ニートな吸血鬼は恋をする 第十五章

「やた、がらす……?」

三人の中で真紀だけはその名前に聞き覚えがあった。
(そういえば昔、事務所の先輩に言われたような気がする。お前は優秀だから、『八咫烏』に入れるかもって……)
現れたのは、『八咫烏』の隊員を名乗る男だ。
灰色の髪をオールバックにしており、紺色のスーツを着ており、服の上からでも筋骨隆々なことが分かる。
男は金色の瞳で、ちらりと愛人を見る。

「君が、轟愛人かい……?」
「そうです、けど……あなたは?」
「私は高木 幸平(たかぎ こうへい)だ。よろしく」

そう言って、幸平は手を差し伸べる。
愛人は怪訝に感じながらも、握手に応じた。

「……おかしいな」
「?」
「君は数多の恋愛犯罪を解決してきた吸血鬼だそうじゃないか」
「そんなに多くはありませんよ」
「……それにしては、弱すぎるな」
「……!?」

愛人はその異変に気づいた。
握り込む力が、強くなっていく。
(な、なんだこの力……!? 真紀や司と同じ……!?)
骨が軋む音が聞こえる。

「う、おぉ……!? くっ……!」
「ちょ、ちょっとあなた……!」
「お前……!」

その光景に、灯と真紀は身を乗りだして止めようとする。
真紀に至っては幸平の手首を掴んでいた。
だが幸平はまるで力を緩めない。
その力に愛人は幸平を睨む。
一瞬にして、一触即発の空気が流れた。

「……私は君の力が知りたい」
「……力……?」
「あぁ、吸血鬼でありながら恋愛警官をするものは珍しい。だが自分から進んでやるのは、君くらいだ」

幸平の言い方に、愛人は違和感を感じる。

「……珍しい? 僕以外にもいるんですか?」
「あぁ。私もその一人だ」
「なっ!?」

そこでようやく、幸平は力を緩めた。
驚愕する三人に、幸平は続ける。

「知っての通り、君達は『クラックス』に関わった。そして幸か不幸か、君達はその『クラックス』相手に戦い、生き残る……だけでなく、撃退することに成功した。年端も行かない子供がだ」

幸平は改めて手を伸ばしてきた。
その手には悪意は感じられない。
いや、始めからそうだ。
強面で目つきも悪く筋骨隆々だが、幸平には一切の悪意が感じられなかった。
だから真紀もあの握手に対応が遅れてしまった。

「結論を言おう。私は『八咫烏』から、君達をスカウトしに来た。……いや、選択肢を与えに来た」
「選択肢……?」
「ここで今、私のスカウトに応じるか、恋愛警官を辞めて新堂司や『クラックス』のことも全て忘れて、平和に暮らすか」
「「「……」」」

三人は絶句する。
最初に口を開いたのは、灯だけだ。

「そんなの、決まってるわ……」

灯は、真紀と愛人の視線を無視して、断言した。

「そんなの、平和に暮らしたいに決まってるわ……!」
「灯……」
「だってそうでしょ? 私達、酷い想いをしたわ。酷い怪我も、酷い勘違いも、酷い戦いも……」
「……そう、だね」
「無くすことができるのなら、そうすべきよ。例え力や権利を失うことになっても、私達はそうするべきなの……分かるでしょ?」
「……うん」
「だから、私達は平和に暮らすの。もう戦わなくていいなら、きっともう悲しまずに済むわ」

愛人は灯の返答に、黙りこくっていた。
灯の言葉がどうしようもなく、正しかったからだ。
愛人たちの力では、『クラックス』に対抗することはできない。そして灯の言うように、全てを忘れて平和に過ごせるのなら、そうすべきなのだ。
今なら真紀だけでなく、灯という理解者が居てくれる。
きっとこの先の将来だって、三人で乗り越えられるだろう。
(……そうか……)
愛人は大きくため息をついた。

「そう、だな……」

愛人は俯いて、疲れたようにそう言った。
その返答に、灯は安心したように捲し立てる。

「愛人……! よかった……! あなたが反対するんじゃないかって……怖かった……!」
「……ごめん」

灯は幸平に振り返る。
そして三人を代表して告げた。

「そういう訳だから、私達はもうこの事件に関わらないわ。貴方達がなんとかしてくれるのよね?」
「もちろんだ。この事件は元より、『クラックス』は我々が追っていた組織の一つだ。必ず君達に被害が出ないように最善を尽くす」
「……よかった」
「よし、それならこちらで警察にも伝えておこう。唯一、この後の事情聴取が終われば、もう君達のすることは何もない」
「分かったわ」
「それでは、私はこれで失礼する」

そう言って、幸平は部屋を出て行った。

「……何だったんだろ」
「知らないわよ。やた、がらすだっけ? 聞いたことも無いわね」
「そうじゃなくて、あの人……すごく強かった。……多分、私よりも強い」
「……そうかしら。野蛮なだけじゃない?」

二人は安心したように話し始める。
しかし愛人だけは、その会話に混ざることは無かった。

「愛人? どうしたの? 黙りこくって」
「いやその……トイレ……行きたいんだけど……」
「……早く言いなさいよ」

そう言って、灯は手を差し出す。
愛人は灯の手を借りて、立ち上がる。

「大丈夫、一人で歩けるよ……どこにある?」
「廊下を右に行って突き当りを左」
「了解」

愛人は少しぎこちない歩き方で、何とか一人で部屋を出て行った。
部屋を出て、扉を閉める。
愛人はそれから、焦った様に歩く速度を上げる。
向かった先は、トイレでは無かった。

