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リンクスランドをめぐる冒険Vol.37 このコースの優しさの理由 リーイー・ゴルフ・クラブPart.2

前回のあらすじ

ライター稼業の私は65歳を機に、スコットランドのローカルコースをめぐる旅を敢行。旅も中盤、プレーしたのは英国メインランドのリンクスコースでは最北端となるリーイー・ゴルフ・クラブ。コブと固く締まった砂丘や深いフェスキューのラフ、目標物のない広いフェアウェイなどリンクスコースの特徴はあるものの、なぜか優しい雰囲気が伝わったきたゴルフコースだった。

16人のメンバーから始まったクラブ

スコットランドへ来て最初に回ったのはパークランドだったけれどアップダウンのきついデュレーター・ゴルフ・クラブ。
それから憧れのコース、最西端にある孤高のマフリハニッシュ・ゴルフ・クラブ。
シグネチャーホールひとつだけで印象が大きく変わったホープマン・ゴルフ・クラブにも行ったし、都会のど真ん中にあるインヴァネス・ゴルフ・クラブにも行った。
どのコースも特徴的で強いインパクトがあり、忘れがたい存在。

では、リーイー・ゴルフ・クラブはどうだろう?

英国メインランドのリンクスコース最北端、というのはひとつのブランドイメージだ。そこでゴルフをしてきたのは自己満足につながる。
ただ、ブランドイメージにこだわるくらいなら、もっとスコットランドの有名なコースを回るだろう。あいにくブランドイメージなるものに興味がほとんどない私としては、最北端のリンクスがどのような光景なのかという興味はあるけれど、自己満足の度合いは小さい。

ここがリンクスコース最北端、などと記したモニュメントなんてないし、景色はいくつか回ったリンクスコースと大差ない。
前回も書いたが、コースを象徴するようなシグネチャーホールがあるわけでもない。
プレーは淡々と進む。
夢中になってボールを追う、というのではなく。

コースを囲む小川を見たり、砂丘のコブの向こうに押し寄せるサイドサンド湾の潮騒に耳を傾けたり、時にはホールとホールの間にある木製の古びたベンチに腰掛けて広い空に流れる雲の波を見上げていたり。

なんだか、しょっちゅう会うわけではないけれど、たまに会うと妙に落ち着いた気分になる友達のことが頭を過ぎった。

そんな気分にさせるのは、このコースの衰勢の歴史やコース設計者であるジェームス・ブレイド氏の性格が大きく関わっているのだろう。

リーイー・ゴルフ・クラブが創設されたのは1893年12月27日。
ただし、この日付はあくまでクラブの創設日。コースそのものは19世紀後半に作られていた、と公式HPに記述されている。
創設記念として12月27日には、最初のメンバー16人によるコンペが開催され、この時の賞品は元日イベントを強化させるために寄付されたという。なお、この伝統は現在も続いているそうだ。

優しさの背景にあった情熱

現在も、と書いたが、クラブは一度閉鎖している。
ヤンチャなメンバーが18番ホールを上がってくるプレーヤーを肴にするクラブハウスも新しく建てられたもの。1899年に建てられた初代のクラブハウスは閉鎖と同時に放置され、やがて朽ち果てた。
クラブが閉鎖になったのは1940年。
閉鎖の理由は想像に難しくない。
ライブスター・ゴルフ・クラブで紹介したように(Vol.35 Part3.01を参照)スコットランド北端は1800年代後半から1900年代初頭にかけて、ニシン漁が盛んで鉄道も敷かれたことから活気を呈した。
しかしニシン漁が不況になると人口の流出は止まらなくなり、やがて鉄道も1944年には廃線になる。しかも第二次大戦の真っ只中だ。ゴルフどころではなかったのだろう。
この閉鎖から10年以上が経過する。
たぶん、フェアウェイもグリーンも伸び放題のフェスキュー芝に覆われ、クラブハウスは潮風に晒されて見る影もなかったはずだ。

リーイー・ゴルフ・クラブが再びゴルフコースの姿を取り戻すのは1950年代、この地域でドンリー高速炉技術開発が始まったことから。
高速炉技術開発、つまり民生用の原子力発電だ。
職を求めて人口が流入、再びコースを利用し始めたのは北端の東側、ウィックという町にあるドンリー・スポーツ・アンド・ソーシャル・クラブのゴルフ部門だった。
そして、かつてのメンバーでコースの復元に熱心だったドナルド・カーマイケル氏が再びクラブを結成する。
1960年頃からコースを整備、1963年には新しいクラブハウスも建て、メンバーが楽しめるコースを復元した。その後、メンバーからの継続的な募金活動を続け、2017年には土地の権利も取得した。
現在、リーイー・ゴルフ・コースはメンバーと地域の大きな資産となっている。

始めにメンバーありき。
これはスコットランドのほとんどのコースに共通していること。リーイーが特別、ということではない。それでも、一度は衰退したコースが再びメンバーの手によって再建されたケースは稀だ。
コースを回っていた感じた緩やかな空気は、このコースが熱心なメンバーによって復元され、メンバーがコースとクラブを再び失わないように大切にしていることが伝わってきたからではないだろうか?

そんなコースに巡り会えたことが、嬉しかった。ここまた、忘れがたいコースのひとつになった。

ひとつ気になるのはドンリー高速炉技術開発が停止、原子力発電所が完全に廃炉となること。地元では雇用の減少が懸念されている。
リーイー・ゴルフ・クラブが再び、閉鎖される恐れはあるのだろうか?

私には分からない。
けれど、もし私がリーイーのメンバーだとしたら、復元に尽力した先達の思いを引き継ぎ、なんとか継続させようと努力するだろう。
おそらく、現在のメンバーたちも同じ気持ちだと思いたい。

きっと、大丈夫。
次にここを訪れた時も、メンバーたちの熱意が継続されていて温かく迎えてくれると信じている。


続く








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