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酒呑童子の正体

平安時代の昔話に酒呑童子という鬼が出てくる。

夜な夜な都に現れ、女を攫い、人肉や生き血を浴びるように呑んでいたと言われる鬼だ。

その名の通り、酒を大変好み、毎日とんでもない量を呑んでいたと言われている。

興味深いのは、

酒呑童子の正体は実は、

シュタイン・ドッチなるドイツ人だったのではないかという説である。

シュタインはフランスの冒険者で、

都近くに漂流したと言われている。

シュタインは、

牛の肉を食べ、ワインを毎日飲んでいたと言い伝えられている。

その様子が、

肉を食べなかった日本人には珍しく、

ワインもその当時は無かったため、

酒呑童子へと話が昇華したのではないかと考えられる。

なるほど、言われてみれば筋が通っている。

又、酒呑童子は、

鬼も眠る酒を飲まされ、寝首をかかれ、

こんな酷いことは鬼でもしないと、叫び、

首を斬られても兜に噛いたまま、

息絶えたと言われている。

この事実は、天皇陛下に逆らえば酷い目にあうぞと、民への戒めも込められていたのかもしれない。

その当時、タタラ場と言われる製鉄所があり、

夜から朝にかけて燃え続ける炎は、

鬼火と呼ばれていた。

タタラ場で暮らす人は、

戸籍も、土地も持たず、

俗に言うアウトサイダーと呼ばれるような人々であったため、

管理されて生きている農民や町民からは、

自由人と呼ばれ、

羨望の眼差しで見られていた。

源 頼朝公に討ち取られた鬼は、

タタラ場の首領だったとも言われている。

どんどん力をつけるタタラ場の首領、

自由に見せられる平民達、

見せしめとして、処刑したと考えられる可能性は十分にある。

又、同じ時期に現れる茨木童子と呼ばれる鬼はイギリス人漂流者だったとも言われている。

ドイツ人やイギリス人もいた平安時代、

貧富の差が如実に現れた混沌とした世界、

魔界と呼ばれてもおかしくない奇妙な時代だったのかもしれない


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