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子供だましに本気にならない大人たち―『大怪獣のあとしまつ』感想

こんにちは、ダマシと申します。

前回の『デビルマン』のレビューにて、私はクソ映画に2種類存在すると言いました。

まずは「笑えるクソ映画」。これは笑いながら見ることができるのでクソ映画の中ではまだマシな部類です。
映像作品としては落第ですが。

そして今回紹介する『大怪獣のあとしまつ』はもう1種類である「笑えないクソ映画」に該当する作品だと私は思っています。

よくこの映画を「令和のデビルマン」と揶揄する人がいますが、私の意見としては両者のスタンスは真逆に等しいです。

そして、作品の出来はともかくたちの悪さは圧倒的にこちらの方が上です
なのでもしどちらの映画が「嫌い」かで聞かれたら私はノータイムでこちらを挙げるでしょう。そのくらいこの映画は闇が深いです。

今回は悪かった点と良かった点、そしてなぜこの映画は「愛されない映画」となってしまったのか、実写版『デビルマン』との相違点について語っていきたいと思います。

いつもより愚痴が多くなり文量も多くなるかもしれませんが、ご理解の程よろしくお願いします。

なお今回はキャストの方の敬称は省略するので、そちらの方のご理解もよろしくお願いいたします。


簡単なあらすじ

人類を恐怖に陥れた巨大怪獣が突然死亡し、日本は怪獣の死体処理を負うはめになってしまう。
3年前に姿をくらまし戻ってきた特務隊員・帯刀アラタ(山田涼介)は責任者として死体処理を任され、かつての仲間である雨音ユキノ(土屋太鳳)と雨音正彦(濱田岳)らとあの手この手で成し遂げようとするが上手くいかない。
死体は徐々に腐敗・膨張が進んでいき、このままでは内部のガスが爆発し、一大事を招いてしまう。
果たしてアラタはこの危機を食い止めることができるのか?

作品としての感想と悪かった点

個人的には近年稀に見るヤバさでした。多分これほどまでの映画はあと10年は再び現れないでしょう。むしろそうであってくれ頼むから。

先に良かった点を言っておくと、冒頭のシーンはかなり引き込まれました。
怪獣の被害により街や電車に誰もいない様子は三木監督の狙い通りコロナウイルスの流行により外出を禁じられた私たちの境遇にリンクしましたし、ここからどうなるかワクワクしました。

大怪獣"希望"の死体に関しても画面越しにでも迫力が感じられ、「この巨大な死体をどう処理するんだ?」と楽しみでした。

そしてダム爆破シーン!プロっぽいやり方で作業を進める姿はかっこよく作中屈指の名シーンでした。

逆に悪かった点としてはもうそれ以外のだいたい全部なんですけど、あえて挙げるならば「キャラクター」と「ストーリー」でしょうか。

謎すぎるキャスティング

まずキャラクターなんですが、『シン・ゴジラ』を意識したのか脇役まで豪華なキャストが起用されています。

例えばほんの一瞬しか出てこなかった食堂の娘を演じたのは二階堂ふみ。同じちょい役のYouTuberには染谷将太(デビルマンに続きクソ映画でまたその姿を見るとは思いませんでした)に、国防軍の結局失敗した冷凍作戦の指導者は菊地凛子が出演しています。

その他にも六角精児にMEGUMI、笹野高史など日本を代表する俳優が勢揃いです。

ただ正直に言いましょう。このキャスティングは予算の無駄です。
というのもこれらのキャスティングがほぼいらない役割なんですよ。

シン・ゴジラで斎藤工をちょい役の戦車乗りに起用するなど贅沢なキャスティングが許されたのは、作品の出来もありますがそれ以上にキャラクター一人一人に見せ場があり、かつカッコよかったからです。

