ニートな吸血鬼は恋をする 第十二章

二人が向かった先は、南の町はずれにある廃工場。
ザンッッ
真紀の跳躍によって飛んできた二人は、大胆に着地する。

「……それじゃ、あとで」
「うん」

そして愛人は廃工場に向かい、真紀は別方向へ走り出す。

「……」

愛人は警戒心を引き上げながらも、廃工場に入っていく。
きしんだ音を響かせながら扉を開き、工場内を探索する。

「……?」

人影がある。
愛人は暗闇に目を凝らして、警戒しながらも近づいていく。

「っ! 神崎さん!」

それが灯であると気づいた愛人は、駆けだした。
駆けつけた愛人は、灯を抱き起す。

「なっ、冷たい……!?」

愛人は即座に警察手帳を取り出して、救急車を呼び出そうとする。

「っ!?」

それをまるで狙い撃ちするかのように、三本のナイフが飛んできた。
周りを警戒していた愛人は、辛うじて反応する。

バギッ

愛人は何とか二本目と三本目のナイフを避けた。
だが、一本目は見事に愛人の手の平を貫通して、警察手帳を撃ち抜いた。

「ぐっ!? 誰だ……!」

愛人はナイフの飛んできた方を睨みつける。

「やぁ……さっきぶりだね」
「新堂、司……!」

愛人は灯を抱き上げながらも、冷や汗を垂らす。
(灯を庇いながら、真紀を倒したバケモンの相手か……)
それも、投げたナイフが警察手帳の装甲を軽く突き破る威力を持つ相手だ。
【心装】の使えない愛人では、一発でも貰えば終わりだろう。

「……まぁ、賢い君なら分かっているとは思うけど、君に勝ち目はないよ」

司は余裕そうにナイフを弄びながら話す。

「……何故言い切れるんですか?」
「……孤独に戦う君と違って、僕には仲間がいるからね……?」

愛人はすっと目を細める。

「君に勝ち目はない。そこで提案だ」
「提案……?」

司は掌を伸ばす。

「僕の組織に来ない? 君なら、かなり貢献できると思うよ?」

司は本気で言っているようだ。

「……組織ってのは、『クラックス』のこと、ですよね……?」
「……まぁ、そうだね」

司はあっさりと肯定する。それほど舐められているのだろう。
愛人は手に刺さったナイフを引き抜きながら答える。

「……あり得ませんね」
「そっか」

愛人は懐からあるものを取り出す。

「じゃあ……死んでもらおうか……! っ!」

爆弾や拳銃を取り出したと思った司は身構えた。

「それもお断りです」

愛人は取り出した、自身のスマホで電話を掛ける。

「へぇ……! これを見越してもう一つ持っていたとは……」

司は素直に賞賛する。

「……警察や、救急車じゃありませんよ」

そもそも救急車を呼ぶとすれば、ここに来る前に連絡すればよかった。
だがそれには意味がない。
ナイフや狙撃という遠距離での攻撃手段があり、何より相手が『クラックス』であるということから、救急車を襲撃される可能性があったのだ。
そうなれば人質が増えるだけだ。
愛人が電話したのは、別の相手だった。