「あの!」
「ん?」

病院のエントランスにいた幸平を、愛人は呼び止める。

「……吸血鬼の少年か。どうした?」
「さっきの話ですけど。……僕だけっていうのは、ダメですか?」

その言葉に、幸平は目を細める。
そして周りを見てから言った。

「ここじゃ話せない。少し出るぞ」
「えぇ」

愛人は、幸平に連れられて病院裏の路地。
閑散とした無人の場所へ来た。

「話をする前に、君のことを聞こうか」
「……僕らは司に狙われている「あぁ違うよ」……え?」

幸平は目を細めながら、告げた。

「君のその薄っぺらい仮面をつけている訳を、聞くと言ったんだ」
「……いつ気付いた?」
「最初からだよ。私は吸血鬼だからな。君のことはよく理解できる」

幸平は当たり前のことのように告げる。
愛人は少し癪に障ったが、仕方ないと素の口調で話を進める。

「……そうかよ。で、何が聞きたい?」
「簡単なことさ。君は血を飲んだのかい?」

その質問に、愛人は言葉に詰まる。

「……あぁ。ほんの少しだけどな」
「……なるほど。だからか」
「なんだよ」
「いや、大丈夫だ。一応条件は満たしている」
「条件?」
「【ノーライフキング】の条件さ」
「……なんだと?」

思わぬ都市伝説が出てきて、愛人は訳が分からなくなる。

「まぁそれはおいおい説明するよ。それより、君だけが『八咫烏』に入りたいんだろう? 訳を聞こうか」
「……特務組織『八咫烏』。【ノーライフキング】以上に有名な都市伝説だ。日本が持つ最強の諜報機関。自衛隊の全戦力を超えると言われる伝説的な部隊」
「へぇ……よく知っているね」
「噂好きの警官がいてな。そいつが口を滑らせることがあったのさ」

今考えれば、黒田は『八咫烏』の情報が欲しくてそう言っていたのだろうと愛人は思う。

「お前らは諜報機関であると同時に、日本に存在する唯一の恋愛組織犯罪に特化した対策組織でもある」

基本的に警察や公安に恋愛組織犯罪に特化した組織は存在しない。
その最大の理由は、対策の仕様が無いということだ。
基本的にただの恋愛犯罪は個人的なものがほとんどだ。故に大軍を携えて出動するということでは、まず間に合わない。
故に即座に動ける数人で対処する必要がある。恋愛警官が個人で動くのはそのためだ。
だが恋愛組織犯罪ともなれば話が変わってくる。
司のように心素を扱う軍人が組織ぐるみのテロ行為や誘拐などをすると、軍の出動では間に合わず、個人の恋愛警官では到底太刀打ちできない。
できるとすれば、司レベルの恋愛犯罪者を軽く凌駕できる反則的な実力者でなければならない。
そしてそれを可能としているのが『八咫烏』なのだ。

「博識だね。それで?」
「俺達は……司に狙われている」
「ふむ」
「お前らは少しでも被害を抑えるために、俺達を囮に使う。そして司を叩くつもりだろう?」
「少し違うな。できれば君達を守り抜いた上で、司を捕えるつもりだ」
「……」

つもり、という言葉に愛人は嫌気が差す。
『八咫烏』は誇張でも何でもなく、日本を守っている組織だ。
『クラックス』を潰すために、いざとなれば容赦なく愛人たちを切り捨てるだろう。それくらいの覚悟でなければ、『八咫烏』は務まらないはずだ。
そしてそれは、どうしようもなく正しいことだ。
(……前までの俺なら……この正論を受け容れていただろうな……)
『クラックス』の壊滅はきっと多くの人を救うはずだ。
それで救われる大勢の人々と愛人たち三人では、比べるまでもない。
故にこれは愛人の感情論に過ぎない。

「嫌だね」
「……」
「俺は嫌だ。認めない。俺達が犠牲になって、大勢が救われてハッピーエンドなんて、クソくらえだ」
「……ふむ。それでどうする?」

愛人はその言葉に、少し躊躇う。
この決断は、間違いなく地獄への第一歩となるはずだ。
もう灯や真紀とは二度と関われなくなるかもしれない。
それでも、愛人は自分の感情を信じて告げた。

「俺一人で、あいつを倒す……! それでいいだろ?」
「……いいだろう」

愛人の覚悟を見て、幸平は納得したように頷いた。
そしてもう一度握手を求めた。

「歓迎しよう、轟愛人。君は今から、『八咫烏』の愛人だ」
「……あぁ」

それだけ聞くと、愛人は歩き出した。

「んじゃ、俺は行くぞ」
「あぁ、君が退院したら、場所を連絡するから、そこに来てくれ」
「あぁ」

二人はそこで別れて、愛人は病室へ戻った。
幸平は愛人の背を見ながら、物思う。
(結局、三人で力を合わせることはない、か……。隊長の言った通りだったな。まぁ、それならしかたない……)
その眼は、冷徹にして冷酷。
(この国のために、犠牲になってもらうよ。少年)

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