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本当の快楽とは/仏教

食べる事、 綺麗な人や景色

心地良いものばかり見る事 好きな人といる事

セックスする事、褒められる事 お金を稼ぐ事 

いつもクーラーやエアコンが効く

心地よい場所にいる事等 

挙げたらキリがありませんが

こうした快楽が幸せだと感じる方が

多いと思います。

確かに人間ですから求めるのは悪くもなんとも

無くこの世で日々生きていれば当然の事です。


ですがそれは求めすぎると不安になったり

イライラしたり得られないと不幸に感じたり他と

比べて劣等感を感じ最低な人生だと

投げ出すような気持ちに成りかねません。

これは欲を求め過ぎる為に起きる心で

貪欲というものになっているからです。


そうした欲を快楽を求めすぎる事よりも

本当はもっと大切なことが有るのです。


こんな話しを聞いたのですが


刑務所に入っている受刑者が家具を作ったり

木彫りの彫刻作品であったり

パスタ等を作っているそうです。

パスタを買って食べた方が刑務所に

「とても美味しかった」と手紙を送ったそうです

受刑者の方はそれが嬉しくて

「刑務所から出たら人の役に立つ仕事がしたいと」言っていたそうです。


受刑者の方は

欲を満たすために覚せい剤に手を出したり

人を騙し 脅し 暴力振るうような快楽よりも

心の本当の快楽が大切だと気づいたのでしょう

この受刑者は本当の自分に目が覚めたのです。

刑務所に入るほどの罪を犯した人でも

人の役に立つ事の喜びを持っているのです。

これはどんな人にも仏様と同じ心があるという

証明です。


この自分の心に仏様と同じ心があるという事に

気づく事が大切なことなんです。


人は苦しくて不安になり助けを求めて

様々な快楽に走ります、ですが快楽や欲望で

埋めようとした所で

その苦しみは残念ながら埋まりません。

それは苦を苦で埋めようとしているのと

同じ事だとお釈迦様は仰っています。


先程申したように自分の心の中に

仏様と同じ様な優しい心であったり

人の役に立つ喜びを自分にもあるんだと

気づく事が大切です。

人は苦しみに耐え抜く為に

生きているわけではなく

喜びを持って生きる為にこの世に

生まれています。

娑婆という言葉は忍土という意味ですから

この世は苦です、ですが苦の世界でも

苦を苦と感じずに喜びを持てるんだと

書いてあるのが仏教であり法華経であります。

だからこそこの仏教、法華経は尊く有り難い

深遠なものなのです。



人の役に立つ事であったり

この世の本当の理は一体何なのかを学び

それを日々の生活の中で教えを取り入れ

実践していく中で気付きがある事がどれだけの

喜びがわかりません、大歓喜であります。

それが本当の快楽です、私はそう教えて頂き

実践してみて本当にその通りだと思います。


繰り返し言いますが

苦の世界で喜びを持ち真理に気づく事こそ

本当の喜びであり本当の快楽なのです。


本日は本当の快楽とは何かというのを

お話させて頂きました。

読んで頂き有難うございました🙏🍀✨




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