「……じゃあ、誰に……?」
「……あなたのよく知っている人です」

そのとき、電子音が鳴り響く。

「っ!?」

司は、その音が聞こえてきた方向に驚愕する。
それは狙撃主が待機している場所だったからだ。

「……何をした……?」

司は真剣な顔で聞いてくる。

「意外に鈍いんですね……電話しただけですよ」
「……ふっ、だが君の不利は変わらない」
「そうですね。……でも、十分です」

愛人は灯を優しく寝かして立ち上がる。
司は戦闘を予感して、ナイフを構えた。

「……君に人工心素を使わせると思うかい……?」
「……言い忘れていましたが」

愛人は膝を曲げる。

「俺はな……」

愛人の両足が、青く光る。

「っ!」

突如、眼前に踏み込んできた愛人。
司は咄嗟にナイフを振るう。
だがその手を愛人に掴まれる。

「っ!?」

司の顔に、青く光る警棒がめり込んだ。

「うおらぁっ!」 「ぐはっ!?」

司は盛大に吹っ飛んでいく。

「……とっくにキレてんだよ」

そこには、白いメッシュのある愛人がいた。

「い、いつの間に、心素を……?」
「……最初からですよ」

だが司は納得がいかないように問いかける。

「何故だ……?」
「……?」
「そんなことをすれば、時間の無駄だろう。効率よく使おうとは思わなかったのか?」

人工心素で心素を増殖・活性化できるのには、時間制限がある。
だから愛人は、いつも接敵してから人工心素を接種していた。

「あなたも使うんでしょう? だったら、その隙をくれるとは思えないのでね」
「……ここまで想定していたのか」

司はようやく悟る。本当に警戒すべきは真紀でなく、この男だったと。
(いつ我々の存在に気付いたのかは知らんが、ここまで周到に備えているとは……)
愛人は司を上回る知略を持っている。
その確信が、司に選択させた。

「……一度だけ警告します。投降してください」

愛人は構えをとりながら近づいてくる。

「……ふっ」

司は笑う。

「……まさか、この程度で僕に勝ったつもりでいたのかい……? 君如きが」

司は注射器を取り出す。

「……させるとでも?」

愛人は脚に【確心】する。

「いや、させるさ。何せ」

そこで司は、ナイフを投げる。

「彼女がいる」

その先は、灯だった。
(……ちっ)
愛人は飛び出して、警棒でそれを弾く。
ナイフが音を立てて転がる頃には、もう終わっていた。
ぎゅっと注射器の押し子を押される。

「……さぁ、ここからだ」
「……っ」

愛人は冷や汗を流す。
真紀でさえ勝てなかった相手が、本領を発揮する。
かつてない緊張感の中、声がする。

「う、ん……?」

愛人はため息をつく。
(寝ていて欲しかったぜ……)

「……あい、と…………そ、そうだ……私……!」

そこで、灯は急にせき込む。

「げほごほっ! あ、あぁ……!」

今まで喉に溜まっていたのだろう。
灯から大量に血が吐き出される。

「よそ見している暇はないだろう?」

突如、愛人の眼前に現れたナイフ。

「っ!」

愛人が警棒で弾く。
直後にもう一本のナイフで司が斬りかかる。

「くっ!」

黄色く光るナイフと、青く光る警棒がぶつかり合う。
辛うじて競り合っているが、司は余裕そうだ。

「……ふっ」 「ぐおっ!」

さらに直後、愛人は蹴り飛ばされる。
愛人は壁に激突する。

「はぁ!」

降り注ぐ刃の雨。

「っ!? う、おぉおお……!」

愛人はときに避け、ときに警棒で弾く。
致命傷だけは何とか避ける。

「あ、愛人……!」

だが。

「ふっ……やはりこの程度か……」

刃の雨が止んだとき、愛人の身体は切り刻まれていた。
ロングコートには、そこら中が破れており、体中に血が滲んでいた。

「……っ」

愛人は深く息を吐く。
(強ぇな……格闘ならまだ何とかなるが、ナイフがやべぇ……。真紀クラスの斬撃に俺は耐えられねぇ……。マジで一発で終わっちまう……!)
愛人は想定を超える司の実力に、冷や汗を垂らす。