この映画にそんな良さはないので上述した豪華なキャストを鼻をかんだティッシュのように雑に扱いポイ捨てします。

「食堂の娘、セリフも一言二言なんだし演技力のある二階堂ふみにやらせる必要なくない?」

「YouTuber、わざわざあんな馬鹿な役を染谷将太にやらせる必要あったか?」

「菊地凛子をあんなしょーもない石原さとみ崩れのキャラクターに使うなよ…」

「そもそも大臣の数が多すぎなんだよ!ろくにキャラ動かせてないんだから削れ!」

こんな愚痴が鑑賞中ずっと頭の中に渦巻くぐらいわけのわからないキャスティングでした。予算の使い方が下手くそすぎます。

制作陣は遊戯王のゴブリンの爪垢でも煎じて飲んでください。

エクゾディア揃えるのにお世話になりました

雨音、お前映画降りろ

そして映画で最もわけのわからないキャラクターが濱田岳の演じる雨音正彦(あまねまさひこ)です。

彼は主人公のアラタと、ヒロインであるユキノの元同僚である主役キャラの一人で、制作陣いわくアラタとユキノ二人の恋の障害となる人物だそうですが、とにかく人物像が不明瞭で何がしたいかよくわからないんですよね。

彼は戻ってきたアラタのことを快く思っていないのですが、劇中でその明確な理由が語られることはありません。

考えられる理由としてはまず「アラタが戻ってきたら妻であるユキノが元彼である彼の元に行ってしまう」という女性がらみの嫉妬が挙げられます。

アラタとユキノのラブロマンスは作中でも最序盤からも多く描かれていますし、そうした意味でも思いつきやすい理由だと思います。

へただなあ、カイジくん。へたっぴさ…! クソ映画への理解がへた…!

と、そんな安易な考えを打ち破るように雨音と不倫相手(ユキノの後輩)の濃厚なキスシーンを見せつけられます。

誰が喜ぶんだっ…!こんなゴミみたいなキスシーンでっ…!

いやホントなんで入れたのこのシーン?

というわけで雨音が妻を大切にしているから奪われるのが許せないという説は粉みじんになって消えました。

続いて考えられる説が、「選ばれた存在」であるアラタに対し嫉妬していたという説です。

何に選ばれたのかは一応伏せますが、ともかく自分を置いて某光の巨人みたいな特別な力を与えられたアラタを妬んだと思ってください。

しかしこの説の問題点として、雨音側からアラタに対する妨害がほとんどないという点が挙げられます。

怪しいといちゃもんをつけてアラタを捕らえる?政府陣に「今のアラタは何かおかしいですよ」と耳打ちする?そんなシーンないよ。

アラタ主導によるダム爆破による激流で死体を海まで押し流そう!っていう作戦が失敗に終わった際にはなんか高笑いしてたので「まさかお前がなにか仕組んだのか!?」と思ったのですが、特に言及もなかったのでただツボにはまって爆笑してただけらしいです。

思わせぶりすぎてムカつきました。そんなシーンに数分使うな。

総じて特に二人の障害になっている感覚もなければ首脳陣のようにコメディ要因として怪獣処理にあまり関わるわけでもない、とにかく中途半端な立ち位置なんですよコイツ。

第一、恋の障害となる人間ってシンデレラの継母のような嫌味ったらしい明確な悪役にするのが普通じゃないですか。

なんでポーカーフェイスだから感情が死んでで善人か悪人か判断しにくい奴をこの役割に選んだの?ねえ?

