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「一技術者が仕事の意義について考えてきた一側面 (6)日本人にとっての近代とその構図/定年講演

世紀を超えて普遍的に、日本人に「近代」を分かり易く示したという点で二人の日本人が挙げられます。

福澤諭吉と江藤淳です。

福澤諭吉はその著作、『文明論ノ概略』、『学問ノススメ』、『福翁自伝』、『丁丑公論』、『痩セ我慢ノ説』等々で、

江藤淳は、『考えるよろこび』、『アメリカと私』、『一族再会』、『南洲残影』、『閉ざされた言語空間』等々で。

福澤はもちろん、二人とも慶應の人ですが、彼らがいろんな形で教えてくれていますが、端的に、

「立国は私なり、独立の気力無き者国思うこと深切ならず。/『学問ノススメ』三篇」・・・・私はこれに尽きると思っています。

(慶應の人、身近に結構いるが、未だ近代の意味について共感得た人なく残念です。・・・・・失礼!)

諭吉の言う「独立自尊」は、

「国家(日本文明)とその存立」と不可分の「個人の自立」ということです。

ちなみにこの構図は図らずも旧約聖書の考え方と一致します(ヨラムハゾニー)。これは非常に興味深いことです。巡り巡って、パラドキシカルに旧約と平仄が合うというのは、やはり人間性の普遍を表していると思います。そして、「近代」は根本で独立国家と不可分だということが言えます。

また、日本は、アーノルドトインビーやサミュエルハンチントンが言うように、文明論的に、世界の中で、一国で一文明を形成しています(外人に言われるまでも無く日本は、西洋とはもちろんアジア各国の文明とも異なる独自の文明ですが)。

である以上、私という日本人は、この一国で一文明という特別の構図に包含されて「近代」を生きている。

日本語という言語がそれを核心的に表していると思います。

この構図に気付いたとき、私にとって「近代」が腹に落ちた瞬間でした。

(7)に続く


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