「初めから分かっていたことだ。たとえ狙撃の位置を特定したところでそれは変わらない」

司はナイフを弄びながら歩いてくる。

「もういいわよ……! 早く逃げて! 愛人……!」

血まみれの愛人は、肩で荒い呼吸を繰り返す。
それでも構えを崩さない愛人に、灯は悲痛な声で訴える。

「……へっ」

愛人はそんな灯を無視して、笑った。

「……」
「……特定、ね。やはりあなたは、こっちの方は大したことなさそうだ」

そう言って、愛人は頭を指でつついた。

「……どういう意味だ?」
「……まだわかりませんか? つまりは――」

愛人が答えようとしたとき。

ドシャッッ

答えは外から降ってきた。

「――こういうことです」

「がはっ! げほごほっ!」

対峙する二人の間に降ってきた男――黒田友樹は苦しそうに吐血する。

「げほっ! な、なんで俺のことがぁ……!? ごほがはっ!」

黒田は取り乱しながらも質問しようとするが、言葉になっていない。

「元々おかしかったんですよ、あなた。何故僕にこんな仕事を押し付ける? 僕が選ばれた理由は? 何故仕事の経過を聞いてくる? 何故そのことについて何も話さない?」

愛人は余裕そうにその質問に答える。

「……彼を初めから疑っていたと?」
「いいえ。でも、彼が僕に嘘をついたときに、確信に変わったんです」
「げほっ! 俺が……嘘を、だと……!?」

血を吐きながらも黒田は愛人に顔を向ける。

「僕はあなたと今まで関わってきて……正直な話、人としてはロクな人じゃないことは分かっていたんです。でも、あなたは嘘だけは吐かなかった」

愛人が黒田に気を許していたのはそれだ。
仕事に精を出さず、他人にも愛人にも大して関心が無い。タバコと酒が生き甲斐の中年。
だが、嘘だけは吐かなかった。
だから信頼できた。

「そんなあなただから、嘘を吐いたのはすぐに分かりました」
「……俺が、嘘を吐いた……それだけの理由で……?」
「えぇ。最初は何で嘘を吐いたのか分からなかった。……でももし、あなた達が『クラックス』で、灯を狙うというのなら……筋は通る」

愛人の推理は概ね正しかった。
灯を捕らえるために常に連絡の取れる者と仕事として引っ付けておく。そして将来的に組織の敵となりうる真紀を始末できるように、二人を引き合わせる必要があった。そしてそれには愛人が適任だった。

「ついでに、僕を勧誘することも出来る。一石三鳥ってわけです」
「……ぐ、あ、愛人ぉ……!」

黒田は血を吐きながらも、震える手で銃を構える。

ガッ

だが銃弾が発射される前に、黒田は倒れた。
石だ。凄まじい速度で黒田の頭に石が衝突した。

「……やはり君か、師子王真紀」

その心素を感じ取って、司は先程までの笑みを無くす。

「……ごめん愛人……遅れた」

紅い心素を高めながら真紀は悠然と歩いてくる。

「真紀ちゃん……!」

灯は声を張り上げる。

「これで、二対一」

愛人は優勢に立ったことで、余裕そうに話し始める。

「倒す前に、聞いておきたいことがあります。……まぁどの道拘置所で聞くから、答えなくてもいいですが……」

真紀も気になるようで、司を警戒しながらも静聴する。

「……何だい?」
「なんで、灯なんですか……? それだけが分からない……」

すると司は、驚いたように愛人を見る。

「……意外だね。君の方こそ、気付かなかったのかい?」
「……?」
「彼女は……準吸血鬼だ」
「っ! そうか、だから……」

愛人は驚きながらも納得する。
準吸血鬼とは、その名の通り、吸血鬼の成り損ないだ。健常者のような心素量を持ちながらも、常に脆弱で不安定な精神性のせいで、ときに常人を超える心素を持ち、時に恋愛不適合者のように心素が空っぽになる。

「知っているようだね。古い言い方だけど、メンヘラっていう精神特性を持つんだ。この世で唯一、日常的に心素量を上下させる……半人前の吸血鬼さ」
「……」

司は語りだす。

「我が組織では、彼女の能力や精神性を高く評価したのさ。だが一つ問題があった。知っているとは思うが、彼女の心素は依存性のものだった」
「……」

言葉を重ねるたびに、真紀の顔は険しくなる。

「本当は僕に依存させて、心素を出来る限り引き出してから、組織で引き取るつもりだったんだ。ついでに駆けつけた師子王真紀を始末してね。まさかあんなに早く暴走するとは思わなくてね。しかも来たのは轟愛人だった。失敗したかと思ったよ」
「……もういい」