ぶっちゃけ作品に不要な立ち位置のキャラクターですし、いっそのこと大きく存在をカットすればその分人間ドラマや怪獣処理に割ける尺も増えたのでは?と思わずにいられません。

個人的には彼がいるかいないかで作品の評価が変わる部分もあると思います。まあ焼け石に水なんですけども。

お馬鹿すぎる政府陣

そして私が思う最もわからないキャラクターが雨音なら、最もいらないと思うのが大臣と国防軍を合わせた政府陣です。

なにせこの映画の公式サイトでは各省の大臣および国防軍のキャラが合わせて11人載っていますが、ユキノが秘書を務める環境大臣以外はまったく出番がありません。
ワンシーンだけ出てフェードアウト、なんてざらにあります。

しかもそれだけならまだしもとにかくお馬鹿なのでことあるごとに視聴者の感情を逆なでしてくるだけでなく、具体的には書けませんが小学生や中学生並みの下ネタもところどころ挟み込んでくるので一分の隙も無い不快感のミルフィーユを口にねじ込んできます。

詳しくは後述しますがおそらくわざと無能に描かれている部分はあるんでしょうが、それを差し引いてもおかしい点が多々あったり不快感は据え置きなのでどちらにせよクソなことに変わりはありません。

現実では官僚が様々な問題を起こし国民から呆れられている節はありますが、この映画の官僚に比べるとはるかにましな優良物件に見えます。

例えば劇中で死体の腐敗によるガスの悪臭が問題になるシーンが出てくるんですが、なぜかそこで「ガスの臭いは何の臭いに似ているか」について議論を交わしています。
結局「銀杏の臭い」っていうことで落ち着くんですけど、このシーンは見ていて頭が痛くなりました。

だって仮にも国のトップである人間が「ガスの臭いが吐瀉物に似ている!」「いいや排泄物の方が似ている!」って議論しているんですよ?馬鹿じゃないの?
小学生でもそんなことはしないとわかるようなリアリティのない演出をされれても、観客の目には「無能」じゃなくてただの「馬鹿」にしか映らないんですよ。

個人的にはこんな人たちがトップでよく国が滅びないなと思うレベルの酷さでした。
戦争で若人が命を賭して守った未来がこれか…

ちなみに先述した環境大臣も出番が多いから優遇されているわけでもなく、他の政府メンバーよりも立場的に上に立つために、無断で怪獣の死体に登りアピールするという誰がどう見てもアウトだとわかる行動をやらかすなどしっかりヤバいです。
個人的な余談ですがその後足を滑らせて傷跡に上半身が刺さってしまいスカートの中が見えるというギャグシーンがあったのですが、人生で初めてパンチラシーンで舌打ちしました。

とにかく物語の大筋にあまり絡まず内容も薄いので彼らの登場シーンは一番見てて辛かったです。

現実味のない演出

さらに問題だったのが演出の数々です。酒飲んでたかノーチェックでゴーサインを出したかのどちらかってくらい素人でも分かるツッコミどころが多すぎます。
『デビルマン』から18年経ってるんだぞ?なんで同じようなミスするの?

しかもデビルマンみたいにシュールで笑えるものじゃない分たちが悪いです。

例えばアラタが作戦のためユキノの兄であり爆破のプロであるブルース(オダギリジョー)のもとを訪ね協力をあおぐシーンなんですけど、ユキノを3年間ほったらかしにしてたこともあり断られてしまいます。

で、ここでクイズなんですけどこの後ブルースは「ある出来事」があって結局アラタ達に協力するんですが、皆さんはこの「ある出来事」ってなんだと思いますか?

妹のユキノに説得される?アラタの作戦に対する熱意にほだされる?いいえ違います。

正解は「行きつけの食堂の娘が怪獣について一言愚痴を言う」でした!

いやわかるわけねーだろがこんなのよぉ!!!!

動機が書道半紙ぐらいペラッペラじゃねーか!お前にとってその食堂の娘さんはなんなんだよ!
しかも怒りをにじませて話してたわけでもなくただ本当ボソッと呟いてただけじゃん!感情がこもってない話聞いてやる気になるわけねーだろ!

