見出し画像

善悪と区別するものなのか/仏教

善悪というものがあるかないかと

考える事が一度はあるかと思います。


では善とは何か?悪とは何か?

という事ですが

仏教には五戒というものがあります。


嘘はつかない

暴力はしない

殺生はしない

酒は飲みすぎない

やたら無闇に欲を満たす為に

人とセックスをしない


この5つであります。


これを完璧にとは中々いきませんが

これを侵すという事は誰かしらに迷惑をかけたり

ひとを傷つけ悲しませてしまいます。


己の主張が通らない為に暴力をふるうという

争いになって戦争になってしまったり

お金が欲しくて嘘をつき詐欺をはたらいたり

あれもこれも食べたいと欲を貪って

食べ物になった命を必要以上に食べ

食べ残して捨ててみたり

酒を飲み理性を失い言いたい事をぶちまけ

悲しませたり怒らせたり動物のような低俗な

行動を起こしかねなかったり

セックスをしたくて人を騙したり犯して

してしまう人がいたりと


これだけ書けば善き事ではないとおわかりだと

思います。

いつも言うように欲は悪いものではありません

ですが度が過ぎると人を苦しめ悲しませる

恐ろしいものになります、ですので

自分自身でコントロールしていく事が大切だと

お釈迦様は仰います。


こういった事をする事を罪と仏教では言います。

罪というのは包むからきていると教えて

もらった事がありますが

一体何を包むのでしょうか?

それは私達の温かな優しい心です。

人の悲しみを己の悲しみと感じ相手の喜びを

共に喜びなんとか人の役に立ちたいと思う心

人に施した事も忘れ

中傷 暴力をされたことも許す心

これが善であります。

そんな心を包んでしまう事が

罪だという事なのです、それが悪です。


本来の私達の心に汚いものが纏わりつく事で

心は散乱し人は正しく判断出来なくなってしまいます。

だから苦しみがあり間違った判断をして

苦しむ人生を過ごす事になってしまっているのが

私達の人生です。


だから善き行いをする事で人はその汚れが取れ

本来の心、本来の判断が出来るようになっていきます。

ですので悪があるから絶対的に☓という考えは

偏った見方です、

その悪、汚いものがあるからこそ

綺麗にしていこうという心も生まれます。

悪あってこそ善になれる、そのエネルギーに

変えられるのです。


確かに善も悪もあります、ありますが

悪ですら生かす事が出来るのがこの世であり

そういった意味でこの世には善悪はないと

言えるのではないかと思います。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?