真紀は心素を滾らせる。

「けど、君がいて助かったよ。君達の恋人ごっこのおかげで、彼女は莫大な心素を取り戻した。万全かは分からないが、また失敗しても困からね」
「……やめろ……!」

真紀は横目で、灯を見る。

「……っ」

まるで奈落に突き落とされたように、絶句している。

「だから、今の内に灯を手に入れようと思ったんだ。ついでに君達の始末も出来る」
「っ! お前……!」

今度は愛人を見る。

「……」

愛人は、俯いていた。どんな顔かは分からない。

「っ!」
「まぁ要するに……君達の出会いは、僕らが全て仕組ん――おっと」

司の言葉は、飛んできたナイフによって阻まれた。
投げたのは、愛人だ。

「愛人……」
「助かりました。あなたのおかげで……遠慮なく、戦える……!」

人工心素の効果はまだ切れていない。そのことを確認してから愛人は再び構えをとる。
愛人の言葉に、真紀も前を向く。

「……次は、倒す……!」

二人は心素を高めながら、司と対峙する。
司はそんな二人を見て、また笑った。

「……ふっ」

その意味を、灯だけが悟る。

「愛人! 真紀ちゃん! 何で来たのよ! 早く逃げて! 今すぐに!」

灯は何度も叫ぶが、二人は無視して司を睨みつける。

「……来なよ」

そして、司の言葉と共に二人は動いた。

「ふっ!」

愛人は近くに落ちているナイフをいくつも司にぶん投げる。
真紀は一直線に司に踏み込んだ。

「【バレット】……!」

愛人の投擲したナイフよりも早い拳が、司の顔面を捕らえる。
零距離で【バレット】が炸裂する。
避けた方向には愛人の投げたナイフが迫る。
超人的な二人の連携に、司は。

バンッッ

真紀の【バレット】を、受け止めた。

「……え?」

理解が追い付かない真紀が硬直してしまう。

「ふん」

その一瞬を見逃さず、司は愛人の投げたナイフを掴み取る。

ザンッ 「……っ」

そして次の一瞬で、真紀を切り伏せた。

「へぇ……やるね」

真紀は【心装】を全開にしながら後ろに飛んだことで、即死を逃れた。

「はぁ!」

ナイフと共に司の後ろに回り込んだ愛人が、警棒を振りかぶる。

「……遅いな」

司はそれを掴む。
その手は黄色く光りだす。

「っ! くっ!」

愛人は警棒を動かそうとするが、びくともしない。

「……おぉっ!」

愛人が警棒を手放して、上段蹴りを放つ。

「ぐはっ!?」

だがその前に司の拳が愛人の腹に突き刺さる。
愛人は吹っ飛んでいく。

「げほごほっ! ……クソッ」

二人はすぐに立ち上がるが、今の攻防で理解する。

(【バレット】を素手で防いだ……! 今のは……間違いなく【心装】……!)(勝てねぇ……! 少なくとも今の俺達じゃ、逆立ちしても無理だ……!)

プロの恋愛警官でも『クラックス』の者には手も足も出ないと言われている。
年端も行かない二人が適わないのは、至極当然のことだ。
愛人は強烈な眩暈と倦怠感を覚える。
体が鉛のように重くなる。

(くそったれ……人工心素も切れてきやがった……)

真紀の聞いた話からは、二体一なら敵わなくないと感じていた。
しかし司は真紀と戦った時には、まだ本気では無かった。
ただ純粋に、司は強い。
それこそが愛人の最大の誤算だった。

「僕は確かに、頭はいい方じゃないよ。でもね……」

司は真紀をも超える、圧倒的な黄色の心素を滾らせる。

「君達程度なら、誤差の範疇だ」

その言葉で、愛人は確信する。
そもそも司と愛人たちでは、駆け引きにすらなっていなかったのだ。
それほど実力に差があったということ。
(……ちっ)
愛人はホルスターから一本の注射器を取り出す。

