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学ぶことが出来なかった子 #42

 私が、Z君と出会ったのは、今から30年ほど前でした。

 Z君は、今で言う学習遅進児と思われますが、私は当時の学校の関わり不足、教職員の指導力不足の結果のような気がします。それだけ30年前は、教育もまだまだ過渡期であったのも確かでした。 

 赴任先の校長先生から(初めての)教務主任をさせるからと言われ私はH小学校に赴任しました。でも実際は5年の担任をすることになりました。私は教務主任という仕事より、(最後に)もう一度担任ができる喜びで一人内心ほくそ笑んだことを今でも覚えています。

 講堂でN校長先生(#10 母の思い)より5年1組の担任として発表があり、私は少しガヤガヤしている子達と学級に入った時のことです。明らかにある小柄の男の子がまわりとトラブっていました。そしてその子達の声も耳に入ってきました。

「きさん、殺すぞ!」(福岡の方言で、貴様、殺すぞ!)
「Z〇、おまえバカやろう!」
「そんなこと言っちゃだめよ。」
「おまえ生意気やん、刺し殺すぞ!」
 私は、その激しい会話を聞きビックリしましたが、取りあえず当事者の子をなだめて席に着くように促しました。
 その会話の主はZ君でした。

 他の先生から事前に聞いていたその子の様子にはビックリする言葉ばかりでした。
 野生児。口が悪い。けんかばかりで切れたら手がつけれない、……。1年から4年まで勉強を全くしていない。そして最後の言葉が「文盲」でした。こんなことも聞きました。
「あいつは、授業中はいつも教室にいない。その時は運動場か用務員室に遊びに行っている。」
「授業に誘っても切れるから、何もさせない。」
「給食の時は戻ってくる。(笑いながら)」
「だれも相手していなかった。」
等でした。その子への対応の無さは悲しいものばかりでした。

 そしてその日から私が対応したのは、「Z君」「座ろう。座ってごらん。」等の丁寧な、でも当たり前の言葉遣いでした。
 それでも、言葉遣いや粗暴な行動は全くなくなることはありませんでした。
 ただ一つの救いは、好きな女の子Dがいること。そしてその子の言うことは比較的に聞いていたことでした。
 1ヶ月が過ぎ、2ヶ月が過ぎてもほとんど変わりませんでした。そして半年が過ぎようとした頃に、私はZ君を呼んでこんな話をしました。
「Z君。先生は最初はあなたの言葉にビックリしました。でもあなたはDさんとか他の人に優しい言葉がかけれることも知っています。」
「最近は、いやなこと、暴力を振るうこともだんだん少なくなってきたのも先生は分かっています。きっとみんなと一緒のことがしたいのだね。」

 そんな話をしてからしばらくした11月頃、少し寒い頃でした。自然教室(林間学校)に行く前に身支度の話をし始めた頃でした。その頃、Z君からこんな言葉が突然のように出てきました。
「く○○○先生、荷物はどうやってしまうんですか。」
 私は、その言葉に一瞬ビックリしましたが、何もなかったように、
「そうだよ。それは……だよ。」と。

 Z君の心の垣根が崩れた瞬間でした。
 丁寧な言葉遣いをする。認めてもらう。褒めてもらう。信頼関係があると……。今までそんな経験が無かった子だと思ってきたことは間違ってはいなかったと感じたのはこの時でした。
 自然教室に行くことへの不安、友達から区別されることへの嫌悪感、そして自分をさらけ出すことへの抵抗感。それらが、Z君を追い詰め限界に追い込んでいたことを。
 そこでその日、私は帰りの会でクラスの子達にこんな話をしました。
「Z君が、私にこれはどうするんですか。」
と聞いてきてくれました。(続けて)
「Z君は、実はみんなと話がしたいのだと思います。今まで嫌な言い方ばかりしていたからみんなも嫌だったのは確かだと思います。」
「先生はZ君は変わりたい、そしてみんなに認めてもらいたいんだと思います。」
 そう言うと、Dさんが手を挙げて、
「Z君は言葉が乱暴だけど、実は本当の心は優しいよ。弟みたいに声をかけたらいつも素直になるよ……。」
 そんなDさんの言葉を聞いて、私だけではなくクラスのみんなも一緒に頷いていました。

 言葉が変わってきたZ君。
 その日からは、ひらがなの練習(1年入学の時の教科書を出して)、漢字の練習、そしてたし算やひき算の練習を始めたのは言うまでもありません。なかなか進まなかったのも確かでした。でもそれでも毎日の(私の)プログラムは進めていきました。

 次の年。私はそのクラスを6年で持ち上がりました。ただ違うのは、6年(そのクラスの)担任をしながら、教務主任の仕事も一緒に始めたことでした。(空いてる時にはZ君の勉強もさせて……)その結果、卒業証書授与式(通称卒業式)では、卒業式の司会をしながら卒業担任としてのクラスの子達の呼名もしました。
 「6年1組 Z○○」と。
 そして私は自分にとって最後の卒業担任の役を終えることが出来ました。

 それから18年後。Z君から嬉しい電話をもらいました。
 結婚式への出席のお願いの電話でしたが、即いいよと答えたのはつい昨日のような気がしてなりません。

 小学校での一人の子のエピソードでした。
 Z君。
 支えてくれたまわりの子達の思いを受けてきっと立派な大人になっていると思います。
(令和6年2月8日)

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