あのさあ、観客側はブルースと食堂の娘のキャラ関係なんて知らないしわからないのよ。
だからたとえ裏設定で仲が良いとかあったとしても端から見たら赤の他人の愚痴聞いて勝手にやる気出してるようにしか見えないんです。ブルースを動かすだけの理由を食堂の娘は持ってないんですよ。

それだったら協力できない理由はベタだけど「妻と娘がいるから危ない橋は渡れない」とかにしてさあ、説明せずともわかる説得力を持たせた方がよかったでしょ。
アラタ達に協力するのも死体の爆発による被害をテレビで解説してるのを妻や娘が見て不安がってる描写を入れればさあ、家族のために頑張るかっこいい男を演出できてさらに好感度も上げられたでしょうに。

ブルース自体はいいキャラしてただけに、この動機の薄さは目につきやすかったです。

このようにとにかく違和感のある演出が多すぎて話に入りこめないんですよね。
他にも防護マスクをせず死体のところへ行って体液を浴びたり、アラタの格闘シーンや雨音の義足が明らかになるシーンで使われる無駄なスローモーションなどまだまだあるんですが、一つ一つ書くと文量がすさまじくなる上に思い出すとストレスが加速するのでこの一例だけで許してください。

とにかく現実味のない描写が大量に出てきてストーリーに入り込むことを阻害してくるため、ただひたすらに終了までの時間が長く感じ一種の拷問のように感じました。

生半可な気持ちでの視聴は決しておすすめできません。

不真面目な映画

さてここからは冒頭でもお話ししたように、なぜこの映画がデビルマンと異なり「愛されないクソ映画」になってしまったか私なりの考えを大きく3つに分けて話していこうと思います。

シリアスを見せてくれよ

まず1つ目はこの映画が「観客が求めているものではなかった」ということです。
ひとまずこの映画の予告をご覧ください。

どうです?なかなか面白そうでしょ?

怪獣のゴミの分類などコメディさを感じられるセリフ等はありましたが、緊迫感を感じ基本的にはシリアスな雰囲気では?と感じさせる内容でした。

が、実際の本編はギャグ一辺倒で、シリアスなシーンは本当に形だけで終わります。

つまり予告などでシリアスとギャグの割合が7:3ぐらいかな~と思って見に行ったら実際は1:9だったことで「思ってたのと違う」現象が発生してしまったわけです。

この宣伝ミスは大きかったでしょう。
おおかた「シリアスっぽく作っとけば勘違いした特撮好きとかも見に来るでしょ」みたいな商業的な考えの判断でしょうけど、それで怒らせちゃ失敗もいいとこですよ。

こっちは「怪獣の死体という前代未聞の困難に立ち向かう人間」が見たかったのであって、「困難を前にあたふたを繰り返す人間」が見たいわけじゃないってちょっと考えれば分かるでしょうに…

そもそも特撮は根強いファンも多く科学的な設定が重要視される「真面目さ」が求められるジャンルであるだけに、コメディ作品を数多く手がける三木監督を起用したのはプロデューサー陣の根本的なミスです。

(個人的には)面白くないギャグ

続いて2つ目は「ギャグが人を選ぶ」という点です。

特に先ほど説明した下ネタがこれに大きく当てはまっていまして、この映画は主演の山田涼介のファンであるジャ二オタの女性や、ウルトラマンなど特撮が好きな子供もターゲットになります。

そんな下ネタをあまり聞かせたくない層も見に来ることは容易に想像がつくのに、なんでわざわざ人を選ぶネタを使用したか理解に苦しみます。

しかも感想のところではぼかしましたけど比喩的な表現とかじゃなくてストレートに「セ○クス」とか「う○こ」とか言ってますからね。聞いたとき背筋が凍るのを感じました。

とどめに作中かなりの割合でこの下ネタに関する話が出てくるので、嫌いな人にとっては地獄のような時間だったんじゃないかと思います。
ちなみに私はすごく嫌でした。

また先述したように政治家が無能をさらけ出しててんやわんやするギャグシーンが多いのですが、先述したように見せ方が下手なせいでリアリティがなくただの「馬鹿」にしか見えません。

制作陣は「関係ないことばかり議論して問題を解決しない政治家」の風刺のつもりで描いたのでしょうが、それにしたって議論の内容があさっての方向を向きすぎていてむしろ失礼を感じるレベルです。
現実のほうがましに見える風刺って何?