「……二人とも」

それは、人工心素の原液。
使えばどうなるかは分からない。
いや、使えたところで司に勝てるとは思えない。

「……俺が時間を稼ぐ。その内に逃げろ」

だが、もうこれしかない。

「へぇ……」

司は興味深そうに愛人の動向を見ている。

「……うおぉおおおおおっっっ!!!」

そんな中、真紀が雄叫びを上げながら司に突進する。
その身体は紅く光っている。

「っ!? 真紀ちゃん……!」

愛人は驚愕する。
今の攻防で、真紀も敵わないことが痛感していたはずだ。
(……そうかよ)
愛人は理解する。
真紀もまた、同じなのだ。
(私が、守るんだ……!)
真紀も愛人と同じように考えて、先に動いた。

「……ちっ」

愛人は苦い顔をする。
どの道、勝ち目はない。
愛人か真紀……どちらかが犠牲になれば助かる可能性はある。
だが既に真紀が犠牲となっている。
(……それに、真紀ちゃんの方が時間は稼げるだろう)

「はぁっ!」

今も真紀が必死に司に攻撃している。

「……ふん」

だが、真紀の攻撃はかすりもしない。

「ぐっ!?」

隙をついて、司が真紀を蹴り飛ばす。

「くっ……!」

蹴られたのは、傷口だった。
再び服に血が滲み始める。

「……真紀、ちゃん……!」
「行ってっ!!」

愛人は歯を食いしばりながらも、灯を抱いて駆けだした。
愛人は廃工場のすぐそばにあった公衆電話に入る。
公衆電話の側に灯を寝かせて、救急車を呼んだ。
町のはずれということもあり、救急車が到着するのには時間がかかる。

「二十分で着くから、それまで耐えて下さい」

愛人は他人行儀にそう告げて、歩き出した。

「待ってよ……」

そこへ手を伸ばした灯が、愛人の手を握る。

「……神崎、さん?」

灯はいつの間にか立ち上がっていた。

「……あ、あなたが行っても無理よ……二人がかりでも無理だったんだから……!」

言葉と共に灯は崩れ落ちるが、愛人の手だけは離さなかった。
愛人は灯を抱き留める。

「……ごはぁっ!」

今もなお散発的に、真紀の苦しむ声と鈍い音が響いてくる。
愛人は手を振りほどこうとするが、灯は決して離さない。

「っ……! せめて二人を逃がすくらいは……」
「ダメ……!
「……じゃあどうすればいいんだよ……!?」

愛人は猫を被ることも忘れて、叫ぶ。

「……やっと、あなたの本当の顔が、見られたわね……」

灯は少しだけ思い悩んでいたが、鳴り響く轟音と真紀の声に覚悟を決める。

「今はんなこと言ってる場合じゃ――……っ!?」

唇が、触れていた。
愛人は固まる。
灯は唇を放してから、告げる。

「……私の……血を飲んで……」

灯の眼は本気だった。

「……なっ……!?」

愛人はどうすればいいか分からない。
このままでは真紀は間違いなくやられる。死ぬかもしれない。
しかしそれは灯も同じ。
(ただでさえ体が弱っている今の灯から心素を奪えば、本当に死んでしまう……!)
血液とは人体における心素を最も含む物質。
それはもはや命の通貨に等しい。
それを吸うということは、灯の心素を摂り込むということ。
だが、真紀の言っていたことが本当ならば。
……愛人が本当に灯に惹かれているのなら。
(恋愛感情を持つ今の愛人なら……きっと強くなれる……!)
この瞬間、二人は互いのことを想い合っていた。
だからこそ、結論が出るのは一瞬だった。

「いい、のか……?」
「うん……司があぁなったのは、私のせいよ。……因果応報なの」

灯は悲しそうに呟いた。

「……そんなこと……!」

司は元々『クラックス』の一員で、わざと灯に近づいたはずだ。
だが愛人は、灯の言葉を否定できなかった。
灯が健全な恋愛観を持っていればこの騒動事態、存在しなかったのだから。
これが最後の言葉になるかもしれないと二人は分かっていた。

