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恥知らずとは

本日は宗教家や上に立つ立場の方に対して

お話をさせて頂きたいと思っています。



皆さんもご存知だとは思いますが

恥知らずと言う言葉があります。


突然ですがこんな方がいました

人の上に立つ宗教家が
他人の通話をスピーカーにし
こっそり盗み聞きしているそうで

そんな薄汚い事をしても
平然としているそうなんですが
これはある意味 盗聴とも言え


仏教では立派な不偸盗戒であります。


こうして人の上に立ちみんなにペコペコされると

いつの間にか神になったような態度になり

思い上がる人もいて


こんな人は自分が恥じた事をしても

何とも思わないのです、

これを恥知らずと言います

ですが仏様は全て御照覧です。


 

恥知らずにならない為には 


何気ない有り難い毎日だからこそ己を律し
思い上がらない為に忍辱行を徹していかなければ幸せになる事も仏様のお役に立つ事も
出来ません。


恥知らずにならない為には

今日の自分はどうであったかと己を振り返り

自分の言動や心は恥だったと反省し

日々、自分と向き合っていく事が大切ではないかでしょうか

そうすれば恥知らずにならないで済みます。

これは宗教家だろうが野球選手だろうが
音楽家 画家などどんな世界の人にも言える事です。

特別な苦行をするから凄いとかそんな事ではなくて普通の事を命懸けでやる事です。

例えば
朝起きれば仏様に手を合わせ感謝を申し上げる

それだけでも真剣に真心込めて

命懸けでさせて頂く

そこに本当の安心 喜びがあり

それでこそ仏弟子と言えると私は思います。


少々手厳しい話にはなりましたが

人の上に立ち人に法を説くというのは

それだけの純粋な気持ちがなければならないと思うのです。


何故ならば聞く方々が

それによって仏様の道に導かれるかどうか

かかっているからです、

その人の人生を左右すると言っても

過言ではありません。


そこをおざなりになってしまうと我が支配し所謂カルト教団に少しずつ変貌してしまいます。

口先は必ずバレます、口先は伝わりません

口先は人に対して極めて無礼非礼であります。


ですが私自身も含め誰でも過ちはあります。


だからこそ恥知らずでいないよう日々を

過ごしていきたい、そんな風に思います。

本日も最後まで読んで頂き有難うございました。


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