしその裏には同時に、反日勢力(左傾勢力と呼んでもよい)による、日本の経済援助という名の戦後補償を伴う日朝国交正常化への前掛かりの姿勢も強くあった。
そして拉致ではなく、北朝鮮が海上遭難者を救助したというような架空のシナリオに乗せられるリスクが実は非常に高かった。
事実そうしたシナリオも既に寺越武志さんという実例が厳然として存在していたのであり、北朝鮮サイドが拉致を認めないという幕引きの可能性も十分にあったのだ。

安倍晋三が大きな声で言った。その発言が拉致を露わにした。

そして小泉首相が平壌に乗り込んだ首脳会談当日、北朝鮮は拉致被害者を「行方不明者」として伝えてき、午前中の会談では拉致に関する言及さえも無かった。
そして、実は運命の昼食時が来た。北朝鮮の昼食会を断って日本側メンバーのみでおにぎりを食した昼食時である。
当然その部屋は盗聴されているとみられるわけだ。大事なことは筆談することを事前打ち合わせしていたが、そのときである。
同行した官房副長官「安倍晋三」がことさら大きな声で、
「拉致をしたという白状、謝罪がない限り、平壌宣言への調印は考え直すべきです。認めなければ、席を立って帰国しましょう。」
と言った。

これが決定打となり、平壌宣言による経済援助を欲した北朝鮮をして、拉致を認めさせることになったと言ってよい。

拉致問題を動かした政治家

拉致問題を動かした政治家として、安倍晋三、西村真悟と今回触れなかったが中山恭子の三名の政治家が挙げられようと思う。

私自身が拉致問題により、日本の政治の捉え方を目覚めさせられたのでわかるのだが、この問題が露わになったことで実に多くの日本人が目覚めたと思う。
そしてこのことが日本の存立にとって重大な保守の潮流が今形成されていることを思えば、拉致を露わにした政治家の国への貢献は計り知れない気がする。

その中でも、安倍晋三はやはり欠くべからざる核心的役割を果たしたと言えるであろう。

そして、まだなお、多くの拉致被害者が北朝鮮に残っている現状は、とても日本を取り戻せたと言える状況とは言えない。

そのような中で、
安倍晋三が、凶弾に斃れ亡くなったことは、返す返すも日本にとって計り知れない大きな損失であり、残念でならない。













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