「それに、私……嬉しいの」
「……っ!?」

灯は、泣いていた。
莫大な感情が涙となってあふれ出す。
心素の輝きが、辺りを蒼く照らす。

「……これであなたには、二度助けられたことになるわ……」
「……ち、がう……! 違う!」

その光に当てられて、愛人は閉まっておきたかった心の内をぶちまける。

「俺は誰一人、助けられなかった! 今だってそうだ!」

気づけば愛人も、泣いていた。

「俺は結局、ヒーローには成れなかった! 無理だった! だから人を遠ざけた! なのに……なのにこれだ! 敵の思惑だとも知らずに、勝手に舞い上がって!」

それは、愛人が吸血鬼であることの何よりの証拠。

「……そっか」
「俺は結局、関わる人全てを傷つけちまうんだ! そういう吸血鬼なんだよ!」

愛人は誰かを傷つけなければ、人と関われない。
それが愛人の、吸血鬼たる由縁だった。
少なくとも愛人はそう思っている。

「……よかった」

愛人の本心を聞いて灯は、心から安堵したように笑う。

「……?」

――その感情は、大切な人を身勝手な程に強く想う感情。

「あなたには、たくさんのものを貰ったわ。……私はやっぱり、普通じゃなかった。こんな私じゃ、まともな恋なんて、できるはずもなかった……!」

灯は気付いていた。
自分が恋に依存した人間であることに。

「でも、それでも……あなたを好きになって……本当の意味で……恋を知れたの……」
「……あか、り……!」

愛人の恋愛感情が、これ以上ない程に刺激され高ぶっていく。
灯の心素は、際限なく高まっていく。
これこそが準吸血鬼の能力。
不安定で脆い精神により、日常的に心素が枯渇する。
だが逆に、感情によって無制限に心素を生産することが出来る。
生きた心素増幅器。

「……ありがとう……愛人。……あなたが教えてくれた……人を好きになるって……こんなに残酷で……こんなに素晴らしいんだって……!」

灯の体の光は、さらに輝きを増す。
愛人の牙は、さらに伸びていく。
――それは本能でも、理性でもない。

「あぁ……! 私本当に、あなたが、好き……!」

灯は改めて、愛人に告白する。

「……俺……も……大好きだ……!」

――それは原始感情の一つ。最も不安定で、最も危険な感情。愛情とは真逆の位置に存在し、偶然と運命によって発現する……人間だけが持つ感情。
それこそが恋――恋情である。

「よかった……私……あなたに恋して……本当によかった……!」
「……灯っ!」

愛人は溢れ出す感情のままに、灯の首に噛みついた。
生々しい肉の音が、はっきりと聞こえる。

「……うぁ……愛……人……」

灯は心素が失われていくのを感じながら、愛人に身を任せ受け入れる。

「……!」

愛人は血液をほんの少し飲み込んだ瞬間、爆発的な心素の増殖を感じていた。
人工心素でさえ常人を上回る心素量を発現させていたのだ。
生の心素は、それを遥かに凌駕する。
力も、負担も。

「う、おぉ……!」

尋常ならざる人体へのストレスにより、愛人の頭髪は一気に白く染まり上がる。
愛人は体に激痛が走り、肉体が悲鳴を上げるのもお構いなしに吸血する。心素が体中に敷き詰められて、さらに増えていく心素が愛人の体から溢れるかのように光を放つ。
活性化された心素の光が二人を包み込む中、灯はまるで世界のすべてが二人だけになった錯覚に陥る。

「……愛人」

灯はその錯覚を心地よさそうに堪能しながら、目を閉じた。

「……っぷは」

そして、無限にも思えたその時間が終わりを迎えて。

「……ありがとう。灯」

光の収まったその姿は、まさに吸血鬼。

「……行ってくる」
「……え……?」

呆ける灯を置いて、愛人は去った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?