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夏休み明け死にたくなる気持ち *HSP

今日は下の娘の夏休み最終日です。
毎年この日を憂鬱に迎えるわたしは、学校という現実に戻される辛さを
思い出すと共に、娘の感情に共感しすぎてしまうのかもしれない。。

今は時代も変わって、そのような子が多いというデータのもと、
周囲の大人が気を配り、見守っていこうというようなメッセージ
また、子供の体調や、心の変化を感じたら決して無理強いはしないでほしいというようなメッセージが学校からのお知らせメールで届きました。

優しい社会になったなと感謝すると共に、まだまだ学校教育の課題って
あるよな〜って勝手に物思いに耽っています。

わたしがお世話になっている先生方はみなさん熱心で優しいし
包容力も柔軟性も感じられるスペシャリストなのですが
やはり、娘は学校に行きたくない。
では、学校ってどういうところになってるんだろう。。

友達と会えてたのしい。
集団生活は面倒だけど、なにかやり遂げたときは嬉しい。
なんか小さいうちは、多少なりとも良さも見つける力が
子供のほうにあるような気がします。

わたしが思う学校の怖いところは、

絶対行かなきゃだめ。
行ったらがんばらないとだめ。
みんなと同じことができないとだめ。
みんなと同じことをしないとだめ。
決められた時間をその通りにこなさないとだめ。

自分の選択と自由はほとんどないところにある気がします。

たぶん、子供が自由に選択しちゃったら
勉強も面倒だし、体育は苦手だし、、
とたのしい時間以外をやめる選択をしてしまうことが
成長につながる機会を失うことになるから
学校はすべてに強制力を働かせないといけない場所なのかなと
思います。

でも、わたしは選択をする自由をあたえ、
自分の選択したことの結果を受け入れる練習をし、
次は別の選択ができるようなチャンスを作り、

やらなくても良い、
やってからやることを変えても良い、
やらないから、やるに変えても良い、

そんな自由と責任を教える場でも良いのかなと
思ったりします。

もちろん勉強中心に考えると
先生は大変だし、家庭教育も大変になる。

子供のうちは正しい判断ができないから
やってみてだめだったから変えて良いと
なってても、取り返しのつかないこともある、、
など、これは問題山積みなのは重々承知なのですが

わたしは命より大事なものはないと思うから
子供が保健室登校になる前に、教室で自由に選択をして
勉強が遅れたっていいし、保健室登校さえしてくれるなら
教室に入れなくても構わないし、学校に行けなくても
生きてさえいてくれたら、ほかになにもいらないと
思ってしまう。。

勉強はあとからいくらでも本人のやる気でなんとかなるって
思ってしまいます。
勉強の基礎を習う時期に登校拒否をしていたわたしは
大人になってから、けっこう勉強って大事だったんだって
感じました。
大学卒業していないとなれない職業に就きたくなったとき
今から大学に通って、専門職の勉強して、、って
気が遠くなって挫折してしまった経験もあります。

だから勉強の意味がわからなくても、大学に行くことは
けっこう大切だし、人生の選択肢も増えるし、
親の責任かもしれない。

ただ、一番親が果たしたい責任て
その子の命を守ること。

親の思い描くあたり前に生きれなくたって
必ず幸せになることはできます。

本人の気持ちや力の出し具合で、欲しい結果も
結果を得るかどうかも決まります。

小さいうち、若いうちに親がレールを引いてあげなくても
子供の自分力はかなり大きいので、信じて尊重することは大事だと
実感する今日この頃です。

きれいごとばかりで現実的じゃないかもしれないけど、
子供が頑張りたいとき方法を教えてくれて、
失敗したとき支えてくれて
成功の近道をアドバイスしたり、一緒に考えてくれさえすれば
先生は勤めを十分に果たしてくれているなって思います。

小学3年生のすべての教科を、わたしの娘は3年生の間には
きっと習得できません。

それは、わたしが習得することを最重要事項として
知恵を沸かして工夫して全力で取り組めば叶わないことではないです。
ただきっともっと優先してしまう何かがあるから、
たぶん習得できないと言い切ってしまいました。

そんなわたしだから、遅いとか、だめだとか、やり直しがきかないことは
案外少なくて、やり直すのに、時間を要することはあるけど
それもひとつの学びとして、ポジティブに捉えられたら
取り返しのつかないことは存在しないのかもしれないと思っています。

学校をひとりでも多くの子が好きになってくれるようにと
工夫して心を遣ってエネルギーを注いでくれる先生がたくさんいます。

学業のノルマをクリアすることを最優先事項として先生に求めないで
いられたら、先生の仕事ももっと柔軟で子供目線の形にできるのにと
親や社会の在り方も、いろいろ考えさせられるなと思っています。

学業優先の方にはまったく共感のできない今日の記事、
読んでご不快になられた方がいた場合は申し訳ありません。。

決して勉強を否定する気もないし、
学校という集団生活に強制力はある程度必要だし
すべてはこんな言葉で表せるほど簡単でないけれど、

どうか、夏休み最終日に人生のおわりだなんて思う子が
いない今年の夏休み明けであってほしいと、
わたしは願います。

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*あした学校に行きたくないあなたへ*

人生のおわりだと思ってもいい。
死にたくなってもいい。
やだなって思っていい。
がんばって気持ちを切り替えなくたっていい。

あしたもきっとまだ変わらない学校生活が始まってるのだから
嫌なことや不安なことはおわらない。

いやだなって思いながら学校に行けた子はすごい!
がんばってるなって自分をほめてあげてほしい。

いやな気持ちが勝って学校に行けなかった子は
自分がだめだからなんて思わないでほしい。
がんばったじゃない。悩んだんだもの。
いやで怖くてどうしようもなくて
もし逃げることを選択したなら
それはあなたの限界で、
あなたは危機回避能力を働かせ自分を守ったということ。
だからそれもとても立派なこと。

もし人生をあきらめたくなってしまったら、
それはいけないことじゃない。
だけど、あなたにおわりにしてほしくないから、
わたしはどんな答えを出すあなたも間違いじゃないと思うけど
どうか、おわりにしないでまたあしたもわたしの記事を読んでほしい。
必ず、あしたも書くから。

心は強いとか弱いとか、きれいとか、汚いとか、優しいとか意地悪とか
そんなふうに言われるし、わたしも言ってしまうけど
心はあなたの色でさえいられれば、大正解です*

迷っても、泣いても、止まって真っ白になってても
どんなあなたも、そのままで
そのときのあなたのままで大正解なのです。

あなた以外にあなたの正解はない。

ぜったいに大丈夫だから。

この世界にもしもたったひとりだったとしても
あなたを応援する強い味方がここにいます。

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