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「一技術者が仕事の意義について考えてきた一側面 エピローグ7」/江藤淳 定年講演

本編(6)で日本人にとっての近代について分かり易く提示した人として、福澤諭吉と共に引用したのは江藤淳でした。

江藤淳は、昭和における近代の語り部としてこれほどの人はいないのではないか、と寡聞な私は思います。
彼は、海軍中将、少将を両祖父に持つ出自も関係して、戦後の価値観に対して相対的位置を確保せざるを得なかったがゆえに、その鋭利な頭脳でもって戦後価値感を超越し、本質的で日本にとって死活的に重要な近代を語ることができたと思う。

本編で示した江藤淳の著作としては、『考えるよろこび』、『アメリカと私』、『一族再会』、『南洲残影』、『閉ざされた言語空間』です。
これは読みやすさの順にもなっています。
これらのほかに、私の読んだ中では、『1946年憲法ーその拘束 その他』(文春文庫)、『文学と私・戦後と私』(新潮文庫)、『忘れたことと忘れさせられたこと』(文春文庫)も日本人にとっての近代を示しているという意味で非常に分かり易い。

このあたりは一方でかなり政治的になってきますが、江藤淳の真骨頂は『わたくし』を語ることが『公け』を語ることになるというそのレトリックの切れだと思います。
そういう意味でこの辺りの著作が日本人にとって特に注目され得るのだと思います。
また、さらに政治的に行ったところに、
『国家とは何か』(文芸春秋)
『もう一つの戦後史』(講談社)があるでしょうか。

また、江藤淳については、2019年に没後20年を記念して、最後の担当編集者であった平山周吉が、浩瀚な江藤淳の評伝を書いてくれています。

これは、本当に読み応えのある評伝で、著者として見えていた江藤淳に比し、人間江藤淳、江頭淳夫が生々しく現れて見えます。
純粋に文学方面のことはよくわからない部分もありますが、核となる著作は繰り返し読んでおりまた胸に刻まれた感触が残存しているせいか、違和感は全くありませんでした。
平山さんは江藤淳の最後の編集者になった巡り合せだったそうだが、よく書かれたものだと思います。
江藤淳という人間を愛情を持ちつつ極力多角的に見ようという真摯な姿勢が一貫していて爽やかな読後感を持ちました。
良い書物は人生に対して何らか新たな息吹を齎してくれるものですがこの評伝はそのような書物の、間違いない一つだろうと思います。


こういうものを読んできますと、江藤淳という人が、近代をどう捉え、日本をどう捉えたのか、自分なりにしっくりとわかってきます。

中でも『一族再会』は優れて人間の本質に迫ってくるものです。
私にとってとりわけ胸に迫ってくるのは、この『一族再会』の中の「もう一人の祖父」で、母方の祖父退役海軍少将宮治民三郎との再会場面です。宮治民三郎の言のいちいちを江藤淳は書いてくれています。
私にとって、恐らく江藤淳にとってもそうだろうと思うのですが、その言の一つ一つが鮮烈極まりないものです。こういう言こそ、男を生かすに足る言葉というのでしょう。
そして近代の熾烈さを遺憾なく表現していると思います。


以上、徒然なるままにでしたが、こんなところで、、、、



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