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「小説 雨と水玉(仮題)(51)」/美智子さんの近代 ”夜と朝”(改)

51)夜と朝

美智子が疲れていたので夕飯はホテルのレストランで済ますことにしようということにしてお店の席に付いた。向かい合って改めてみると光の加減か、美智子の唇のルージュの色が少しだけ赤味がかって見えた。
「明日は、渋谷から二、三十分くらいの駅で新居を探すつもりなんやけど」
「うん、そのくらいのところで家賃とか大丈夫なの?東京って家賃高いって言うから」
「うん、渋谷から田園都市線っていうので二、三十分で神奈川に少し入るんやけど、そうすると家賃も少しいい感じになってくる。ただ街の雰囲気を美智子さんにも見てもらわないといかんので。だから、二駅くらいは降りてみて不動産屋さんを巡ってみよ、だから明日の朝は九時くらいには出るつもりでいてくれる?」
「うん、わかったけど、啓一さんの方は通勤時間は大丈夫なの?
啓一さんの方が夜遅くまで仕事があるんやし」
「ありがとう。僕の方は、今の寮が同じ沿線で三駅ほど遠いくらいだから、返って今より近くなる。四十分ちょっとで会社にいけるかな」
「大丈夫なんや、よかった。
そしたらそのあたりを明日よく見てみる」

部屋の戻ると啓一はソファに腰を下ろし深く深呼吸をした。
美智子はちょっと行ってくると言い、洗面に行った。
洗面から出てくると食事でとれたルージュを塗り直してきたのか、いつもは薄めのルージュが先ほど見たような少しだけ赤味がかった色になっていた。

こちらに向かってくる美智子を見ていて啓一は改めてその美しさを思った。
美人というには語弊がある。
内面の朗らかさを湛えた愛らしさと清楚な感じはもちろん失せようなく輝いている。
ソフトボールで鍛えた腰から下の程よく発達した重厚感に見合うかのように大人の女性らしい落ち着きが萌して爽やかな色香を醸している。
出逢った時からの五年半の月日が、彼女をしてそのように美しくしたのだろう。
ただ、それは外から見たものであって、この三月余り直接接してみて啓一が思うのは、美智子の内面の充実である。もともと、性格があっさりしていて素直、ものごとにこだわらないあっけらかんとしたものを持っていたが、この頃の美智子には、運命をしっかり受けとめようとする芯の強さがあり、その気丈なものとともにものごとを柔らかく受け止めるしなやかさが備わってきていた。それがときどきちょっとした表情や一挙手一投足に魅力となってあらわて見ている啓一をハッとさせる。
以前は外面から豊かな内面を感じさせていたのが、今は内面から溢れ出て来るものが外面を包み込んで潤しているようだった。

美智子がそのまま何も言わずにゆっくり歩み寄ってきたので啓一は立って優しく抱きしめた。姿勢が良く体幹がしっかりして見える美智子の上半身は抱くとしなやかで柔らかで優しく寄り添ってくる。きれいな瞼に唇を寄せてからそのまま目元左にあるチャームポイントのほくろ、そして鼻の線から口元へ降りていくと、つやつやとした両の唇が啓一の口に合わさるように動いて重なった。そのままで我慢できなくなった啓一が優しく吸うと可愛い口が応えた。
啓一は、右手で美智子の左手を握ってソファに座り、左手で腰を抱き寄せ下半身を膝の上へ乗せるように導いた。服の上から豊かな臀部が啓一の足の付け根から腰を柔らかく圧した。全身を強く抱き寄せて口を吸おうとすると、小さく開いた口が優しくしてくださいと囁いた。

カーテンを通して冬の朝が白み始め、太陽の赤い光が差し込んできた七時ごろ、啓一の胸元で美智子が、
「もう、起きなきゃいけない時間?」と言った。
「うん、そうやねえ、起きて支度しようか?」
「うん」
二人の朝はこうして明けた。


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