総じてろくな風刺になってもないのでただ観客をいらつかせるだけのシーンとなっていて、先述の下ネタと合わせてあくまで個人的にはですが見るのが苦痛なほど面白くなかったです。


非難囂々の制作陣のスタンス

そして3つ目にして最大の問題点が、「制作陣のスタンス」です。

とりあえずこれを見てください。これは公開直後大荒れした際に制作陣はどう思っているのか聞いたインタビューの記事です。

これ読んだとき私は頭を抱えましたよ。何を言ってるんだアナタたちはと。

要約すると「あんだけわかりやすく作ったのに全然伝わってないじゃん!こっちの伝えたいこと全部知ってから評価してよね!」っていう文句です。

んなわけねーだろ!これが三角関係を描いた映画だったなんて誰が分かるんだよ!!
ダ・ヴィンチ・コードの方がまだわかりやすいわ!

というわけで未視聴の方にもわかりやすいようにこのインタビューの内容を抜き出して一つ一つツッコミを入れていきます。
書きやすいよう文章を変えていますが、内容自体は変わっていないと思いますのでご了承ください。

・「伝えたかった三角関係の部分が伝わっていない」

これ見て三角関係の映画って判断する方が少数派だよ!バーモンドカレーをリンゴ味って言ってるようなものだぞ!?
隠し味程度の要素をメインとは言わねえ!

・「ラストシーンの風刺が若い世代に伝わらなかった」

伝わってるわ!そりゃあれだけ登場人物の無能っぷりを見せられたら嫌でも伝わってくるわ!
語られないのはそれより先に言われるべき酷い点が多いからなの!誰が見てもわかるツッコミどころがあるなら風刺なんて二の次なんだよ!!

・「三角関係が伝わらなかったから『期待外れ』が生まれた」

笑えないギャグシーン!キツい下ネタ!カタルシスのない展開!
スタートラインに立ってから言ってくれよ!期待外れだったのは全部だよ!

・「コメディ作品の監督、タイトルが平仮名で「あとしまつ」と表記している、大怪獣<希望>が片足を上げてユーモアな死に際になっているあたりから、完全にシリアスな作品ではなくコメディ要素もあることが観客に伝わる」

かといってコメディ大半は予想してなかったわ!真面目なシーンなんて10分あるかないかレベルだったでしょうが!!
そもそもコメディ作品の監督であることを理由にするなら予告編で日本映画特有の「○○監督 最新作」って出しなさいよ!!
名前で作風が分かるほど三木監督を知らないのよ大半の人は!!
言ってくれなきゃわからないの!!

・「主人公は敵対者に負け、正体を明かして巨大な怪獣の死体のあとしまつをし元恋人と別れる、切なくビターなエンディング」

なにも切なくないよ!!主人公達に思い入れがないから悲壮感なんてなかったし展開が急すぎるんだよ!!
主人公が光の巨人っていう匂わせはあったけどさ、いきなり変身するから伏線もなにも感じなかったわ!!

・「『学ぶ』という段階まで、今回の事象?についてはまだ考えがまとまっておりません。」
 
そろそろ考えがまとまったころでしょう。大いに学んで反省してください。

・(エンドロール後の予算半分で続編作成予告について)「エンドロール後の予告は一種の洒落なのですが、真剣に捉えてくださる方が多かったようですね。でも、これだけ話題になったので、本当に実現したら面白いかもしれません。もちろん予算半額(以下)で!!(笑)」
 
