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「ローマ人の物語Ⅺ 終わりの始まり」/アントニヌス・ピウスからマルクス・アウレリウスとその息子コモドゥス、そして内乱の時代とセプティミウス・セヴェルス

衰亡の始まり

塩野七生さんも記していますが、このあたりの時代から有名な、あのギボンの「ローマ帝国衰亡史」の時代に入ります。
私自身、高校のとき世界史を学び、理学部に進学しましたが共通テストでは世界史を選択し、古代史は特によく勉強したつもりではありました。そして大学生のとき、大部のギボンの「ローマ帝国衰亡史」の1巻だけ読んで挫けましたが、衰亡が始まるというその雰囲気は充分に感じ取ることができました。
いよいよその衰亡の始まる時代です。

アントニヌス・ピウスから衰亡が始まっていた

衰亡は五賢帝の4代目のアントニヌス・ピウスの時代から、始まっていたというのが、塩野さんの見立てです。確かにトライアヌス、ハドリアヌスの時代は緩やかながらローマ帝国のピークへと向かう時代であったということが出来そうです(下記記事を参照ください)。そして緩やかに次のアントニヌス・ピウスの時代に衰亡にはいっていく。

いずれにしても、五賢帝の時代はそれ以前の波乱万丈のローマ史から見ると、安定の時代であることは間違いありません。
人間の作る組織というものは、大は帝国や国家から、小は企業、家族に至るまで、安定を維持することは非常に難しいものです。
「興隆と守成のどちらが難しいか」という言で、有名なシナの古書「貞観政要」が東洋では古来よく知られてきました。家康も「貞観政要」は熟読したと言われています。まさに、”安定”を守成することは難事中の難事であろうかと思います。

最後の五賢帝マルクス・アウレリウス時代に現れ出る問題の数々

まさに、この安定の時代に胚胎していた問題が一気に現れ出るのが、マルクス・アウレリウス帝の時代です。辺境の守備にあちらこちらで綻びが続きます。それを必死で止血するマルクス。

先帝アントニヌス・ピウスの時代に、動かなかったことで察知することができなかった問題の数々が噴出したのです。
これが、守成の難しさなのだろうと思います。

マルクス・アウレリウスの必死の努力にもかかわらず、辺境を安定化することは難しく、その死を境に、息子のコモドゥス帝により坂を転がり落ちるように衰亡が始まる、というのが、歴史家の見立てです。
なおさらに、三百年近くローマ帝国(正確には西ローマ帝国)は続くのにもかかわらず、衰亡を止めることができなくなっていくということでしょう。

米国はローマ帝国にもっともよく学んでいる

これまでもたびたび感じたことですが、米国は建国の昔から、これはイギリスの伝統を引き継いでということだろうと思いますが、ローマ帝国に対して真摯に自分たちの前身という目をもって学んでいるということです。おそらく今もローマ帝国にあってはどうたった、今の米国はかつてのローマのどういう状況下と相似形である等々、真剣にエリートたちは日々米国の未来を思い研さんに励んでいると思われるのです。
我々日本も、そういう一見高踏的と思われることを真摯に学びつくしていく、それを国家運営の軸にしていくという姿勢が求められるように思います。

家族の守成もまた難しかったのか

そしてマルクス・アウレリウス帝は、「自省録」という著作を残し哲人皇帝とも言われて後世からも評価の高い、最後の五賢帝ですが、そのマルクスにして、家族の守成が難しかったことが、ローマ帝国の衰亡とリズムを合わせるかのようにこの巻では語られています。
すなわち、息子のコモドゥス帝は、姉に暗殺を計画されたことをきっかけに愚帝の道をひた走ることになり、最後は暗殺されるのです。
この家族の守成については、マルクス・アウレリウス帝の後の混乱を収拾するセプティミウス・セヴェルス帝の二人の息子の間でも成らず、帝国の衰亡を加速します。これも衰亡という避けがたい何ものかを歴史という大きなものから我々が切実に感じるものの正体です。同時に衰亡とは関りなく家族というものの、運営或いは経営ともいえるその守成の難しさをも感じます。

キリスト教、ユダヤ教の浸透状況

さて、キリスト教、ユダヤ教の浸透し行くローマ帝国ですが、ここまで意外にもさしたる影響ないような形が維持されているように見えます。少なくとも表に出て来るコンフリクトは多くありません。

しかし、少なくともキリスト教は、ローマ帝国の内部にその国益に反する形で少しづつ少しづつ浸透していました。
それは、この後の巻で明らかになってくることなのだろうと思います。






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