話題になってるのは悪い意味でです。もし続編なんて作ろうものなら本作を視聴した人によって確実に暴動が起こります。
たぶん私も率先して加わります。

・「かのヒッチコック監督が、演出に対する不満をぶつけてくるイングリット・バーグマンに言った言葉が好きです。『たかが映画じゃないか』。」
 
この言葉は女優に無理な演出をさせすぎたことで問い詰められたときに言ったものなんですけど、映画に全てを捧げてきたヒッチコックだからこそ大きな意味と説得力を持つものであって、一端のプロデューサーが言ったところで何も響かないんですよね。
しかもヒッチコックはユーモラスな返しにしているのにこちらは言い訳に使ってますしね。

こうしたふうに的外れな問題点を挙げ、その果てに「ここにはこういった意味があるんですぅー、批判する前にもっとちゃんと見てから評価してよwww」って開き直っているのだから呆れてものも言えません。

このインタビューで多くの人が望んでた言葉は「いやー、失敗しちゃいました。でもこの声を真摯に受け止めて次に活かします。申し訳ございませんでした」って感じに自分の非を認め反省するものなんですよ。

反省し何が駄目だったかを見直すことでよりよいものを作っていく行いは、ものを作るうえで基本となる行動です。

そんな当たり前のこともせず作品の受け取り手に問題があるように話をするこのプロデューサー陣のことが私は一瞬で嫌いになりました。

安くない金払って耐えながら見たのに文句も言われるってどんな拷問だよ、って当時は思いました。いやマジで。

Twitterでも「作品は言われてるほど悪くないと思うけど、この言い分はないだろう」と擁護してくれていたファンの方が愛想をつかしていたのが散見していましたし、誰も得しないインタビューとなってしまいました。


総じて「求めているものと違った」「ギャグが面白くない」「制作陣のスタンスが悪い」という3連鎖があったことで負のアイスストームが起こり、この映画は愛想をつかされたのではないかと思います。

まあ一番凍り付いたのは観客の表情なんですけど。


私がデビルマンより嫌いと言ったのはまさにこの3点が関わっています。

まず私は特撮作品を見に行ったんですよ。なのに見せられたのは三角関係ものとのたまう何かだったわけですから、クオリティがアレとはいえちゃんと原作どおりのストーリーを見せていたデビルマンの方がマシです。

デビルマンは狙ったギャグシーンこそないですが棒読みやカオスな演出で「狙ってない笑いどころ」を見せてくれました。
一方で本作はギャグシーンという「狙っている笑いどころ」があるのにそれが面白くない、人によっては不快にさせるという決定的な問題を抱えています。ここもデビルマンに軍配が上がるでしょう。

そして制作陣もデビルマンの方はせいぜい「もっと見せてほしいと思える映画だった」などのとんちんかんな回答ぐらいで、作品自体からも曲がりなりにも『デビルマン』を作ろうとしてたんだろうなー、という点は読み取れました(出来を許すわけではないですが)。
一方本作は自分たちの非を認めることなく観客に責任を押しつけ、さらに作品にやる気を感じません。

私はデビルマンのレビューの際「音痴の人」と例えましたが、この映画は例えるなら「ふざけて変な音程で歌っている人」だと思います。

音痴は音はおかしいですが真面目に歌っていることは伝わりますので「まあしょうがないよね」となり不快感はまだ少なく、ある程度までは笑いに昇華できます。
一方でふざけて歌うのは真面目ではないので人の目が厳しくなります。よほどふざけ方が面白かったとかでないと認められませんが、この映画は見事にスベり散らかしているのでアウトです。

言うならばとにかく不真面目に作られている映画なので、たちの悪さや嫌い度は私的には本作の方が圧倒的です。

本作の制作陣はもう一度映画製作を見つめ直し、観客が楽しめる映画を今度こそしっかり作ってほしいと思います。

おわりに


というわけで『大怪獣のあとしまつ』のレビューでした。

語りきれていない部分も多いですが、文量がとても長くなってしまったのでここでやめておきます。

最後まで読んでいただきありがとうございました。もし私に観てほしい映画がありましたらコメントに書いていただけると幸いです。

それではまた。

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